硝子同盟

夜を開いて抱き締めて


回想2。

「その歯で血吸うんだな」

あーん、とみっともなく口を開けて、少年の首筋に歯を立てようとしたその瞬間。つい先日自らの手で作り上げてしまった出来立てほやほやの前科と、繰り返そうとしている罪に彼は端麗な無表情を崩さずに塩を塗り込んできた。
きめ細やかな宝珠の如き肌。そこに自分の牙の形の穴を開けてしまうのは忍びないようで、反面前回は味わう余裕もなかったがこんな人の血ならさぞかし美味なのだろうという期待もあって。心の中で天使と悪魔の姿を持ち、せめぎ合うそれら。それらを振り払って、轟の皮膚に傷を作った。
吸い上げれば、満たされる食欲。理性が罪を叫ぶのにも、御構い無しに全身を下から上へと駆け上るよろこび。その快楽は、まるで花を折るときのような。

「ごめんね、轟」不意に漏らした謝罪。「何が」なんて彼は問って来る。

「血……」
「別にこれくらい構わねえよ。それに、当たり前のことしただけだろう」
「当たり前……?」
「あぁ」

倒れそうになっている、文字通り血を吸う鬼の怪物に自身の血液を分け与えることは、私の知る人間社会の常識としては刻まれてはいない。だがその怪物が困っている人に分類されるなら、困っている人を救うのがヒーローだから、血に飢え困っている怪物も救われる。そんなざっくりとしすぎた当たり前になら、異例の私でも該当できるのかもしれない。

「――かっこいいね」

それは羨望。
天と地がひっくり返っても、私は怪物だ。存在が恐怖を与え、迷惑を作り出す。物語ではいつだって退治されるモンスターで、個性といえば聞こえはよくてもほとんど障害だ。
そんな私の血色の目には人を救うことは夢みたいに輝かしいものとして映る。かっこいい。かろうじて家族揃って種族は人間だから、哀れみの視線を突き刺されるだけで済んでいる。特に私の吸血欲求は野生を剥き出しにした衝動的なものじゃないし、肌は数時間なら日光にも耐えられて、直接太陽を目で見なければ瞬時に灰になってしまうこともない。だからこそ。他者に被害をもたらしにくく、生きづらい私だからこそ。同情を浴びるのだ。守られる対象なのだ。
救われる側にしかなり得ない私に、人に手を差し伸べる側の彼らは眩しい。

「私には無理だもの」

目を伏せた私に「無理でもないと思うけどな」降りて来る言葉が優しく触れて、顔を上げた。きゅ、と喉の奥が締まって、息が詰まりそうになる。今にも熱を持ちだしそうな目頭を誤魔化すように、ポケットの生徒手帳に手を伸ばす。手帳に挟んでおいた絆創膏数枚のうちから、ひとつ、中くらいのサイズのものを取り出すと、ぺりぺりと紙を剥がした。糊の塗ってある面に指がくっついてしまわないよう、しばしの戦いを繰り広げた後、自分が噛み付いていた轟の首元まで持っていく。ぺた、と吸血痕を覆うように貼り付けることに成功。任務完了だ。

「そういや今日は舐めないんだな」
「さすがに気持ち悪いかなって、思って。持ち歩くようにしたの。止血とはいえ他人に舐められるわけだし。治りは遅いと思うけど、ごめんなさい」
「吸われてる時点で一緒じゃねえか?」

あ、はい。そうですね。舐めるのが申し訳なくて常備するようにしていたんですけど、あなたがいいなら次からは遠慮なく唾液で止めます。

「みょうじはヒーローになりてぇのか?」

そもそもそんな発想は私の中に生まれてきたことすらなかった。
ヒーローはかっこいい。憧れだ。だが追いつきたいなんて真っ当な憧れじゃない。自分と彼らは違うと、線引きをするために使う都合がいいもの。彼らの結果ではなくプロセスだけを自分の生活に取り込んで、活力にしようとしている。
問いの答えに私は首を振る。でも目の前の綺麗な人は。

「吸血鬼のヒーローも俺はいいと思うけどな」

夢に、いざなわれた。


2017/08/03

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