硝子同盟

それが僕らの命日だ


ゆさゆさと、肩を揺さぶられ意識が浮上した。瞼を開いたままで寝ていた所為で乾いた眼球を随分と高くまで昇ったお日様が直撃する。UVカット入りレンズを挟んで狭まる視界の、隙間をくぐり抜けて私を苦しめる陽光がいやらしい。ノー眼鏡ノーガードの目全体に実体のない光の攻撃を浴びるよりは、ずっといいのだけど。

「おはよう」
「とど、ろき、」
「おう。死体みてぇになってるぞ。あとその寝方どうにかなんねえのか? 毎回ぎょっとする」

覗き込んでいる人物の顔までははっきりしないが、こんなにも目立つ色の短髪の持ち主は知らない。逆光と、前髪が作る影の中でも光を湛える双眸の反射光がただでさえの明るさに重なって眩しかった。
覚醒まではまだ足りないが、神経の機能し始めた身体には感覚がしっかりと戻っており、共有スペースの硬いソファを陣取り横になっていた報いだろう、肩やら腰が内部から痛んだ。
「まだ寝とくか?」問って来る轟の指先が、位置がずれしまって気持ちの悪い状態で鼻先に引っかかっている眼鏡のブリッジにかかった。んー、と唸るだけで言語化された返答をせずにいると、ブリッジを引っ張られ、やや浮き上がる。が、当然つるというものが存在するわけで、耳裏に引っかかってうまく外せないわけで。眠っている鼓膜ではうまく聞き取れなかったが、轟が呟いたのは、おっと、いけねぇ、とかそんな一言だったと思う。今度は両の耳裏に指が滑り込んできて、器用に眼鏡を浮かせると、次には目元に触れるものがなくなっていたのでそのまま奪われてしまったようだった。
刹那、ばっ、と私は起き上がる。ぎょっ、と軽く刮目した轟がそこにいたので、視線で訴えて眼鏡を戻してもらう。ぐ、と顔を軽く突き出すことでまたしても訴え、轟にかけてもらった。かけさせたその眼鏡のブリッジとフレームを軽く押し、位置を整える。
ソファに正しい格好で座り直すと、元々そうするつもりだったのだろう、轟もソファに腰掛けた。私の右隣に、でも他人らしく、ただの同級生らしく、其れ相応の距離を保って。

「お前、眼鏡必要だったか? いつもはかけてねえのに」
「ううん。これUVカットのためだけのやつだから。ついでにブルーカットも。申し訳程度だけどね、お家用」
「大変だな」
「吸血鬼には生きづらい世界だよ」
「…………」
「わ、私の顔に何かついてる?」
「……いや、」
「そう」
「顔じゃなくて」
「えっ」
「寝癖ついてるぞ」
「ええっ、どこ?」

この辺、と轟が自分の頭で私の毛の跳ねている部分をつついて教えてくれたのに、私の手は大分見当違いの場所を撫で付けたらしい。しょうがないと言いたげな面持ちで私の手を取り、跳ねているところまで導いてくれた。「嗚呼、ほんとだ」びょこんと持ち上がったが髪が、頭から浮かせた掌にあたる。結構派手な寝癖なんじゃないか。

「なまえ。少し、話せるか?」
「ごめん。」

轟が過去に触れようとしているのがどこかから伝わってしまい、反射的に拒否をして席を立つ。逃げの姿勢で先ほど指摘された寝癖を言い訳に洗面所へと足を向けた。だが、思いとどまり、踏み止まる。

「ごめん、やっぱり、話したい、私も」
「……寝癖ぐれえは直してこいよ」
「あ、いいの? ごめんね」

***

理解も尊重も度を超えてしまえば美しい原型を留めてなどおけるはずがない。ぐすぐすに腐って崩れてしまった恋慕は、醜かった。
私達が壊さないよう必死に守ろうとしていた相手は、眼前にいる相手ではなく自分の中に勝手に作り上げた、想像上の相手だ。押し付けのイメージに囚われてしまったが故の盲目。フィルタ越しに私が見ていた轟はとても儚げな人だったから。私もまた自分は救う側ではないという思考から抜け切れてはいなかったから。
何より私は轟から貰うばかりで、奪っている、そんな決して錯覚などではない罪の意識に押しつぶされそうで。

「私が居る所為で轟を殺してしまうんじゃないか……って、それが怖くて。だから、」

逃げてしまった。自分がいる所為で壊れゆく轟を見たくなかったから。

「俺はそこまで弱くはねえぞ。少なくとも、今は」

知っている。否、知ったんだ。
緑谷の激昂があって、あれほど憎んでいた左を解放した、闘技場のあの姿を見て。
鮮やかに燃え盛る炎を半身から轟々と噴き、火明かりに明暗をはっきりとさせた顔にぎこちなさげな笑みを湛えた――瞬間が、脳裏に焼き付いている。
本当に、何を、何に、何で、私は恐れていたのだろう。私なんかが弾いて壊せてしまうほど轟は弱くも脆くもないというのに。

「何も信用全部預けろとか、預けたいっつってるわけじゃねえよ」

ただ、と繋いで。

「俺は緋織を信じたい」

それは、願いだ。
信じたいなら、信じればいい。――そうじゃない。無理だよ。私は、自分で自分を信じてなんかあげられない。でも信じたいから、もしかすれば誰かを救えるくらいになれば自分を信じられるかもしれないから。エゴイズムで出来た夢を、夢見ている。

「どうしたらいいのかわからないの」
「そのどうするかを探そうとすればよかったんじゃねえかな。あんときに」

相手を信じて託さなければチームプレーは何も始まらないということを、期末の実技試験で思い知ったのだと。目を細め、笑みを乗せた薄い唇で轟は言う。

「血をやるだけが全部じゃないが、他に接し方がわからなかったんだ。具体的な、優しくするっつうことが。
母はちゃんと俺に優しかった。――俺にとっての優しさ、とかそういうのは多分母だ。でもずっと忘れちゃいけねえことまで忘れようとしてたから、わからなくなっていたんだ……と思う」

優しさの表し方は大きく分けて二つと聞く。自分が人にして貰って嬉しかったことを自分もまたお返しという形でしてあげるか、自分がして欲しかったことをしてあげるか。轟はきっと前者なのだと思う。
何もして貰えたことがなかったから、何もできなかった。だがして貰えなかったというのは思い込みで、実際は幸せな記憶ごと辛い記憶を葬り去ってしまっていたから。表現法を忘れていたに過ぎないのだ。
優しさには優しさで返したいのに、優しさが見えなくなってしまっていたから何もすることが出来なかった。さながら鏡だと思ったけれど、それでは困る。吸血鬼は鏡に姿を写せないから轟にも気づいて貰えない。
うん、と。何を肯定したのか自分でも定かではないけれど、私はこっくりをした。

***

ふわ、と漏らした何度目かのあくび。

「眠そうだな」
「ん……、ちょっとでいいから、」
「なんだ?」
「肩、貸して欲しい」

あぁ、と彼は言って力を抜き肩を楽にした。私はずいと彼の方に距離を詰めてからそこに頭を乗せて目を瞑る。頭一つ分の重みを預かってもらう左の肩は子供みたいに高めの温度で、そこに触れることを禁じざるを得ない太陽を感じる。
寄り添うってこうすればいいのかな、ふと考える。
未完成の私たちには身に余る恋慕はどうか箱の中で眠っていて欲しい。いつか取り出す日が来るまで。そのいつかまで。
今は私もただ眠りたい。陽だまりから逃れた、しかしぬくもりを近くに感じられる私達の家で。この人の隣で。


(二人で笑いながらウィスキーを飲める日が来たとしたら、)
それが僕らの命日だ

硝子同盟 fin.


2017/08/04

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