嘘吐き姫は空を仰ぐ



嘘吐き姫は空を仰ぐ


 豪奢な窓を開けると澄んだ朝の風が吹き込み、部屋に滞る夜気を外へ追い出そうとする。風の思うままに長い黒髪を遊ばせ、少女は外を臨んだ。そして、苦笑する。
「……またかあ」
 様々に趣向を凝らした庭の果て、生垣の向こうに断崖が聳え立つ。その上端には雑草が青々とした顔を見せて揺れ、彼らは不屈の魂で断崖の上半分を侵食しつつあった。所々に小さな花を咲かせて、自らの生存権を主張する。雑草の向こうには過去に思いを馳せる地層が姿を見せ、しかし、そんな物思いに耽る人間がいない事を嘆くかのように鬱蒼とした表情を草花の下に隠していた。
 栄光を謳歌しているように見える植物たちだが、彼らも未だ手を伸ばし切れていない未開の地がある。それが断崖の下半分であり、上に比べてまだ水気を含む粘土質の地層がひょっこり顔を出し、緑豊かな庭や枯れた噴水を恨めしげに眺めていた。
 そんな絶壁が、彼女の住まう古城をぐるりと一周している。だが、隆起して出来たものではなく、ましてや進んで作ったものでもなかった。
 この城は日々、沈んでいるのだ。
 少女の目の前に聳える断崖絶壁は、かつて地面だった。そして断崖の上には城が統治していた時代の城下街の名残がある。今は人もなく、やってくるのは鳥か獣か宿無しか。朽ちるに任せるしかなく、風雨に晒された建物は段々と風化しているというが、今となっては見に行く事も出来ない。
「姫様、また顔も洗わないで」
 少女は振り返った。乳母のナーサが腰に手を当ててこちらを睨んでいる。寝間着姿のまま窓に頬杖をつき、絶壁を見上げていたルセイアは振り返って頭をかいた。
「ごめん。でも日課で」
「身支度も日課のうちです!」
 言いながらナーサは大きい体を揺らしてルセイアの部屋に立ち入る。その遠慮のなさは、赤ん坊の頃から彼女を育ててきたという親愛が成せる業であった。
 ルセイアは窓から離れ、ナーサが持って来た道具一式を見つめ、過保護な乳母を振り返った。
「……別に、持ってくる必要もないのに」
「これが私めの仕事です」
「だってもう私しかいないんだよ? この城。自分で顔洗いに行けるから」
「仮にも一国の姫で城主ともあろうお方が嘆かわしい……」
「ナーサってばもおー……」
 ルセイアは呆れたように嘆息した。一人しかいない主君にそこまでかいがいしくする必要はないのに、ナーサはいつまでたっても几帳面に仕事をする。毎朝、同じやり取りをしているのだが、両者は一歩も譲らない。勝敗の旗は地に伏したままだった。
 ナーサもずぼらな主君に呆れつつ、窓の外を仰ぐ。
「毎朝見て楽しいですかねえ、こんなの」
「楽しくないわよお」
 これ以上、ナーサの不興を買う事もあるまいと、ルセイアは彼女の持ってきてくれた盥に水を張り、顔を洗いながら応えた。それも不作法の一つであるとナーサは言いたかったが、ここは堪えておく。
 ルセイアはタオルで顔を拭きつつ、ナーサの隣に立った。
「毎朝、沈んでるのがわかるんだもん。でも、見なきゃ」
 ナーサは溜め息で応える。選び、行動しているのは彼女ではなくルセイアの方だ。極端に危ない事をしない限り、止めはしない。もっとも、あまりにも行儀が悪い場合は光の速さで手か口が飛び出てくるのだが。
「城のてっぺんが隠れるまで監視する事。それがお父様のご遺言だし、先祖代々の悲願なんだし。私がやらなきゃ」
「姫様……」
「でも、こんな面倒な事、子孫に押し付けないでほしいわよね、ご先祖も。やたら手間のかかる仕事残して最強の魔法士の一族とか、名乗るのも恥ずかしいわ。まあ、お陰で私には魔法のまの字もないわけだけど。これはこれで皮肉よねえ」
「……」
 ナーサの感動を音速で蹴り飛ばしたルセイアは、クローゼットに向かう。気楽な城主は唖然とする乳母を置いて、服を選び始めた。
 そんな一日の始まりであった。


 ルセイアの一日は暢気なものである。城主と言っても城を守る以外の仕事はなく、守るという仕事もただ城が何事もなく、沈みゆくのを見守ればいい。それだけであれば本当に良かったのだが、生憎と彼女の教育係がそれを許してはくれなかった。

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