13)生き恥をさらしても 嗚呼 それでも

 一切酔いを見せないイチトはしっかりした口調で「ツバキ」と部下の名を短く呼んだ。
 
 優秀な腹心はイチトの命令をそれだけで受け取り、素早く行動に移す。
 隣に座っていたミノルの腕を捻り上げると畳にねじ伏せた。
 
「ツバキさん!!」
「申し訳ありません。命令ですので」

 カナエが慌ててミノルの傍まで行こうとしたが、ツバキが牽制した。
 
 邪魔をするならカナエにでさえ危害を加えるという事だ。
 伸ばしかけた手を宙で止めてカナエは泣きそうに顔を歪ませた。
 
「邪魔さえしなければ何もしないよ。俺達が欲しいのはこれだけだから」

 何時の間にか傍らに立っていたイチトがミノルの服をまさぐり懐中時計を取り出した。
 
 鎖を掴んでじゃらりと見せつけるようにそれを揺らした。
 
「これで摘発すればあの狸共を一掃出来るけど、もっと面白い使い道もあるんだよね」

 既に広間にいた芸妓達は全員ミズキが外へ出している。
 残ったのはリオンとカナエ、それに押さえつけられているミノルだけだ。
 
 リオンはさり気無くカナエを自分の方へと引き寄せ背に隠した。
 
 警戒心をむき出しに睨んでくるリオンに、笑いが込み上げてくる。
 
 イチトは鎖から手を放して時計を下に落とした。
 同時にツバキが腰に提げていた刀を抜き取る。
 
 時計のど真ん中を刺し貫いた刀の切っ先が畳に縫いとめた。
 
 リオンが止めに入る隙もなかった。
 咄嗟にカナエを抱き込んで庇ったが、暫くしても思った衝撃はやって来なかった。
 
「ふぅん、やっぱり自爆装置なんてなかったか」

 事もなげにイチトはバラバラになった時計から刀を抜く。
 呆然としている間に、ツバキが上から退き、自由になったミノルは起き上がりながらも訳がわからないという表情をしていた。
 
「そんな危ないもの、侯爵が息子に持たせるわけないと思ったよ」

 お陰で難なく壊せた、と軽い口調でイチトが言う。
 
「お、まえ……」
「もう出てきていいよ」

 イチトが手を上げると、襖を押し倒し窓ガラスを割って武装した軍人が何人も押し入ってきた。
 
 あっという間に取り囲まれる。
 
「リオンさん……」

 しがみついてきたカナエの背に手を回す。

「いつもの威勢はどこ行ったんだろうねぇ?」

 嘲笑を含む、絡みつく様な女の声。
 廊下からするりと入ってきた見知らぬ女はイチトの傍まで来ると腕を絡めてしな垂れかかる。
 
 歳の頃はリオンと同じか少し上くらいか。
 念入りに化粧をした綺麗な顔、結い上げられた髪に華美な袴。
 芸妓ではなく娼妓であろう事は雰囲気で察せられた。
 
「カナエちゃんがその子を連れて帰った時はどうなるかと思ったけど、結果オーライだったわねぇ」

 勝ち誇ったように花を鳴らした女をカナエは訝しげに眺めた。
 何の話をしているんだろう。
 
 彼女をよく見て、ふと思い出した。
 
 カナエがミノルと出逢う直前に声を掛けてきた女がいた。
 たしかリオンの事を馬鹿にされて腹を立てたのだ。
 
「あの時……私に喋りかけたの、わざとだった……?」
「侯爵の息子、本当はあそこで始末するつもりだったから、アンタに見られたく無かったんだけどねぇ。花隈に匿われちゃ厄介だって。でもこの人がいて助かったよ」

 鈴を転がしたような笑い声だったが、妙に耳に纏わりつく様な感じがした。
 彼女の喋っている内容のせいかもしれない。
 
「どうする? リオン」

 密着してくる女をそのままにしてイチトは艶然と笑いかけた。
 
 だがリオンは彼には何も答えず、目も合わせない。
 
「持ってて」

 眼鏡を外すとカナエに渡し、開き切った襖の方を向く。
 
「ミズキ!」

 店の女達を逃がし終えて戻ってきたミズキが後ろに控えていた隊員を殴り飛ばして広間に入ってきた。
 
「ほらよ」

 的確な軌道を描いてリオンの伸ばした手に向かって放り投げられたのは、少し小ぶりの刀だった。
 リオンが受け取ったのを確認すると同時にまた一人床に倒す。
 
 タマキがミズキを目で追って、足を踏み出そうとしたとき。
 
 空気を薙ぐように横から飛んできた刃に間一髪で後ろに退いた。



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