037.新しいギター(1)


 こんこん、とドアを叩く。無音がそれに応え、彼は脱力を禁じえなかった。

 呼び鈴を押そうかとも思ったのだが、生憎壊れた呼び鈴は押しても無反応で、拳でドアを叩きつけ、来訪を告げるという原始的な技をとった。

 聞こえなかったのか、それとも本当に留守なのか、どちらでもいいと嘆息し、停めてあるパトカーに戻り無線をとる。

「こちらクロム。本部いるか?」

 すぐさま若い女の声が応える。

「通報のあったベイリンガ通り16番地に向かったが、留守の模様。とりあえず近所を巡回してから通常巡回に戻る。いたずらだろう」

 了解、と短く答え、無線は切れた。

「少しは労えっての……」

 本物の通報はやはり良い気分はしないが、いたずらの通報ほど腹の立つことはない。しかも運悪く近くを巡回していたものだから、例えいたずらであれ確かめなければならなかった。嘘が本当に発展しないように。

 運転席に乗り込み、ちらりとその家を見やる。

 固く門戸を閉ざした家は拒絶感も露にそびえ立つ。そこだけ時間が止まっているかのような錯覚を覚え、しかし周りは確かに時間を刻んでいるという差が、不気味だった。

 酒とストレスで膨らんだ腹はシートベルトを拒み、クロムはエンジンをかけてパトカーを動かした。やれやれ、俺も年だな。

 変な音が聞こえる。クロムを動かした元凶の一報はただそれだけだった。具体的なことは述べず、それだけ言うと慌しく電話を切ったという。

 人間関係が希薄になった今、ご近所のことで通報し、ばれたらどうしようなどと心配する輩か、あるいは単なるいたずらか。

 後者なら殴るどころでは済まないが、前者であるならクロムにもある程度の責任が生じる。実際何か音がしたのならクロムには聞こえなかっただけで、通報者には確かに聞こえていたのだろう。その辺りの真偽を確かめなくてはならなかった。

 最近の機械というのは恐ろしく性能が良い。たった数秒の通話でも使用者の番号を割り出し、番号がわかればおのずと場所もわかり、場所がわかれば使用者の名前もわかる。

 芋づる式にわかっていくこのシステムに、クロムは微かな恐怖を抱いていた。

 だが、そのシステムから抜け出すのは容易なことではなく、だからこうしてクロムは簡単に通報者の家の前にパトカーを止めることが出来る。

「すみません」

 パトカーを降りて、庭の手入れをする柔和そうな女に声をかける。例の家が右奥に見えた。確かに近い。これなら何か音がしたらすぐにわかるだろう。

 女はさっと表情を強張らせる。クロムは説明はいらなそうだな、と安堵した。

「……見てきて下さったんですか」

 女の方から話を切り出す。話の主導権を握ろうということか。

「ええ。ですがね、何も異常はありませんでした。どうやらお留守のようでしてね」

「聞こえたんですよ、本当に」

 クロムの関心が削がれぬよう、慌てて言葉を継ぎ足す。

「そこのお宅から、何だか小さな声のような壊れたオルゴールのような……ええ、そりゃもう不気味な音で。本当に確かめてきて下さったんですか」

 自分に非は無いとばかりの言い様である。長く相手にしていると、こちらの気分が悪くなりそうだった。

「ちゃんと見てきましたよ。ノックまでしてね」

「ノック?呼び鈴は使わなかったの?」

「壊れてましたよ。知らないんですか」

 女は言葉を飲み込んだ。成程、呼び鈴を押して訪ねあうほどの間柄ではないわけだ。これなら慌しく電話を切った理由もわかる。

 クロムは嘆息し、帽子を被りなおした。

「とりあえず巡回していきますから。通報する時はもっと具体的にお願いしますよ」

「じ、じゃあ、そこの家よ。うちの後ろの。あの家の後ろにもあたるから、そこから聞こえてきたのを間違えたんだわ」

 あくまでも女は自分を正当化するつもりである。その勇気に少なからず感心し、また同時にやっかいなことをと苛立ちを隠せない。「わかりました」と言って歩いて行こうとしたクロムを女が慌てて呼び止めた。

「ちょっと、パトカーどかしてくださいよ。うちに何かあったと思われたらたまらないわ」

 徒歩一分もかからぬところをパトカーでしずしずと進み、クロムは今日何度目かになる嘆息をついた。もっと大きい事件を追いたい。例えば、つい数ヶ月前に起きた家庭用クローンによる殺人事件。あれほどでなくてもいいから、もっと活躍してみたい。

 しかし自分は結局、いたずら電話の真偽を確かめる警官以外にはなり得ないことをクロムはよく知っていた。

 最初に訪れた家の真後ろにあたり、通報者の家が右手に見えるその家は周囲の家に比べいささか小さい印象を受けた。よくよく見てその印象が間違っていないことに気付く。

 二階がないのだ。その上大きな樫の木が家を覆うほどに枝を広げ、ただでさえ小さな家が更に小さく見える。家を囲うジャスミンの生垣は手入れをしていないのか、自由気侭にあちこちへ伸びていた

 絵本の中の家のようだと、クロムはビールっ腹を揺らし、庭のアーチをくぐりながら思った。

 小さな家と同じく小さな前庭は驚いたことにきちんと手入れされ、芝も刈りそろえられている。生垣も手入れすればいいのに、と見回したクロムの目に一人の人物が目に入った。

 家の前に置かれた、錆びた白い椅子に座り目を閉じる男。

 あまりにも景色に馴染みすぎて気付かなかった。その上まとう雰囲気が老成されたもので、始めは老人かと思ったがよく見ると髪の長い若い男である。それもクロムもよく見知った顔。

「……おい」

 低く声を発する。威嚇するための声だ。ところが男は身じろぎもせずに瞼を開き、ゆっくりとクロムを見据えた。

「こんにちは」

 にこりと微笑み、座りなおす。警戒した風はない。自然な動作だった。

「お前さん一人か」

「ええ。今のところは」

「家庭用だろう。こんなところで油を売ってていいのか」

 また、ええ、と答えてクロムを見る。新聞にあった顔と同じだ。家庭用クローンの顔。この男は例のクローンではないが、いつ暴走するかわからない、とクロムは自然と腰に下げた拳銃を触っていた。

「ぼくは誰も殺しません。安心していいですよ」

 見られた。冷や汗が一気に溢れ出す。クロムは平静を装い、にやりと笑った。

「じゃあ何をしてるのか聞いてもいいかね」

「待っているんです」

 あまりに端的な──それでいて美しい表情で言うものだから、クロムの精一杯の警戒心は脆くも崩れた。ああ駄目だ。俺はきっとこいつに拳銃は向けられない。体中の緊張を深い嘆息と共に吐き出し、拳銃から手を離した。

「信じてもらえましたか」

「とりあえずはな」

「それでどういったご用件でしょう」

 クロムはようやく自分の本来の職務を思い出す。

「この辺りで変な音を聞いたという通報があってな、それで巡回をしてる。何か聞いたかね」

「変な音」

 呟いてみて「ああ」と得心がいったように微笑む。彼は椅子の脇から一本の古びたギターを取り出した。

「これじゃないでしょうか」

「それが?小さな声だとか壊れたオルゴールだとかいう話だったが」

「いつもここに置いているんです。この家は風の通り道になっていて、それでギターの弦が共鳴してそう聞こえたんじゃないでしょうか。ジャスミンの枝が弦をひっかけて音を鳴らす時もありますし」

 椅子の脇で伸び放題のジャスミンの枝が揺れている。さっきからどうにも心地よいと思ったら、丁度良い風が吹き抜けていたのか。

 クロムは頭をかいた。通報の元凶はこの古いギターにあると見て間違いないだろう。


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