嵐は肺に沢山の酸素を詰め込んだ。槇に指摘された通りである。運動不足が祟り、足の筋肉が悲鳴をあげている。
 槇は既に嵐を追い越していた。間宮を背負っていた高仲はゴールを果たし、嵐の言葉に忠実に、後ろを振り向かぬよう間宮をゆっくり下ろしている。
──走れ。
 槇もようやくゴールを果たし、膝に手をついて体を支え、肩で息をしていた。
 あとは自分。
 唇を噛み締めて荒い呼吸を繰り返す。
 きん、と耳鳴りがしたかと思いきや突然視界が白くなった。
「走れ!」
 槇の怒鳴り声が聞こえる。微かに振り返ったその顔は目を強く閉じていた。
──ああやっぱり。
 恐いんだ。
 槇さんも。
 露になっていなかった一点が見れたような気がし、完全に視界がホワイトアウトする。
 上も下も、何もわからなくなっていた。頬に当たる雨だけがやけに冷たい。
「この馬鹿が!」
 声が重なったような響きを持つ声が耳に飛び込み、白い視界から一足飛びに現実が呼び戻される。
 誰かが自分をひきずっている。そう感じるのと同時に、背中を一陣の風が吹きぬけた。
──疾風だ。
 視界の端に黒い小さな影が飛び去るのをとらえた。
 声は実際二人分だったのである。
 天狗と、槇の。
 背後からの圧迫感が消え失せ、嵐は大きく息を吐き出してようやく覚醒した。
「おい! 頓道!」
 緩慢な動作で立ち上がり、激しく咳き込んだ。口の中に雨水が入り気持ち悪い。
 視界の右端には交番の赤いランプが見えた。
「……大丈夫です。……来ませんね」
 確認の意を込めて問う。近くの高仲が前方を見ながら頷いた。
「バイク、いいですか」
「はい」
 高仲はそろりと立ち上がり、目を閉じた間宮の手を引いて蟹歩きに交番に入った。
 目を丸くして一部始終を見ていた同僚を説き伏せ、もう一度外に出る。交番の脇からバイクを引っ張り出し、思案の末、担ぎ上げて蟹歩きになり、嵐の側に戻る。
 前方を向いたまま嵐は立ち上がった。バイクのエンジンをかけ、またがる。
「俺が見て連れていくまで絶対見ないで下さい。視線があったら終わりですからね」
「気をつけろよ」
「守ってくれるのがいるので大丈夫です」
 ちらりと交番の上を見る。鴉が至極不機嫌そうに鳴いた。どうやらまだ餌場を失う気はないらしい。
「……本当だな」
 くすりと槇は笑う。大の男が三人して前を向いたまま直立不動でいるのは、何とも不思議な光景だろう。

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