そう考える余裕が出来ていた。
 それじゃあ、と言って第二レースに向かうようエンジンをふかす。
 息を整え、勢いよく後ろを振り返った。
──瞬間、全身を電流のようなものが走った。
 目、はあったのだろうか。
 バイクを急発進させる。風景が紙芝居のように流れ、嵐と後ろからの気配だけが違う世界にいるようだった。
 バイクを走らせながら男の容姿を思い出そうとする。だが出来なかった。
 どんなに思い返してみても男の顔が思い出せなかった。ただコートと帽子という風貌だけしか浮き上がってこず、顔の部分には影がかかっている。
 見てはいけない。
 思い出してはいけない。
 あれは、もう人ではない。
 住宅街から大通りに抜け、いくつかの交通規則を破りながらバイクを走らせた。
 車の間をすり抜け、信号で止まることなどないよう猛スピードで駆け抜ける。
 顔をつぶてのような雨粒が打ち付けていく。穿たれるのではないかと思うほど痛い。ヘルメットでも借りれば良かった。
 この辺りに町境はないのかと焦りが心を覆い出した時、突然迫るような恐怖感が失せた。
 あまりに唐突な展開に嵐はブレーキを踏むのを忘れ、歩道橋を過ぎた辺りでようやくバイクを止めた。
 背が軽い。どっと疲れが押し寄せ、嵐は犬のように浅い呼吸を繰り返し、段々と整えていった。
 そうしてゆっくりと周囲を見渡す。歩道、車道、店の中、どこを見てもあの男の姿はない。
 だが消えたなら誰かに見られたはずだ。
「……どこに」
 額にはりつく前髪をぬぐい、サイドミラーを見る。嵐は弾かれたように背後を振り返った。
 背後の少し上──歩道橋を渡る青い傘。その下からぎょっとしたような目が嵐を見ている。
──その後ろに。
 その少し距離を置いた後ろに、男が立っていた。近づくことも遠ざかることもなく、傘の少年が歩き出すのを機に後を歩く。
 傘をささずに、濡れぼそる帽子とコートをまとって。
──幸運を。
 嵐には何も出来ない。
 だからせめて、と彼の幸運を祈る。
 傘の少年は歩道橋を渡り終え、向こう側の歩道に下りようとしていた。
 そして、あの男も。
 青い傘が見えなくなるまで嵐は見続けた。そして自身の格好の異様さに気付き、少しバイクを走らせて途中の迂回路から対向車線に移り、交番に戻るべく走らせる。
 適正なスピードで走れば、雨粒もさほど痛くない。
 背ばかりが、異様に軽く感じていた。


四章 終り

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