わたしは図らずも彼女の悩みの正体を知ってしまったらしい。
彼女はきっと、彼に自分の歌を聞いてほしかったのだろう。
――届けたい人には届けることもできない。
わたしは先日の彼女の言葉を思い出して、ちくりと胸が痛みました。
「いつも、この礼拝室にいるんですよ」
わたしはあくまで平静を振舞いながら礼拝室への観音扉を開いた。礼拝室の中ごろまで進み、あたりを見渡す。後ろから、彼もややためらいがちに付いてきた。
ステンドグラスを受けた陽光がやんわりと教会の床を照らしている。しんと静まり返った教会独特の雰囲気が、わたしたちを包み込む。
あれ、とわたしは思わず声を漏らした。
いつもは礼拝堂に彼女はいる。だけれど、今日に限って彼女の姿は見えなかった。全くの無人。がらんどうの空間がぽっかりと口を開けていた。人が一人いないだけで、こんなにも寂しいものか。いつもはここは彼女の歌で満ち満ちているから、なおさらそう感じるのかもしれない。
「いつもはいるんだけど、いないみたいです。ごめんなさい」
『いいえ、そんなに気になさらないでください。昨日、会いに行きますとメールをしたのです。逃げられたのかもしれません』
申し訳なさを感じて、彼に頭を下げれば、彼は気にしないでと言いたげに手を小さく振った。そうして、冗談めかした言葉を書きつける。だけれど、わたしにはどうにもその言葉が真実であるような気がしてしまった。気まずく口を閉ざす。
瑠花は悩んでいたんだ。
彼に自分の歌を聞いてもらえないことを。彼女が一番、他人に称賛されている自分を知ってもらえないことを。
『彼女の歌を、また聞きたかったのですが』
彼は悲しそうに顔を曇らせた。わたしはその言葉を読んで、勢い、彼を見上げた。瞬間、しまったと青くなるが、彼は優しげに笑んで、
『耳以外でも聴けますから』
と、「告げ」た。

彼女が歌うと、周りの雰囲気が変わるのだ、と彼は言った。
彼女が歌い始めた瞬間、ぴいんと世界が張りつめるのを彼は肌で感じる。
彼女の歌声を聞いている人は、ある人は笑み、ある人は聞き蕩れ陶酔する様子を彼は目で見る。
彼女の歌声は教会という小さな世界を変えるさまを感じること。
彼女の歌声により、聞くものを癒すさまを見ること。
それが彼にとって、彼女の歌を「聴く」ことであるのだ。
『彼女の歌っている姿はとてもきれいだ。私の自慢です。こんなにも素敵な歌声は「聴いた」ことがない』
照れくさくなったのか、そこまで書いて彼はぽりぽりと頬をかいた。わたしは彼の話に、なにか泣いてしまいそうな気持ちになっていた。
瑠花にこのことを一刻も早く教えてあげたい。
瑠花、瑠花。
あなたの歌声は素敵な声よ。こんなにもあなたの歌声を理解してくれる人がいるんだもの。
だけれど、それを瑠花に伝えるにはわたしじゃだめなのも分かっていた。
わたしは、彼を改めて見据えた。はっきりとした視線を受け、彼はきょとんと小首を傾げた。
「日曜日、ここでミサがあります。その日は瑠花はここで歌うことになっているので、ぜひいらしてください」
告げれば、みるみる彼の表情は明るくなっていった。関係のないわたしまでやきもちを焼いてしまいそうなほど。
『そうですか。ありがとう!』
喜び勇んで書いた字は、躍っていた。……いよいよ妬けてしまう。
「それで、おせっかいかもしれないんですけど、」
きょとんとした彼に向かって、わたしはさらに言葉をつづける。

「その時に、さっきわたしにしたみたいな話を、瑠花にしてあげてほしいんです」



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あとがき
初めて2ページにまたがりました。ちょっとずつ長めなものも上げていけたらいいなと思います。
閑話休題。
残念ながら音痴なのですが、歌うこと自体は好きです。
カラオケに行ってひたすら歌うのも楽しいですし、道端で適当に鼻唄をうたうのも好きです。
歌は人を楽しくさせる力があると思います。そんな感じで作ってみました。



  
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