イエスマンの命日

笑うフリして泣く三日月


もう一体何を選び取れば正解なのかわからなくなってしまった。
丸くて黄色い球状の顔に、裂け目とも思える三日月形の口。この世に完全な球というものは存在しないと云うが、だとすればこのひと(?)の顔の形状もそうなのだろうか。黒いローブの真下から何本もの触手を引きずり教室を歩く姿は何とも形容し難い。強いて言えば火星人かタコとなるが。
殺せんせー。
どうやら由来は「殺せない(殺せん)」からなのだそうで、「先生を殺せ!」からではないらしい。茅野さんという緑の髪の女の子がくれた名前なのだと、にたにたのデフォルト顔を更ににんまりとさせ粘り気のある声色で殺せんせーが教えてくれた。
零れる笑いは乾き切った苦々しいものばかりで、愛想を振り巻き続ける気力の残量も心もとない。
地球破壊爆弾が服を着て歩いているようなタコと、卒業までの半年間を共に過ごし、ぶよんぶよんのナイフと頼りないBB弾でその首を狙う生活を送る。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだが、しかし。今の私も彼らも教師と生徒という立場以上に爆弾魔とその人質としか考えられない。政府公認の人殺しという大義名分を背負わされ、逃げだせば人として扱われない。正直な話、これならばまだ捧げられた生贄の方がマシだった。

「みょうじなまえ、です」

テンプレート中のテンプレートである、宜しくお願い致します、とは添えなかった。
笑顔を繕ってまで仲良しこよしをしたくなかったというのが半分、もう半分は若干二名――数える単位は果たして人と同じ扱いでいいのだろうか――ほど人間離れした存在感を放つ者がありそれを気にする余り、というのがもう半分。人間離れと柔らかく言ったは良いものの自分と同種族扱いをするには無理がある。ひとりは担任、もうひとりは教室隅に平然と置かれている何か、黒い箱のような、TVのような、そんな機械だ。いやあれほんとマジでなに。聞いてない。
黒板からは一番遠い最後列の席に言われた通り腰かける。
長くも短くもない丈のスカートの裾をきつく拳で握りしめ、目を瞑った。黒板の前に立たされていた時からずっと意識に触れ続けていた小さな水色の鮮やかさがきつく瞳を閉ざしても尚、瞼の裏に残り続けた。

***

「あ、あの、みょうじさん……?」
「えっ、あ、……――あ。潮田、渚君だっけ」

危うく過ぎた歴史の彼方に置き去りにしてしまう所だった少女のような少年の潮田渚という氏名を手繰り寄せることに成功した。

「覚えててくれたんだ」

自分から名前を聞いておいてさすがにそんなに酷い事……と表面上はずっと記憶に留めておいた風に装うが、彼の予想通りとまではいかずとも忘れかけていたとは絶対に悟られてはならない。
視界の隅にて知覚していた少年の存在は気のせいなどではなく確かなものであったようで、想定外の余り望ましくない再開を遂げる瞬間がついに巡って来てしまった。
何か用でもあった? と椅子に腰かけたままで首を傾げてみると、彼は控えめな声量の返事と共にこっくりをした。

「放課後に、クラスの皆で竹林君の所に一度行ってみよう、って話になったんだけど……」

みょうじさん、どうする?
決定権をこちらに委ねる優しくも自信の無さげな物言いだった。大方私だけを置いて行けばハブる事になってしまうから何とか、という思考の末に声を掛けてくれたのだろう。

「私は、いい。遠慮する」

関係ないし、と嘘偽りの無い心が素直に炸裂するのは普段と変わらず胸中だけで。本当は彼の為に作文をする義理だって無かったのだ、浅野君が関係してさえいなければ。竹林さえいなければ、私がE組との接点を持つなどあり得なかった。あり得るはずがなかった。だが肝心の竹林はここにはもういない。
私の答えに「そっか」とほんのわずかに肩を落ち込ませて、潮田渚は私の前を去っていく。
あの眼鏡をもう一度引きずり込めれば、私は自動的にA組の席に戻れるだろうし、それは連れ戻して再び共に殺しの隣にある生活の中で学びたい彼らと利害が一致している。だがここにきて意地汚い本性を曝け出し敵を作るのはリスキーの過ぎる愚策に他ならない。ひたすらに恨まれないよう嫉まれないよう妬まれないよう、そのために目立たないよう生きてきた、今までの日陰人生を真っ向から否定するのはあまりにも悲しい事だ。自分の生き方を自分で気に入らないと、嫌いだと、散々文句を言いながら結局捨てられず、捨て切れず、ごみ屑も同然のプライドを大事に手元に置いておく。馬鹿だ。とても、我ながら。


2017/04/19

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