Piece23



 ディコックの死を知らされたあの日、背中に追いすがるようにして聞こえた声から逃れようと耳を塞いで、あの時は逃げることに成功した。
──今度は目まで閉じなければならないのだろうか。
 一体、どこまで逃げればいいのか。ギレイオはこの時初めて、母親の中に巣食っていた途方もない感情の奔流に打たれ、自分にはどこへも行くところがないのだと思い知った。
 それこそ、肉親さえも自身の居場所ではないのだと。



 静かな日々が続いていた。ディコックの死は悲劇的ではあったが、ダルカシュの生活を極端に変えるほどの力は持っていない。冬を終えて春が訪れ、そして夏を間近に控える日々は彼らにとって忙しいものだった。移動の時期がやって来るのである。
 それでも、冬ほどの旅支度はいらないのが彼らを気楽にさせ、誰かを思いやる余裕をも与えてくれた。ディコックの死は強大な力こそ持っていなかったものの、ダルカシュの誰にも等しく痛みを与えたのは事実だったからだ。そこから早く立ち直るには、一番の関係者たちの心を癒すのが先であると彼らは判断し、今まで以上にギレイオたち家族に関わるようにしていた。
 ホルトはそれを歓迎し、始めは戸惑い気味だったウィリカやギレイオも次第に慣れていった。彼ら家族とダルカシュとの距離は思いがけず、歩み寄ることが出来たのだった。
 ただし、家族間の距離は広がる一方である。
 ギレイオは一人でいることが多くなった。勿論、そんな時は積極的に周囲が声をかけていき、呼ばれれば輪の中に入ることもあったが、そうでなければ誰とも口をきかない日さえある。それは家族とて例外ではない。
 ウィリカは進んでギレイオと話そうと努力した。だが、根本的なところで彼女はギレイオのことを理解出来ておらず、ギレイオは最低限の会話だけをすると逃げるようになり、ウィリカもまた、そんな息子を避けるようになった。仲の良かった二人が、と皆は囁くが、ギレイオは誰にも自身が見たものを話しはしなかった。
 一方で意外な人物がギレイオに歩み寄ろうとしていた。それは一番にギレイオを嫌っていたホルトである。
 ディコックが亡くなった時の言動は誰もが知るところであり、彼女が持つ闇の深さを垣間見た瞬間でもあった。当然、ギレイオも避けるだろうと周囲は思っていたのだが、ホルトが傍で仕事をしていてもギレイオはウィリカの時のように逃げることはしなかった。会話と言える会話もないのだが、短い言葉のやり取りはしているようで、ギレイオが唯一、ダルカシュの中で話し相手としたのはホルトのみとなったのである。
 誰もがこの流れに驚いたが、結果としては悪くない。二人でどうにか立とうとしているのなら、一番危ういウィリカを自分たちで支えてやろう──それが周囲の総意となるのに時間はかからなかった。
「落ちたよ」
 ぼうっとしていたギレイオはホルトに言われ、足下に落ちた棒を取った。家畜を追い回すのに使う道具である。目の前では山羊たちが草をはみ、ギレイオの傍らにはいつもの犬の代わりにホルトがいる。犬はウィリカの立ち位置だった場所で職務を果たしていた。

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