遊園地の夜



 のんびり話し込んでいたエリゼは慌てたように病室を飛び出して行った。そんなに慌てたら怪我をする、とエルフが思ったのも束の間、案の定飛び出してすぐに誰かとぶつかったらしく、何か話している声が聞こえる。
 病院の関係者なのか、患者なのか、若い男の声だった。二人分の声がするが、主に話しているのは片方で、女性のような柔らかい話し方をする。もう片方の声は途切れ途切れにしか聞こえず、どこか弱弱しい。患者とその付き添いなのかもしれなかった。
 ふと、その声に聞き覚えがあるような気がした。
 知り合いなのだろうか、それとも妻が思いがけず大きな怪我でもしているのだろうか、とエルフがどうにか首を巡らせるのに成功させると、戸口から妻が顔を覗かせる。
「大丈夫ですよ」
 エルフの心配をよく見抜いている言葉であった。マスクの中に安堵の息を吐き出した時、戸口の前を件の二人が通り過ぎる。背の高い金髪の青年と中背ぐらいの黒髪の青年の二人連れで、エルフが会話の端々で感じ取った通り、金髪の方が黒髪を支えるようにして歩いていた。具合が悪いのか足取りは重い。
 金髪の青年は通り過ぎる間際にエルフを振り返り、泣きぼくろを添えた菫色の瞳に笑みを滲ませて会釈した。黒髪の方は愛想をふりまく余裕もないらしく、一瞥をくれただけである。金髪の方は妻にも軽く挨拶をして、黒髪の青年を支えながら歩いて行った。エルフはその二人から、目を離せないでいた。
「……知り合いかい?」
 体が段々と覚醒しつつある。声や言葉は難なく出るようになっていた。
 妻はいいえ、と答える。
「初めてですよ」
 でもね、と言って口許に手をあてて笑う。
「黒い髪の方、ひどい二日酔いだそうで、私とぶつかったことで今にも吐きそうになってしまって。大変ね」
 当人の苦痛を思えば笑って話すことでもないだろうに、エリゼの言い方は楽しそうであった。疑問符を頭上に点滅させながら、エルフは微かに浮かした頭を枕へ戻す。
「それなら……後で謝らなければ」
「そうですね、後で一緒に行きましょう。まだしばらく、この病院で休んでいるそうですから」
「ああ……」
 いくらか腑に落ちないものを抱えながら答えるエルフをよそに、妻は病室を出ようとする。
 その背中へエルフは声をかけた。
「なあ」
「はい?」
「わたしの知り合い、でもないのかい?」
 わたしの、とつけた注釈が、不思議と身に馴染む響きを持っていた。エリゼは柔らかな笑みを浮かべて答える。
「そうなれたらいいですね」
 意味不明の言葉を置いて、彼女は病室を出て行った。
 エルフは首を傾げ、しかし、彼女が戻ってくればまた話す機会もあると大きく息を吐く。力を抜いてベッドに沈み込む体は、徐々にエルフの指揮下へ戻ってきていた。同時に、体に残滓として温もりを落とす高揚感も。
 エルフは顔に笑みを浮かべた。
──随分、楽しい夢を見ていた気がする。
 妻が戻ってくるまで夢の細部を思いだしてみようか。そうすれば次回作の構想に役立つかもしれない。
 エルフ=ツィーネマン、十一作目となる新作長編、題名は──「遊園地の夜」。
 あの弾けんばかりの光と色彩の海を思い、エルフは心の中でペンをとった。


終り

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