寂寥感にかられ、醜くなっていく己から。
「……信じられなかった。人間が、こんなきれいな物を作るなんて」
 一番貪欲に泉を求め続けた生物が、一番美しいものを作った。それが己に与えられた姿――己だけに与えられた姿だという誇りは、いつしか愛情へと変化した。
 ただ一人、自分を見出した人間に――。
「一緒にいたいと思った。あの人は、何があっても私を見出してくれる……一緒にいて、私だけを見てくれる」
 ふわりと少女は微笑む。この笑顔と酒に、あの老人は酔ったのか。
 否、酔うのではない。ただ夢を見たのだろう。そこに、自分の幸せがあると信じ。
「憲治さんはしばらくここで?」
「ええ。楽しかった。彼もいつも笑っていたの」
「……酒も、美味そうに飲んでたんだろうな」
「一番好きだったみたい。そこから汲みたてのが美味しいって」
 少女は泉を指す。成る程、二つの茶碗は少女を老人のものか。
「元気にしてたんだ。病気もしないで」
 こくりと頷く。そしてうつむいたまま表情を暗くした。
「……そう、元気よ。私が彼に元気でいてほしかったから、泉を飲んでもらっていた」
「泉の酒をか」
「……美味しいって言ってたのに」
 繰り返し呟く。
「美味しいって、言ってたのに……」
 雨が強さを増した。
「……朝にあの人は出て行った」
「だから、呪ったのか?」
 ゆっくりと少女は顔をあげる。
「だって……約束を破ったんだもの。私を置いていかないって言ったのに」
 少女は微笑んだ。
――なぜ微笑むことが出来るのだろうと、背筋を冷たいものが走る。
「何をしても乾きが癒えないように。私の泉でしか潤せないように……そうしたらあの人は戻ってくるしかないから」
 呪詛の効果は覿面だったと言うしかない。
 老人は――海山憲治は確かに、常に乾いていた。
 物を得ても、財を得ても、家族を得ても――幸福を得ても。そうして死ぬ間際の今、ようやっとその渇きを癒そうとしている。どうせ死ぬ身だからと海山は笑っていた。
――死ぬなら、彼女に三途の川を渡してもらいたい。
 海山も薄々、気付いていたのだろう。共に生きようとした少女が人外の者であることに――自分が踏み入ってはならぬ所に入ろうとしていることに。
 そして気付く。自分は自分の世界を、捨てられないことを。

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