部屋に置いたままのリュックが気になるが、わざわざ取りに行くのも不審がられる。大人しく入った方が無難だろう。
 脱衣所に入り、汗と土まみれの服を脱ぐ。――脱いで、思った。
――そういやこれって。
――肌身離さず、ずっと身につけておきなさい。
 布団の中で、小さな老人が言った言葉だ。淡い水色の半袖シャツは、どこにでもありそうな普通の作りになっている。お守り効果があるとは思えないが――その効果を否定するだけの根拠もなかった。だが、さすがに湯船につかるのにシャツを身につけるのは、気が引けた。
 少しの間なら、とシャツを籠に入れる。その時、コンコン、と脱衣所の戸を叩く音がした。ぎょっとして、開けられる寸前のところで戸を閉める。
「なに?」
 うっすらと開けて、問う。袂をあげ、腕捲りをしている少女はタオルと着替えを差し出した。
「ありがとう」
 礼を言って受け取るが、少女は去る気配を見せない。
「……ええと、まだ何か?」
 頷き、自然な動作で脱衣所に入ろうとする。慌てて嵐は押し戻した。
――わかったぞ。
「いや、大丈夫だから。一人で洗えるよ」
 背中を流すつもりでいた少女は、きょとんとして小首を傾げる。なぜ、とでも言いたげだ。
「……じゃあ、ご飯の用意してほしいんだけど。腹減ってるんだ」
 合点がいった顔で微笑み、少女は小走り気味に廊下を走って行った。
――何なんだ。
 江戸、明治ならいざ知らず今は平成の世だ。背中を流しましょうか、などという気のきいた話は聞いた事がない。
 面食らってぽかんとしていた嵐は、はた、と気付き、自分の姿を見つめ直した。
「……入るか」
 家の古さから勝手に時代錯誤な考えをしていた嵐は、風呂の作りの良さに満足していた。広くはないバスタブの周りには木の板がはめこまれ、大きなガラス窓から薄く光が射しこみ、立ち上る湯気を照らす。
――しかし。
 湯船につかり、よくよく考えてみる。なぜ、自分は風呂などに入っているのだろうか。とにかく用があるだけで、このように歓迎されるいわれはない。
「嬉しいっちゃ嬉しいんだが……」
 ふう、と息をついた。
 籠の中のシャツが気になる。――あの言葉。
――肌身離さず。
 それは離したら、何かが起こるということか。先刻考えたように、シャツにお守り効果があるとは思えない。

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