硝子同盟

正義感だけで君は救えるんだね


回想2。

5分休み、暇つぶしに開いた本は朝のホームルーム前の時間でもう完走してしまっていたと、開いて栞の位置を見てから思い出した。
息を吐き出した時、何やら女の子がざわめいたので私は何だろうと目線を持ち上げる。すると、あっち、あっち、と女の子たちが扉の方をぴんと伸ばした人差し指で指し示している。私に向けて言っているのかな、と首を傾げながら自分で自分を指さしてみると、そうそう! と頷かれたので席を立った。
扉前に群がる数人の女の子達の頭の上に鮮やかな赤と白、二つの色の髪が伺えて。はっ、と襲い来る何か、衝撃にも似たものに私は刮目をした。視線を合わせる私と轟を見届けると満足したのか、解散する彼女たちは最期に、彼氏とごゆっくり〜、なんていう冷やかしの文句を残して行く。

「わりぃ、ちょっといいか」

ざわざわというざわめきに加え、こそこそ囁き声までもが生まれ始める私の背後。自分とは無縁の色恋沙汰に興味津々な彼等彼女等がいては不都合だったのだろうけど、轟に腕を引かれて教室から連れ出されてしまったのは、ちょっと、これから逢引きをしますと公言をしてしまっているかのようで。
実際には他の生徒の邪魔にならないように扉から少し距離をおいた程度だったが――別に私はがっかりなんてしていないけど――教室内からはちょっとした死角となる位置だ。身を隠す必要があることをされていたら、していたら、と思われていたらと思うと後々に待っている質問大会もとい尋問タイムの対応が面倒くさい。轟が最近いくら抜けているところが見え隠れするようになったからって、モラルやデリカシーを落っことして育ってきたわけじゃあない。彼はこんなところでそんなことはしない。――しない、なんてことはなかった。
耳元に唇を寄せられて、反射的に身を縮こませてかたく目を閉じる。息遣いを感じられるところまで詰められた距離。だけど身体中どこにも触れるものなんて、私の触覚を刺激するものなんて、ない。

「大丈夫なのか、血飲んでねえみてえだが」
「う、ん……」
「どうした?」
「だ、いじょうぶ。平気だよっ」

いけない、なんだかだめな気がした、いけない気がした。
――しない、なんてことはなくは、なかった。それはよかった。それは。今度よくない状態になってしまっているのは私の方だ。轟がその薄い色の唇を開き、言葉を紡いだその瞬間、背中を駆け登るものがあって、肌が粟立てられた。言葉を象ることすらままならないような状態の私の口では、上擦った返事をするだけで一杯一杯で。

「辛くなったらちゃんと言えよ。他に頼める奴いねえだろ」

そう、これは秘密の話。誰にも聞かれてはならない内緒の話。それを私の耳にだけ届くように轟は紡いだというだけの話。彼に他意はない。
ぽん、と私の頭に轟の手が置かれた。くしゃ、と髪を巻き込みながら左右に動くこれは、嗚呼、さりげなく撫でられているのか。見上げた、二人分の遺伝子を強く引き継ぐ双眸は淡く優しく曲げられていて。触れられても家族と同じように受け入れられるのは、彼の中で打算という概念が微塵も働いていないから。
なら、私は。私の感情は彼が受け止めるに値する純度を誇っているのか。
これは。胸中で渦を巻くようなこれは。好きだとか恋だとか愛だなんて言葉で果たしてそれは固めてしまっていいものなのか。そんな儚くて慈しみ深くて美しげな、そんな言葉で終わらせてしまっていいものなのか。危なげで手綱を離せば今にも暴れ出しそうな欲望に成長するであろうこれを、綺麗には言い表せない。

「じゃあまた帰りにな」

約束が一つ結ばれた。轟が行くのを見届けて、私もまた戻ろうとするとひょっこりと瞳を輝かせる女子生徒が頭を覗かせた。私は愛想笑いを顔に浅く刻み込む。
嗚呼、本当に私は愚かだ。自分の事しか見ていない無意識無自覚の利己主義者。これでは困っている人は放っておけない轟を利用してそばにおかせてもらっているようなもの。フィクションでは怪物として扱われる吸血鬼をも救おうとするヒーローは、平気で生命の根源である自身の血をも恵んでくれようとする。そんなヒーローの救いを申し訳ないと断りながら、しかし隣には在りたくて。
いつか私の存在が少年の優しさを誘発し、間接的に、それでいて密接に死に関わってしまうかもしれない。
日常としてそこら中に溢れかえっている喧騒が鼓膜から遠のいた。


2017/07/24

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