049.洗い立ての匂い(2)
「わたし、あれから何度も考えたわ。何度も何度も、馬鹿みたいに。ピザを頼んでたらとか食堂が雨漏りしなかったらとか、ハリケーンが来なかったらとさえ思ったわよ」
手を大きく振ってネイサンに向き直る。目を赤くしながらも口許に浮かんだ笑みは自嘲そのものだった。
「でもどうしてよ!彼女が死ぬ理由なんてそのどこにも無いわ!わたしには彼女を助けられたかもしれなかったのよ……!」
「お前が代わりに買い物に行けば、か?」
穏やかにヘレエの言葉を聞くネイサンの態度は常には無いものだった。指摘されてヘレエは声を詰まらせる。
駄目だ、堪えきれるものじゃない。
「行ったら今度はお前が死んでたかもしれないんだ。安易に「自分の所為」とか「自分が代わりに」なんて言うものじゃない。アカシだって自分の代わりにお前が死んだら、今のお前と同じ反応したと思うぞ」
「でもわたしは自分が許せない」
「オレだって自分が許せない。多分あの場にいた全員がそうだ、でも、許せないからって自分すら粗末にしていい理由はない。それは死んだ奴らや今一生懸命生きている奴らへの冒涜だ」
いいか、と言ってネイサンは体ごとヘレエに向けた。
「生きるってことは誰かの為なんだ。他人かもしれないし自分かもしれない。そして何かの拍子で簡単に」
ぱちん、と右手につくった拳を左手の平に打ち付ける。
「影響を受ける。それならいいさ、「自分の所為」って言えるのは生きてる奴らの特権だ。でもな、死ぬってのは誰の為でもない」
ヘレエは涙を堪えながら話を聞いていた。
「マルコはベストを尽くした。その結果があれだ。あの犯人に影響を与えられるのは死んだ奴らの方だ。お前じゃないし、それはオレ達のするべきことじゃない」
静かな廊下にネイサンの声が反響する。病院は眠りにつこうとしているのだ。特に病室のみのここは、おそろしく静かである。
「オレ達は命の最前線にいる。だから涼もベストを尽くした。それでもアカシは死んだ。それを、お前は自分の所為とか言って今生きている奴らも冒涜するのか?違うだろう」
「……違うわ」
「そうだ、違う。アカシが死んだことが仕方ない事だって言ってるんじゃない。自分を責めるなって言ってるんだ。簡単なことだろ?お前のそんな様子見たら、アカシだって落ち着いて眠れないだろ」
堰きとめていたものが一気に溢れ出し、両頬を伝った。
「死んだ奴らにオレ達が出来ることなんて限られてる。後悔はその中で一番、非生産的だ。だから今のお前がやるべきことは一つ。溜め込んでるもの全部流して、飯を食ってスコッチ飲んで次の患者に備えろ」
流れ出す涙をそのままにヘレエはジョーイの病室へと視線を転じた。
「アカシは、あいつを恨んでるかしら」
「それはあいつだけの感情さ。オレ達が踏み込んでいい領域じゃない」
「わたし達に助けてほしいって、叫んだのかしら」
「……もしかしたらそうかもな」
「わたし達は、それに応えられた?」
しゃくりあげようとする喉を押さえ、ヘレエは涙を目一杯に溜め込んでネイサンを見た。
揺れる黒い瞳を見据えて大きく頷く。
ヘレエは口を手で覆って、耐え切れずに声を上げて泣いた。ネイサンは震える肩を抱き寄せて、子供をあやすように背中を軽く叩いてやる。
「本当はオレの胸は高いんだぞ」
茶化す言葉もヘレエの声にかき消される。アカシの葬儀からこっち、彼女は一度も泣かなかったのだろう。後悔ばかりが先に立って、泣くことすらおこがましいと思っていたに違いない。
「……でも今日は友達割引だ、タダで貸してやるよ」
飯でもスコッチでも付き合ってやろう。そうしなければヘレエは自ら折れてしまうような危うさがあった。
この泣き声が少しでもあいつの耳に届いてればいい。医者の自分達に死んだ人間の代行をする権利はない。
ただ、自分達はひたすらに命を救うだけなのだ。それがどういう結果に転ぼうと、その手に救えた命の重さには変えられない。
──オレは医者だから。
ヘレエの髪からほのかに香る洗い立ての匂いを間近にしながら、彼は彼女の肩を抱き続けた。
ようやく、親友の真実が見えたような気がした。
終り
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