硝子同盟

ふたりの鼓動が似すぎていたから、勘違いしちゃった


――今日もハイツアライアンスは平和です。

「みんな、きちんと水は飲んでいるのか? 熱中症対策を呼び掛ける我々が対策がなっていないようでは示しがつかないぞ。水分を摂ろう!」

暑かろうと、きっと寒かろうと変わらない飯田の調子。共有のソファに腰を落ち着け――とてつもなく行儀が悪いので、ここに横になるのは人がいない時だけだ――、うとうとと頭を揺らしていた私の肩は飯田のよく通る声に跳ね上がった。

「だって、なまえちゃん。水飲もう、水。貧血低、血圧もまずお水からだよ」

はい、とお茶子ちゃんに差し出されたコップの中でゆらゆらと水面が揺らめいていた。少し困りながらありがとうと受け取って、口に運ぶ。口づけたコップの一部分から口内に攻め入る水が舌を覆って。思わず、顔を顰めてしまう。
「そんなにお水まずそうに飲む人初めて見たよ」と隣に座ったお茶子ちゃん。私は個性的にちょっと水がだめなのだ。うえぇ……。

「なまえちゃんは血を飲むんだよね。自分のじゃだめなの?」
「……お茶子ちゃんはレバーが食べたいからって自分の肝臓取り出したりするの?」
「……そっか〜」

納得してくれたならよかったです。

その時。「海に沈められてーか糞が」となんとも物騒な言葉が聞こえた。一目ならぬ人耳で誰かが機嫌の悪い爆豪の逆鱗に誤って触れてしまったのだ、とわかる辺りが爆豪だ。さすが。

「ひゃー、バクゴーくん朝から元気だね」
「沈めるって……沈めるといえば、とっ、東京湾だよね。コンクリートで固めるのかな。落とし前に小指使うかな〜」
「なんでちょっと嬉しそうなん、なまえちゃん!?」

***

台所のシンクにことんとコップを置いた後。

「今日もヒーロー研究? 熱心だね」

意識を研究と考察に注ぎ込んでいた彼には、私は突然ひょっこりと現れたように見えたのだろう。「うわっ!? みょうじさんいつの間に……」と、私をみょうじなまえと認識した彼の反応は、私が話しかけた時の他クラスメイトと似たようなものだった。

「ちょうどよかった……! みょうじさん、君に聞きたいことがあって。期末の時のあの、突然消えたと思ったら突然出てきて殴る、あれってどうやってるのっ?」

ノートとペンを構えて愛嬌のある瞳をきらきらとさせる緑谷。普段の彼からは想像もつかない勢いと熱意で詰め寄られたことにドギマギしてしまいながら、押され気味に私は「う、うん」と言った。
「そっか、カメラじゃ細かいところまでは捉えきれないんだ……」と呟く私と、首を傾げる緑谷。

「あれは霧状化だよ」

私の答えで、緑谷の頭上の疑問符は解消されて消えるどころか増えたようだった。
返信の能力の一つが霧状化。一番の使いどころは恐らく肉弾戦だろう。相手の拳が自分の腹にめり込むすれすれで霧散し、物理攻撃を無効化する。風ばかりか僅かな空気の揺れに着地点を左右されてしまう不便な初見殺しの能力だが、初見であれば十分に殺せる。
それがカメラを通して観戦していた彼の目には私が一瞬にして跡形もなく消えてしまったかのように見えたのだろう。薄くかかる霧や煙など完全には拾いきれないだろうし、確認できたとして姿を消す技のエフェクトと捉えるのが自然だ。誰もそのエフェクトが散り散りになった私本体だとは思うまい。
緑谷へのネタばらしは後々痛手ともなり得るが、物理攻撃を無効化できる私に対し、腕や足を駆使して戦う物理攻撃特化の彼では単体では影響力はほぼゼロ。そういうわけ、と話を結ぶ。

「ただでさえ強い怪力に加えてそんなトリッキーな戦術も扱えるとなると相当に幅が広い……。やっぱり強いね、みょうじさん」

まぁ、その分致命的なものも含めて弱点も多いのだけど。とは言わないでおいた。私みたいなのがいるのだから言霊とているだろう、と。

だって私は――吸血鬼様は怪力無双、変幻自在で、もひとつおまけに神出鬼没ですから。

「それから、あと、その、ごめん、もうひとついいかな?」
「……うん?」
「雪戸さん、轟くんと何かあった?」

***

恋は盲目、とは一体誰が唱えたのだろう。
轟を思うあまり盲目的になっていた私は、何も見えていないということに気付けずにいたのだと思う。それが“盲目になること”の真の意味。それ以外の道が見えないことに疑問すら抱けない。なぜならそんな思考の隅は彼によって埋め尽くされてしまっているから。それはとても甘美で、反面とても恐ろしいことだ。
私達はお互い好き合っているようで、私は彼を、彼は私をまるで信じていなかった。彼の信用にかなわなかった私の強さは彼に必要以上に私を守らせた。私が信じられなかった彼の心の深い部分が、少しだけ支えて背中を押してあげるだけでよかったところを共依存の手前にまでいざなってしまった。互いに寄り添うには零か百かの極端な考え方が過ぎてしまった。
相手を傷つけない道を選び取り続けて、空回りの堂々巡り。轟だけを見つめているようで、私は自分の中に作り上げた轟の虚像を見つめ、愛でていた。まるで途轍もなく脆くって、指先で触れてしまえばもうその瞬間から崩壊を始めてしまいそうな儚げな硝子細工。あろうことか私はそれを自らの手で粉々に砕き、使えなくしてしまったのだ。
決断は誰の眼から見ても懸命であったと云えよう。
自分を殺す拳銃の、引き金を自ら引くにも等しい言葉を放つ直前まで、私の手は轟の手と握り合っていた。彼が唯一愛せる右の手と。いつか繋いでいない方の手も同じように愛せると良い。自分ごと父親を否定し憎まなくてもいいように、なるといい。それは祈り。でもきっと十字架や神の手に触れたものを弱点とする吸血鬼では、叶えては貰えない。
たった一言、心では願ってなどいない願い事を唱えるだけで終止符を打ててしまう関係はやはり途轍もなく脆いものだ。
虚しさの置き土産は罪に対する罰として心に住み続けている。

***

今からちょっとだけ前の事。
お別れからもやはりちょっとだけしか経っていない頃の事。
客の引いた花屋の店先、鮮やかな赤を咲かせる薔薇の花が一輪、私を誘うように揺れていて。呼ばれているとすら思えて、足を止めた私とその薔薇は暫しにらめっこの状態を続けた。
吸血鬼の天敵、薔薇の花。しかし不思議と嫌悪は湧かない。

――愛を知った吸血鬼は薔薇に生かされるようになる。

離れる時すら断固として流さなかったのに。今更とても真っ当な、正しそうな感情のかたちに気づいてしまって。涙が出そうだ。


2017/08/02
2017/08/06 修正

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