047.雨上がりの午後(1)
掛け声と共に出されたそれぞれの手を見て、アカシは恨めしく思った。
「……」
「神は君に微笑んだようだ。僕はブラック」
「残念、オレはスープ。コショウ無しで」
「わたしはマフィンとブラック。マフィンはブルーベリーね」
マルコにネイサン、ヘレエは各々希望を述べてからカルテを手に取り、広い受付カウンター内から職場へ戻っていく。ジャンケンで負けたとは言え、この大雨の中を買出しに行けという事に何ら罪悪感は感じないのだろうか。
多分、感じないだろう。自分だってジャンケンに勝ったら感じない。それでも広い受付から見える外はバケツどころか樽をひっくり返したかのような降り方で、見ているだけで億劫になる。
大きく溜め息をついて三人の注文をメモに書き殴り、そこへやって来たハワードを振り返った。
「ハワードはご注文は?」
「なんだ、君が今日のウェイトレスか」
カルテを片付けながら金髪の青年は笑う。
「ネイサンかマルコだったらウェイターになれたんだけど。ご所望とあらば今から変わってもいいわよ」
「いや、遠慮しとく。皆は何を注文した?」
三人の注文を読み上げる。ハワードは苦笑した。
「本当に自由な奴らだな。じゃあ彼らに習ってぼくはプレーンマフィンにシナモンワッフル、スープはお任せでよろしく」
メモを取りながらアカシは怪訝そうに見やる。
「気遣いってものが無いのかしらね、ここは。それだけ食べるなら食堂行きなさいよ」
「自由な気風って言うんだよ、ここは。それに、残念ながら食堂は雨漏りで閉鎖中。こないだのハリケーンでやられたのが効いたの、知らないの?」
「知ってるわよ。ジャンケンなんかしないで大人しくピザでも頼めば良かった」
「ぼくもそう思うけど、ちょっと遅かったな。まあ、ゆっくり行っておいで。今日は患者も少ないから」
「本当に」
大きく息を吐いて腰に手をあてた。
「こんな雨じゃよっぽどの急患じゃない限り、外なんか出たく無いわよね」
「車両事故が無いことを祈るばかりだ。じゃ、頑張って」
手を振って新たなカルテを手に取り、処置室へ向かう。
ぼんやりその背中を見送っていると、不意に大きな音がした。
「まるでお人形よね」
わざとらしく音をたててカルテを置いたのは、受付のヘンリーである。名前は男のようだが、実際はアカシも羨むスタイルの持ち主の女性だ。艶やかな黒髪を結い上げたうなじは男でなくとも見惚れてしまう。
ペンをくるくるとさせながらヘンリーはアカシに詰め寄った。
「品行方正を絵に描いたようだわ。この病院じゃ珍しい」
「他のスタッフに殺されるわよ」
平気、と言って離れる。
「皆もそう思ってるだろうし。というわけであたしはカプチーノ」
「はいはい」
「今日は君が負けたのか?」
憤りをぶつけるようにメモしているとタカミネがファイルを片手に受付のカウンター内に入った。そのまま電話の前へ直行する。
「元気なことだ」
「当番制にすればいいのに」
「皆ばっくれてどうせあんたに回ってくる気がするけど、あたし」
アカシの提案にヘンリーが現実的な一蹴を見舞う。思わず睨んだアカシの視線から逃れるようにしてヘンリーは事務仕事へ戻った。
「喧嘩はやめてくれ。病院でけが人なんて洒落にならない」
一部始終を見ていたタカミネが番号を押しながら言う。冷静な指摘はタカミネの性格だが、この場合少しぐらいは不運な自分の味方をしてもらいたいものだった。
ファイルを開いて電話口で相手が出るのを待っていたタカミネだが、十秒ほど経っても出ないのか、溜め息と共に受話器を置く。
「患者の家族か何か?」
タカミネの注文を待っていたアカシが問う。タカミネはかぶりを振った。
「個人的な用だ」
「あ、そ……」
「私はブラックでいい」
「マフィンか何かいります?」
「いや、食べる暇がない」
苦笑してファイルを手に取ると、来た時と同じ速さで、今度はカルテを片手に受付を出て行った。その背中を見送りながらヘンリーが小さく呟く。
「タカミネ先生って人間じゃないわよね」
「……血は通ってるわよ。採血したことあるけど」
「違うって。あれだけ働いておきながら目の下にクマもついてないのよ。あれは完璧なワーカホリックね」
「タフなだけじゃないの」
「……いちいち反対するわねえ。あんたこそ目の下のクマ、何とかしなさいよ」
「うそ」
ヘンリーに指摘されて慌てて真っ黒なパソコン画面を見る。映った顔色はやはり黒く、しかしそれも画面の所為だとわかって恥ずかしくなる。
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