テルテルアメフリ



 雨が、降り始めました。
ついさっきまでそんな兆しすら見せなかったのに。
思わず吐いた悪態も、黒いアスファルトを打つ雨音にかき消されてしまいました。
 雨が、降る。
 ざあざあと。堰を切ったように騒然と。
とにもかくにもこのま茫っと道端に突っ立っていたら濡れてしまいます。慌てて近くの軒先に逃げ込みました。びちゃびちゃと道の窪みに溜まった雨水が跳ね、靴を無遠慮に濡らします。傘を持っていない時に限って、とわたしは溜息を吐きました。
強い雨脚。暫く雨宿りをするほかありません。
幸い、逃げ込んだのはシャッターのしまった個人商店の軒先でしたので、人の邪魔にはなりません。逆に言えば、それ以外は最悪と言って差し支えないでしょう。
雨はみるみる激しくなって、まもなく煙立つような土砂降りとなりました。これでは当分家に帰れそうにありません.。
折角、お気に入りのコートを着てきたのに、濡らしてしまいました。頬を膨らませます。
わたしは再度、溜息を吐きました。
 はあ、と。
 大きく溜息。
 ――と。
「溜息なんて神妙だね。なにかあったのかい」
不意に頭上より声を掛けられました。男の人の声。わたしはきょろきょろと辺りを見渡し、左右に誰もいないことを認め、怪訝に思い、ふと視線を上へ持ち上げて、ようやく、

「あ。」

彼に気が付きました。彼は軒先にぶらりとつるされた、紙でできた、白い、
「てるてる坊主」
「その通り。こんにちは、お嬢さん。傘を忘れてしまったのかい」
のっぺらぼうな丸い顔が、それでも、わたしを見下ろしました。ぶらんぶらんと彼の身体が不如意に横に揺れます。
「そうなのです。天気予報では晴れだったのに」
急に降り出したではないですか。僅かに苦笑いを浮かべれば、彼も「それは困った事だ」と答えました。
「しばらくの間、軒先をお借りしても? 家主の方に迷惑でしょうか」
ちらりと、閉じられたシャッターの方を見ます。いつか、このシャッターが開かれてしまえば、わたしは商売の邪魔になりますから、ここを立ち退かなければなりません。しかし、彼は首を横に振りました。
「迷惑にはならないさ。もう、ここには家主どころか商いをする者さえいないのだから」
雨のような哀しげな声。
 わたしは思わず、彼の真っ白な顔を仰ぎ見ました。
――雨。
彼の声はしんしんと降る、閑寂を湛えていました。
「ここは空き家なのですか。……でも、じゃあ」
見るにつけ、そう作られて日も浅そうなあなたは一体、どうやって。
尋ねると、今度は彼が苦笑いをする番でした。顔のない白い顔。それでも、彼は苦笑いしたのだと思いました。
「ここの元・主人の娘さんがね、店を閉じるその前の日だったかな、その日に作ってくれたのさ。店を閉じる日くらいは晴れて欲しい、と言って。
……私が作られた日も、その前の日も、ずっとずっと、雨が降っていたからな」
彼は悲しげに言葉を切りました。雨音が一層酷くなったようでした。ざあざあという音はわたしの世界を包み込み、右からも左からも、そしてすぐ頭の上からも痛烈に聞こえてきます。
「だけれど、閉店のその日も結局雨で。ざあざあ降りの大雨で。彼女は私にがっかりしたのだろう。首をちょん切られることもなく、彼女の願いを果たせずに、取り残されてしまったのだ」
彼はその娘さんの顔が見られなかったそうです。
てるてる坊主。照る坊主。
明日天気にしておくれ。できなきゃ、首を。
今日だけは晴れにしてほしいと彼女がどれほど思っていたか、知っていたから。
 ざあざあと降る雨は止むことがありません。
「役に立てなかったのさ。折角生み出してもらたのに、がっかりさせてしまったのが、ひどく心残りなんだ」
彼は低くそう呟いて、くしくひと顔をぬぐいました。何も書かれていないその顔を。のっぺらぼうでまっさらな、それなのに未だ切り落とされてもいない寂しい顔を。
「でも、天気なんてどうしようもないことでしょう」
わたしはそんな彼の姿がいたたまれなくって、思わずそんなことを口走っていました。
「それをどうにかできると思っていたのだよ。私はてるてる坊主だからね。だから悔しくてたまらないのだ」
彼の言葉に、わたしは気まずく押し黙りました。「天気はどうしようもないから」なんてそんな言葉は慰めにもならないのです。だって、彼はてるてる坊主なのです。天気を如何としようとするためだけに生み出された存在なのですから。わたしは彼の悲しみをちっともわかりえていませんでした。そして、それは これからも。ずうっと。
「すまないね、お嬢さん。つい、面白くもない話をしてしまった」
失語するわたしに、彼は困ったようにはにかみました。
「そんなこと……」
口ごもる、わたし。
気まずい沈黙がわたしと彼の間に降りました。降りそぼる雨の煩わしさばかりが嫌に耳につきます。わたしは二度、三度とかぶりを振りました。


  
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