イエスマンの命日

眠らない夜の為に


ぞろぞろと体育館に入場してくる休みボケの抜けない面持ちでいる灰色の軍勢の一部となって、だんまりと沈黙を背負いながら足を動かす事と極力存在感を主張しない事だけに全意識を注ぎ込む。

『さて……式の終わりに皆さんにお知らせがあります。今日から……3年A組にひとり仲間が加わります。昨日まで彼はE組にいました。しかしたゆまぬ努力の末に好成績を取り、本校舎に戻る事を許されました』

「さ……話しておいで」

舞台袖、饒舌を振るう荒木を見守るべく五英傑の面々が揃う中、やはり私は場違いで。でも1時間後の未来にはそれを気にすることもできない生活が待っている。
仄かな笑みを曲げた形の整った唇に乗せて、浅野君は紙を手渡すと共に柔和な声色で眼鏡の人物を華の晴れ舞台へと送り出す。

『では、彼に喜びの言葉を聞いてみましょう――竹林孝太郎君です!!』

ガタッ、というノイズを散らしながら今しがた設置したマイクの状態を整えると眼鏡の彼は口火を切った。

『僕は、4ヶ月余りをE組で過ごしました。その環境を、』

その環境を一言で言うなら地獄だ、と彼はこの直後にそう続けるはずだ、と彼の声に先駆けて予想を立てれば、案の定。足りない頭なりに必死に算盤を弾き何とか捻り出した、それは私の言葉達。他ならない浅野君の申し出でなければ手ずから生み出すことなどしなかったであろう、気持ち悪いほど綺麗で模範的な学生らしさを強調した不気味な文字達。
「あれで、よかった? 竹林……くん、の作文」ちら、と高い位置でほくそ笑んでいる浅野君の瞳を伺うと、「上出来だ」と嬉しい一言が返ってきた。
本当に、貴方は意地悪だね。
密かに発した私の声は彼の耳にはきっと届かなかった。
竹林孝太郎がA組に復帰するかどうかは本人の意思に委ねられたのだそうだが、そんなこと、本人の了承を待たずして結果も結末も手に取るようにわかることではないか。無いとわかっている癖に、僅かばかりの、申し訳程度の希望を持たせようとする理事長のあの嫌な微笑が脳裏に蘇り、私はぶんぶんっとかぶりを振った。スイッチの入れられてしまった回想を自ら打ち止めることができずに私の膝は無様に不格好に笑い出す。
進学校のレベルに着いていけずに途中で降り落とされてしまった脱落組――通称『エンドのE組』は学園生活のあらゆる面で差別待遇を受ける絶望的な極悪環境だ。整備も環境も整った本校舎への復帰を許されて、そんなチャンスを見す見す逃すような生徒など、腐っても椚ヶ丘の人間なのだからいるわけがない。負け組の弱者から勝ち組の強者になれると人参をちらつかせられて、頷かない、はずがない。
底知れぬ深い深い闇の中に差し伸べられた救いの手――差し出された甘い蜜は噛み締めればきっと何倍もの甘美さをもって脳を狂わせる。
A組に混ぜ込んで置くにはやはり私の成績は幾らか足りなかったのだと思う。だがたとえ勝ることは無くてもB組の連中には決して劣らない順位だ、底辺にまで落とされるなんて理不尽があっていいはずがない。そう思っていた。だが竹林を前にして、己の立場というものを此処で今、ようやっと私は悟った。A組における竹林の席を空けるために私は彼とすり替えられて、半ば追い出される形でE組に送られる。それ即ち、人数合わせの生贄だ。
私の抜けた場所に座る彼の読み上げる文の執筆を一番迷惑を被った私に任せるとは、浅野君は本当に良い性格をしている。

『……二度とE組に堕ちる事の無いよう、頑張ります。以上です』

灰色の軍勢を見渡せば、眼を一杯に見張る者、頬に嫌な汗を貼り付けている者。それぞれが十人十色の反応を示していたが、その最中、浅野君が自らの手を打った。ぱちぱちぱち、と連続して手を叩き、その動きを繰り返して歓迎の拍手音を体育館に生み出す。

「おかえり、竹林君」

徐々に広がりを見せる拍手はやがて全校生徒を巻き込んで喝采となった。
おかえり、よく頑張った。偉いぞ、竹林。お前は違うと思ってた。
なんて調子の良い連中だろう。捻くれた脳内を展開しながらも拍手一つすら逆らえない自分も中身はどうあれ行動は同じなのだから、同一視されてしまっているに違いない。大嫌いだ、そんな自分が、世界で一番嫌いなのだ。
「なまえ」背後から私を呼んだのは、振り返るまでもなく浅野君だとわかった。

「お疲れ様」

温かな労いの情なんてものは微塵も含まない、完全な絶縁を意味する乾き切った一言だった。


2017/04/13

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