石段にて

 草履を履いた足元を、二ひらの花弁が競うようにして風に舞い、くるくると通り過ぎていくのを葛は見送った。枝に華やかなぼんぼりを吊るしたようだった八重桜は、季節の移り変わりと共に散り始めていた。庭を縁取るようにして植えられている八重桜の木々は、場所ごとに花の色を薄め、葉の割合を増やしていた。
 春がもうすぐ終わる。
 鼻先をかすめる風に、夏を思わせる湿気が滲んでいた。その湿度はいつだかの夏の暑さを呼び起こし、葛の決意は泡のように浮かんでは消えていた。いつもいつも、この季節になると「決めなければ」と思い、だが半瞬後には「でも」と思う。葛の心はその間を行ったり来たりしていた。
 忘れようとしても忘れられない。忘れてはいけない、と胸の奥が叫んでいるのを、葛は静かに聴くだけである。
 そうして、聴くしか出来ない、じくじたる自分に嫌悪するばかりだった。
 縁側に腰掛け、膝の上で組んだ手の上をかすめるようにして、八重桜の濃い色をした花弁が飛んでいく。瞬間的にそれを掴もうとしたが、花弁はするりと身をかわし、地面へ落ちていった。
 この花弁をつかめたら願いが叶う、と、もし願掛けをしながら見ていたなら、葛は自分の手が素早く動くことはあったのだろうかと考えた。
 動いてほしいと願い、眉をひそめて手を握り締める。
「……姫様」
 静かな呼び声に、葛は振り向く。見れば、蓮華が座して礼をしていた。肩で切り揃えた黒髪が揺れている。
「ご用意が出来ましてございます」
 葛は「そう」とだけ呟いて、再び視線を前に戻した。用意が出来たにも関わらず、立ち上がろうとしない葛へ、蓮華はちらりと伏せた面を上げた。
「……姫様?」
 葛は小さく息を吐き、蓮華を振り向いた。その顔には柔らかな笑顔が浮かんでいた。
「今度はどうやって断ろうか、断る理由を考えるのも一苦労ですね」
 そう言って立ち上がり、蓮華の前で膝を折る。
「大老会へ行くまで、一緒に考えて下さいね、蓮華」
 葛はやはり、柔らかく微笑んだ。



 葛を乗せた美しい駕籠が、お供を連れてしずしずと杜を出て行くのを見送った後、蓮華は葛が先刻まで座っていた縁側を部屋から見つめていた。つけていた白い前掛けは外して横に畳んで置いてある。その上へ八重桜の花弁が舞い降り、蓮華は何度目かの溜め息をついた。
──このところ、益々お元気をなくしているように見える。

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