第二十三章 麦の穂



「かもしれない。……しばらくはこうしてゆっくり話すことも出来ないだろうから、今のうちにそうしたいだけかもね」

 興味を引かれたようにロアーナが顔をこちらに向ける。その顔を見ながらアスは立ち上がった。

「手が空いたら収穫祭をやろう。バルバストがやりたいって言ってるんだって」

 静かな部屋には風の音とアスの声しか響かない。落ち着いた口調がその静けさに拍車をかけていた。

 アスは目を伏せて続けた。

「秋の麦畑は海みたいで、本当に綺麗なんだ」

「エルダンテにそんな畑はないわ。夢想話はやめて」

「……エルダンテの話じゃない。私の故郷の話だよ。焼けたけどね」

 段々とロアーナの心がアスに向いていく。

 アスは僅かに表情を暗くして呟いた。

「……戦争が起こるんだ。村や畑や街が焼けるのは免れないと思う。ロアーナはそういう村や畑や街を守れる?」

 ちらりとアスの顔を見た目を再び下方へ戻す。その先に包帯に包まれた右手があるのを認め、アスは逡巡した後に口を開いた。

「その為に、その右手を治させてほしい」

 ロアーナの表情が一変する。静かな顔からは何も得られず、返答に喘いだロアーナは声を張り上げる。

「それが偽善っていうのよ!自分でやっておきながら何様のつもりよ……!」

「偽善でもいい。でも、自分がやったことの償いは自分でする。……だから、私はロアーナからも逃げたくない」

 一瞬、ロアーナは言葉に詰まった。罵る言葉は沢山浮かんでいるのに、それを口にすることが出来ない。逃げないと言ったアスを前にして浮かぶのは、ずっと目を反らしてきた自分の弱さと涙だった。

 アスは一歩退き、困ったように小さく笑う。

「いつでも待ってる。皆戦うことになるから、その中でロアーナには守る人でいてほしいんだ」

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