イエスマンの命日

涙は流さないと決めたのに


制服と同じように灰色で平坦な日々に潮田渚という人物の鮮やかな薄青はいっそ目が痛むくらいによく映えて、美しかった。
一度知ってしまった青空は広くて開放的で、とても目二つだけでは収まりきらないような果て知らず。そんなの当たり前じゃないか、なんせ空なのだから。過去の自分に話して聞かせたところでつまらない返事が返ってくるに違いない。だけど飛べる翼も使わないまま大事に大事に折り畳み、窓枠の形に切り取られた暗雲の空色しか知らなかった私には泣きたいぐらいに広かったのだ。

三年間聞かされ続けて耳にこびり付いた鐘の音。それと同時に一種の呪縛から放たれたように蠢き出す灰色の人群は、男女で微妙に差をつけられた格好も教員の都合のいいよう均された姿もお揃いで、嗚呼なんて気持ちが悪いのだろう。教育制度に疑問を抱きながら結局逆らえずに従うだけの自分もあれと同列なのかと思うとやはり気持ち悪くて気に入らない。目に付けば、もう全てが嫌で嫌で、大嫌いだ。
それでも。群れから引き離されてしまえば私の存在などちっぽけなもので。今など“ただでさえ”の小ささを重ねて自ら目立たないよう抑え込み、空気と一体化なんて馬鹿な真似を試みている。椚ヶ丘に置ける勝ち組が集う生徒会室の立ち位置がホワイトボードそばの隅とはいえ、ただ棒立ちしているわけにもいかないのが残念なところだ。
どうして私が。A組生徒の肩書きも“一応”で、成績なんて下から数えた方がずっと早いのに、何故。そんな風に溢れ出てやまないネガティブ思考が胸中を満たしてしまわぬうちに打ち止める。
人数合わせで生徒会執行部に身を置くことになってしまった私に振り分けられた役目は、鼓膜を引っ掻く音を奏でながらに誰の目にも存在を色濃く映すことはない。優秀な彼らの頭から溢れ出す様々なアイディアを正確に、時に要点だけを絞って記録していく書記は、決して目立たないよう、でしゃばらないよう神経を研ぎ澄ませて送る学校生活を体現しているともいえる役職だった。
みんなを率いる会長に必要なのは彼に対して愚直なまでに従順な犬に他ならない。例え能力が並みでも、そこそこでも、それ以下でも、従いさえすれば。自我の有無は関係なしに、自己主張を――属す群れからはみ出すことを躊躇う私は相当に扱いやすい手駒らしく、恐らくはそこを買われた(否、飼われた)のだろうが、しかし、不服である。
黒板、ノート、ホワイトボード。それらに書き綴られていく文字ですら私のものであっても私本来の字体ではない。なまえの字は癖が強くて気に入らないから直せ、と浅野君に言われ、彼好みの字体に強調されたのは、馬鹿正直に従ったのは突如として月の半分以上が消えた事件よりも後の事。すっかり自分のものとして染み付き、手に馴染んでしまった字体を操ることは実に容易い。
あれもこれもそれもどれも、染め付けられてしまったのは気付けば全部彼の色。

「なまえ、そこを誤字をしている」
「あ……ごめんなさい」

馬鹿みたいに彼の背を追いかければ、間違いには至らない。少なくとも、この学校においては。だから、悪いことをしたらまず謝る。例え自分がそう思わなくても、相手が不快だと言ったら謝る。何もなくたって、人間関係が崩れる前にまず自分が折れ、謝る。それが15年間人生を生き抜いてきた中で身に着けた自己防衛の術であり、特に浅野君に対して、それは絶対だ。
「ったく、それくらいちゃんとやってくれよ、みょうじ。写すだけの仕事なんだからよ」と怪訝そうな声が誰かから上がると、私はまた「すみません」をもごもごと。口の中で謝罪を言う声を閉じ合わせた唇で押しつぶした。

「いや、彼女もよくやってくれているよ。足りない頭なりに、ね。もう少し努力することが必要かもしれないが」

こぼれた笑みは喉の奥と同じようにからからに乾いていた。
私にとっての浅野学秀とは、憧憬そのものだ。
眉目秀麗、頭脳明晰。世の理想をこれでもかというほどに詰め込んだ、それはそれは素晴らしい生徒会長様を並みの辺りをうろうろしているような一般生徒であればまず羨むだろう。厚い人望、なんぴとたりとも逆らえないであろう素敵な冷笑。子供と大人の境にいるような年齢だというのに、全てを備えてしまっている。
そんな浅野君と私は幼馴染と言えるほどの時間を過ごしてきたわけではないけれど、小学校高学年の3年間同じクラスであったこと、それから幾度か席が隣り合ったこともある。浅野君にとっての私が同級生あるいは顔見知り以上であることがことがちょっとした自慢だった。思えば、当時から私の首には彼が引くリードを繋いでおくための見えない首輪があったのかもしれない。「なまえ、君も椚ヶ丘を受けるだろう? 受けるよね?」と有無を言わせぬ圧力的な微笑みで私の進路を針金でも歪ませるが如く強引に捻じ曲げたのは小学時代の浅野君なのだから。

***

吊革に掴まり今日も電車に揺られる帰路となった。鞄を抱き込む形で頭を垂れて眠るOLが背にする窓に映る自分との睨めっこは少し精神に来る苦しさがある。すっかり馴染んだ椚ヶ丘の制服に身を包む自分は他の乗車客にはどんな風に見られているのだろう。ただの学生、と呼ぶにはうちは収まりきらない名門校だ。校則を破るような見てくれではないし、あまり口数の多い方ではないから優等的な女子、とか。何にせよ椚ヶ丘の集団の中でしか生きられない私の存在はどれ程小さなものなのだろう。
もう少し個性を身につけて生きてくれば、成績面での評価は落ちても面白味のある楽しい人間でいられたのかな。嗚呼、身につけられる個性なら個性だなんて呼ばないのか。齢15歳にしてぼうっと哲学めいた思考を脳の片隅に転がした。
学校内に置いて名も顔も通る彼らにいいようにとはいえ使われているという事実は、他の人間よりは少しだけ、本当に少しだけ、話のネタになる程度であったとしても自慢できることなのかもしれない。

2017/01/12 ?

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