硝子同盟

つながらないわたしたちの心


棚の奥から自分のグラスを引っ張り出すことに成功した、直後だった。微かに私の手の甲が手前に置かれていたグラスに触れてしまうと、それだけで。手前のグラスはぐらりとバランスを崩し、傾いた。自分の分をしっかりと手に持っておくことで一杯一杯だったこと、それからただただ、やってきた“突然”が引き連れてきた“予想外”に驚いてしまったこと。それらがちょうどぴったりとうまい具合に重なり合ってしまい、私は呆気なく落下を始めるグラスを見守ることしか出来なかった。自分も立つ床に吸い込まれるようにして――落ち、砕ける、スロウモーションで目に飛び込んでくる様子に、見入っていた。
刹那、ばきんっ、と。甲高く、直前までは食器だったものが床と接触を遂げ、悲鳴を上げた。その断末魔は、硝子作りの器と同時に、私のぼんやりと霞んでいた意識も伴い、砕けた。
がたがた故に角を多く作った硝子は四方八方に尖って威嚇をしているようだった。腰を落としつつ手を伸ばすと小さなとんがりが指の腹を掠めた気がした。ばらばらに崩れ原型を留めていないグラスに、持ち主への申し訳なさを募らせる。
そこへ。どうした、と声が転がる。ひょい、と私の目線の上から顔を覗かせたのは轟だった。

「見たとこ怪我は無いみてぇだが。切ってないか?」
「う、ん。平気」

瞬きを繰り返しつつ返事をする。その時、ぼたぼたっ、と数滴の鮮血が床に落ちた。指を見る。見覚えはないが身に覚えはある傷があった。

「……ざっくり切れてるじゃねえか」
「本当だ。でも私は舐めとけば、」
「なわけあるか。……いやそういやそうだったな、お前は」

舌で唇を割り開くと、ちらりとだけ覗かせて「そうよ」とばかりに見せつける。早く止めろと口下手な轟に目だけで催促をされてしまったので、私は作られたての傷口を舌で撫ぜてあげた。つん、と鼻につく鉄の臭いと舌先に纏わりつく独特で、それでいて慣れた味。美味とも何とも感じないが。

「このコップ誰のだったのかな。どうしよう、弁償とかになったら。バイトする時間ないのに」
「気にするな」
「そうはいうけど。持ち主に申し訳ないよ」
「……? 俺のだぞ、これ」
「な、尚更ごめんなさい。というかそうなら先に言って欲しかった」
「すまん」

立場が逆になってしまった。
ごめんね、と再び謝罪をすると轟もまた再び気にするなと言ってくれた。
瀬呂から借りてきたテープでぺたぺたと床の細かな破片を回収することまで、どうしてだか轟も手伝ってくれている。何だって今更優しくしてくれるのだろう、とは思うけれど結果的に助かってしまっているので口には出せない。そこもまた彼に利用されているのかもしれない。轟はやはり表情からは胸中を読み取り辛いからもやもやとしたものは消えてくれなかった。
そうして、暫く、「新しいグラス買って返すね」「別にいらねぇよ」というようなやり取りを繰り返し続け、最後に押し切ったのは私だった。


2017/07/04
共用スペースのあれが食器棚ではございませんでしたら、ごめんなさい……。

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