035.沁みついた、花


 さて、これから見せる絵から言葉を連想してごらん。

──くそくらえ。

 白衣の男の微笑を思い出し、鳥肌が立つのを覚える。

 何で今、こんな時に限って。

 どうせならあの質問、クローンの誰もが持つという本能的な問い。

 しかし彼は、自身の本能まで破壊衝動に淘汰されていたことを知った。

 アンダーグラウンドで微生物の如く一気に繁殖し、凄まじい生命力でもって市民権を得つつある試合がある。

 戦闘用に作られた違法クローンを戦わせ、どちらか一方が倒れるか死ぬまで続けるという試合だ。

 初めは眉をひそめていた国もクローンの戦闘技術の高さに目をつけ、アンダーグラウンドで活躍する技術者を国の機関に招待している始末である。

 そうして国の技術の粋とアンダーグラウンドが結託して出来たのが、軍事用と称した破壊衝動しか持ち合わせていない狂った人形だった。

 彼等に感情はない。反抗心もない。ただ忠誠心と破壊衝動のみに突き動かされる、新しいクローンだった。

 ああそうだそうだ、思い出したよ。オレの背景を。

 彼は地べたに蹲っていた。体をくの字に曲げ、胎児のような体勢をとる。

 あの白衣の男は彼の僅かな人生の中で、随一に腹の立つ男であった。

 何が面白いのか、誕生したての彼に毎日、本や絵や音楽を見せたり聞かせたりする。もとより脳に様々な言語の辞職が刷り込まれていた為、本や音楽の解読は難なくこなせた。

 鑑賞してごらんよ。

 鑑賞の意味もわかる。彼の中には現存する言語全てが組み込まれていた。それは全て、いるのかもわからないテロリストや薬品や武器から、己の身を守る為のものである。決して自身を高める為のものでない。

 次第に、男は絵だけを持ってくるようになった。

 いやに肌の白い女。どこを見ているのかわからない男。変なポーズをとった連中。到底、絵とも思えぬ落書きのようなものを見せられた時もあった。

 返答に窮する彼を面白そうに見て、男は決まって言う。

 何か言葉を連想してごらん。

 出来るわけがない。彼には忠誠心しかなく、一つの問いに対し一つの答えしか出ない。

 連想とは、彼の回答法から大きく外れていた。

 ふざけるな、と彼が絵を破り捨てると、男は困ったように笑う。

 参ったな。君の中には沢山の綺麗な言葉があるはずなんだけど。

 現存するクローンの大元は、ある吟遊詩人だったという。男はオリジナルとクローンの関連性を証明する為、彼を試していた。

 くそくらえ。誰がてめえの為になんか。

 模範回答をすれば解放されるなど、彼は露ほども思い付かなかった。

 ただ腹立たしさだけが募る。かまわれるのが無性に嫌だ。オレが忠誠を誓うのは国だけなのに。オレはただ殺すだけでいいはずなのに。

 オレの中は空っぽなのに。

 空っぽだったはずであり、彼はそれで満足していた。彼にとって当然のことを、彼自身で否定することはかなわない。

 ところが死ぬ間際になって、空っぽでない自分がひどく恋しい。

 その中に、何が本当は入る予定だったのだろう。

 ああ腹が立つ。ぶらついていたら不意討ちなんて。クローンが嫌いなら別の誰かにしろよ。家庭用ならごまんといる。どうしてオレなんだ。

 なあ、あんた、と知らず、あの男を思い出していた自分に、また腹を立てる。

 心臓が脈打つたびに血が噴水のように噴き出た。始めはあった痛みも、時間と血液の減少と共に鈍磨しつつある。

 こりゃ駄目だ、戦闘時に必要と教わった医療知識がこんなところで役に立つとはね。動脈やられたらおしまいだよ。

 連想してごらん。

 しつこく尋ねたあの男。一体、彼に何を期待していたのかわからない。今この瞬間まで、彼は男のことを腹立たしい人物としかとらえてなかったからだ。

 ああ腹立たしいね。

 男は、彼にもわからない空っぽの部分を理解しようとしてくれたのだから。

 こうやって死のうとしてんのに来やしねえ。オレだってさあ、一つだけ気になったのあるんだよ。

 ほらあの花。花瓶に入った黄色だかオレンジだか赤だか、とにかく明るい色なくせして、しょげたような面してる花。

 あれならさ、オレも連想出来た。

「きみは一つの泡沫か」

 今更になって蘇った質問。破壊衝動から彼の本能が解き放たれた瞬間だった。しかし頭が重く、睡魔なのか雲なのか、いやにぼんやりとする。

 うたかた。泡のことだよな。んでもって儚いんだっけ。

 質問が消えないように、彼は急いで答える。

 何で皆オレに訊きたがる。面倒だ、一緒に答えてやるよ。

 くそくらえ。

 心に沁みついた花が、にわかに光に照らされ顔を上げる。そうそう、それだよそれ。

 ひまわりだ。

 彼の空っぽの中に、からん、と何かが音をたてて投げ込まれる。それに気付いた頃、彼は至極満足そうな顔で階段を上り始めていた。

 一つの花を持って──心から離れない、沁みついた、花を持って。



終り


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