036.先生と生徒


 サガミは一気にビールを飲み干した。炭酸特有の刺激が喉を通り過ぎ、腹へ到達した途端かすかな不快感と酩酊が彼を酔わす。

「そう、やっと死んだ」

「先生も一応人間だったわけだ」

 研究所の一室でサガミの酒盛相手を務めるヒギツが相槌を打つ。白衣でビールを飲み交わす男二人。日常化しているこの光景を咎める者はいない。あわよくばタダ酒を頂こうとする連中ばかりである。

「十年前に体の各部に癌が転移してこりゃ死ぬなーと思ったら、開発途中の医療用使って生き延びてさ。それから癌転移のあった箇所ぜーんぶ総とっかえして、享年百幾つだぜ?我が師ながら恐れ入ったね」

「え、あの人百いってたのか」

「百十はいってたはずだぞ。俺、百十歳の誕生日呼ばれたし。それだって何年前だか」

「クローン開発の第一人者つってもさあ、もう時代が変わったってのに気付かなかったのかね。若い奴らが話してるの聞いてさ、思わず頷いたもん。何てあだ名ついてたか知ってる?」

 サガミは柿の種をつまみながら「いや」と言った。

「最新鋭の怪物」

「はー……そりゃ大層なお名前だ。俺なんか死にぞこないっつってたぞ」

「それ、先生聞いたら喜ぶよ。でも怪物はねえよなあ。先生のお蔭でクローン技術は発展したようなものだし。それでも若い奴らにゃ遠い過去か」

「俺にしても遠い過去だね。百年前つったら何?ミレニアムとかで大騒ぎしてたんだっけ。コンピュータが誤算するって」

「そうそう、今や誤算なんてありえないのが前提だもんなあ。クローンだって百年前なんか人道に反するだの言って殆ど研究されなかったんだろ。時の流れっちゃ恐ろしいわな。医療用だの実験用だの言って堂々と道外してんだから」

「ああ、でも法律が制定されるんだっけ。クローンにも人権を認めるっつう」

「話にあがってるだけ。制定なんておれらが生きてる内にされりゃ良い方だ」

「え、そうなの?」

 ヒギツは自分のビーカーにビールを注ぎ、サガミのビーカーにも注いだ。

「お前少しは新聞読めよ。先生もびっくりしただろなあ、皆クローンの恩恵にあやかってるはずなのにって」

「どうかねえ……俺さ、百十歳の誕生日呼ばれたっつったじゃん?その日に先生に訊いたわけさ。酔ってた勢いともうすぐ死ぬかもしれないし、ってので」

「不謹慎な動機だなあ。それで何を?」

「先生はどうしてクローンを作ろうと思ったんですか」

「おお、珍しくまともなこと訊いたな」

「馬鹿言え、俺はいつでもまともだよ。そしたらさ、先生何て言ったと思うよ」

「さっさと言え」

 サガミはわざと声を変えて、先生の真似をした。

「わたしはクローンを殺すためにクローンを作ったんだよ」

「……はあ!?」

「俺はそん時、わが身を振り返ったね。今まで何の為に先生についてきたかって。ぶっちゃけた話、この先金になる分野だと思ったからなんだけどさ、それだって誰かの役に立つことが大前提だろ。先生だって一応は人間だし?そこで俺は一気に酔いの覚めた頭でまた質問したんだな。クローンが嫌いなんですかって」

「答えは?」

「わたしは人間が嫌いなんだ」

 ヒギツはひゅうと口笛を鳴らし、背もたれに背を預けた。

「人間嫌いのクローン嫌いか。それでお前はどう出た」

「ああそうですか、猿でなくてすみません」

 淡々としたサガミの口調にその光景が思い浮かび、ヒギツは大声で笑い出した。サガミは顔をしかめる。

「あのなあ、結構ショックだったんだぞ。敬愛してやまない先生が実は人間不信のクローン嫌いで、ってことは生徒に対する愛情も何も上っ面だけのもんって気付いてさ。それでも笑える?」

「敬愛かどうかはともかくさ、おれ何と無くわかるよ」

「へえ?」

「クローンはさ、人間が堂々と罪を行える媒体なんだよ。医療用も実験用も、軍事用も家庭用も。その用途って人間相手には犯罪だろう」

 ヒギツにならい、サガミも背もたれに背を預ける。

「人間の姿をしてもその誕生の仕方も生い立ちも、人間本来の道から外れてる。そこで人間様は安心するわけ。こいつらは同じじゃないって」

「だから何しても良いって?」

「そんなもんだろ。個人が一線引いてるわけじゃねえもん。世界全てがクローンに対して一線引いてるんだからさ、そりゃもう個人の範疇で片付けられるものじゃなくて一つの常識になる。クローンを使うのが常識でありステータスであり、使わないのは非常識でステータスにもとる。常識化されたものは罪にならないからな」

「それで知らんうちに罪を重ねて、そこに快楽を覚えるとか?」

「いると思うね、おれは。聖人君子なんているわけない。人間誰しも、いつも誰かを傷付けたいと思ってる。親であれ子供であれ、恋人であれ、他人であれ。罪に溺れたいんだ」

「溺れきったら死ぬしかないじゃないか」

 言って、サガミは「ああ」と息を吐いた。

「それが罪に走らない一線か」

「多分。だからクローンは良いんだな。堂々と罪を重ねても誰も何も言やしねえ。それが罪だなんて誰もわからないし、万が一気付いても咎められない。世界の常識になったからね。今度は咎める奴が罪になる」

 いつの間にかビールの泡が綺麗におさまり、ふつふつと底から小さな泡が上り行く黄色の液体となっていた。

「はい、そこで先生の格言その一」

「わたしはクローンを殺すためにクローンを作った?」

「先生に何があったか知らんけどね、先生は人間の中にある罪への羨望っつうの?それを知ってたんじゃないか。だから罪の媒体となりうる人間の似姿を作って、人間がどこまで罪に走り、いつそれに気付き、罪を改める──まあつまりクローンを殺すのか見たかったとおれは予測する」

「じゃあ先生の格言その二は」

「人間不信?……お前わかってて訊いてんじゃないだろな」

 いいや、と言うがその顔はにやにやとヒギツの答えを待っている。睨みつけて返すヒギツに、サガミはかすかな苦笑をもらした。

「俺は先生の壮大な嫌がらせだと思うね。俺も先生に何があったか知らんが、クローンを使って罪を重ね、しかもそれに気付かない安穏としている連中に対する嫌がらせ」

「おれもそう思う。ただもうちょい肯定的かな。嫌いだけれども気付いてほしいって」

「否定的で悪かったな。俺が思うに、先生は自分も自分の家族も嫌いだったんじゃないか」

 聞きながら、ヒギツは泡の消えたビールを飲み干す。

「先生は自分の体のまま死にたかった。人間の罪の権化って言うのか……クローンに生き長らえさせられるのは一番の屈辱だったと思う。現に癌転移が見付かってからの移植手術って、全部家族の手配だって言うぜ」

「先生は死にたかったって?」

「俺の否定的意見によると、そうだな。自虐じみた嫌がらせだ。それが先生のクローンを作った目的なのかもな」

 言い終え、喉の渇きを潤すように口に含む。微かにぬるくなっていた。

「クローンに人権認められたら、先生どんな顔するかな」

「全世界の人間に向かって中指たててざまあみろ」

「じゃあおれは化けて出てくる方に一票。馬鹿野郎どもが、もう一回正してやるって言いそう」

「うわ、やだなーそれ。講義を思い出す」

「おれ、そのつもりで言ったんだけど。全世界の人間に向かって大講義。きっと耳が痛いぞ」

「俺らまた生徒やるわけ?勘弁してくれよ」

「じゃあおれらは先生の助手ってことで。はい先生、そうです先生、確かに皆馬鹿でした」

 ヒギツも酔ってきたのだろうか、いつになく饒舌である。自分のビーカーに残り少ないビールを注ぎ、「結局さ」とサガミは口を開いた。

「こうやって話してようやくわかる程度だから、やっぱ先生って怪物なんだな。得体が知れないってことで、若い連中の言う事は的を射ていたわけだ」

「おいサガミ、それ最後だぞ」

「先生と生徒ってさー、永遠に理解しあえない怪物同士だよなあ」

「詩人になるのは後にしろよ。酒!」

 ヒギツの恨めしそうな顔など物ともせず、喉を見せて飲み干すと、サガミは勢いよく立ち上がった。

「よし、先生を偲ぶ会の二次会行くぞ」

「これ偲ぶ会だったの?」

「いいっていいって。男二人、寂しく先生を偲ぼう」

「花がなくて寂しい限りだ。お前のおごりな」

 立ち上がり、ドアに向かう。自分よりも遥かに飲酒量の多かったサガミがおごるべきと考えたのだが、どうもその辺りの常識は彼には通用しなかったようである。ドアを開けながらしきりにワリカンを主張した。

「金欠研究員におごりなんて持っての他」

「ああ?つか、お前の方が飲んでんだぞ。ほら、おれなんかビール瓶半分しか……」

 空の瓶を指して言うが、サガミは無視を決め込んだ。呆れかえり返す言葉もなく、しかしそれが彼の性質なのだと軽く落胆する。

 ドアを閉めて電気を消し、のろのろとサガミの後を追った。



終り


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