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『油楽屋』の一人部屋で、タツミは椅子に座り、窓枠に腕と顎を預けて青い青い空を眺めていた。
フィンネルがいなくなり、クウでハーヴェスターシャと戦ったあの日から、一度目の朝を迎えた。タツミは朝食を摂ってから、ずっとこうしている。
故郷に戻る気力も、長かった旅を振り返る気持ちにもならない。
ただただ、飽きもせずこうして空を見上げるだけ。
有り難かったのは、アオトやさーしゃが独りにしてくれたことだ。
朝食を摂りに食堂に出た時は、アオトとサキの2人と顔を合わせたが――五条はカテナやリッカと共に研究所に居る――、お互いの今後のことなどを少し話した程度で、フィンネルのことに触れてくることはなかった。
もちろん、誰も触れないのは、全員にとって――特にサキにとって――辛い記憶だからだろうが、今のタツミにとって重要なのは理由ではなかった。
薄く伸びた雲が、太陽を覆い隠す。風上は分厚い雲が空を埋め尽くしていた。
街の喧騒を運ぶ風が、髪を撫でていく。
フィンネルは、出逢った頃から何かとタツミを気に掛けてきた。フィンネルが大地の心臓の話をしてからは、それらの行為は大地の心臓を手にする為のアプローチだったのだろうと思っていたのだが、それからもフィンネルの態度が変わることはなかった。
社交的ではないタツミにとって、正直に言ってしまえば、よく喋る彼女の存在は鬱陶しかった。しかし、旅を通して彼女という存在に触れていく内に、タツミの心情にも変化が訪れていたのだ。
――フィンネルのことを知りたい。何が好きで、どんなものが嫌いなのか。どんなものを見てきて、これからどんなものを見たいのか。
気付いてしまえば、後は簡単だったはずだ。フィンネルが自分の所に来るのを待っているだけではなく、自分からフィンネルの所に行けば良かった。
しかしタツミは一度、フィンネルの「お友達になってください」を断っている。あの時のその発言にどういう意図があったのかは別にしても、自分から拒否したものを、後から図々しく撤回することは出来なかったのだ。
もし、自分の中にある意地やプライドを捨てて、自らフィンネルの所に行くことがあったなら、自分も最後にフィンネルに会うことが出来たのだろうか。
そのことばかりが、タツミの頭を回っている。
もし、あの時――。
腕で目許を隠した。
自分に泣く資格なんか無い。本当に泣きたいのはフィンネルだったはずなのに。彼女は気丈に旅立っていったと、アオトは言っていた。
耳元で鳥のさえずりが聴こえ、僅かに顔を上げた。
空と同じ色をした鳥が、窓に止まってタツミを覗き込んでいた。目が合っても逃げようともしない。
しばらく鳥を見つめて、ゆっくりと体を起こそうとする。腕に力を込めた瞬間、ドアがノックされる音が響いた。
「あっ……!」
ノック音に驚いたのか、鳥は翼を翻して空へ飛んで行ってしまった。
思わず腕を伸ばすが、届くはずもない。タツミは空っぽの手を握り締め、ドアの方へと向かった。
「よう」
アオトが片手を挙げて挨拶してきた。それよりもタツミの目を引いたのは、長い銀髪に、クラスタニアの軍服を着た女性――。
「アカネ……さん」
彼女の名前を呟くと、感情に欠けた顔貌に僅かに笑みが刻まれた。
「お久しぶりです。タツミ殿」
礼をするアカネに、どう応えるか分からすにアオトを見た。アオトは少し言いにくそうに、「少し良いか?」と告げた。
二人を部屋に招き入れたタツミは、二人に椅子を譲り、自分はベッドに腰掛けた。
先程から引きつった表情のアオトと、挨拶してからいつもの無表情に戻ったアカネを見据える。
「……何の用?」
アカネが、アオトをちらと見た。それに気付いたアオトは、ますます表情を強ばらせる。
「……あ、あのさ……っ!」
しばらく視線をさまよわせていたアオトだったが、意を決したのか強く言葉を吐き出した。瞳はしっかりとタツミを捉えている。
「……フィンネルの、ことなんだ」
尻すぼみになっていくアオトの言葉に、タツミは「来た」と思った。
予想出来ないことではない。アオトはフィンネルに会う為にサキにダイブした時のことを、ほとんど話していなかった。
「……そう」
搾り出した言葉は震えていた。そんな自分に心の中で苦笑を漏らす。
「前にも少し話したけど、あいつに会う為にサキにダイブした時さ……俺、フィンネルに会って話をしたんだ」
タツミはアオトの目を真っ直ぐ見据えた。気不味くなったのか、アオトが目を逸らせる。
タツミは僅かに胸に灯った暗い炎に気付いた。嫉妬だった。
「あいつ、あいつさ……!」
アオトの瞳が揺れた。涙を堪えるように表情が歪む。
濡れた瞳が、鋭くタツミを射抜く。思わず怯んで、息を呑んだ。
「お前のこと……好きだって……」
アオトの両の頬に、雫が伝っていった。
「お前のこと、タツミのこと好きだって、そう言ってたんだ……!」
次から次へと、アオトの瞳から涙が流れ落ちる。
しゃくり上げながら、それでも言葉を紡ごうと必死に息を吸っている。
「怖くて、ずっと言えなくて……でも、自分勝手な我儘だけど、最後に知ってて欲しいって、自分のこと忘れないでいて欲しいって……言ってさ……!」
アオトの隣のアカネも、一目で分かる程の悲痛な面持ちをしていたが、タツミの意識は驚く程冷静だった。
自分はやっぱり薄情な人間なのかもしれないと目を細める。
アオト達が歪んだ。
「フィンネルは……タツミのこと、大好きだって言ってた……。出逢えて、良かった、幸せだったって……。ちゃんと、伝えた、からなっ!」
つるりと、温かい感触が頬をなぞる。
自分が泣いているのだと気付いた瞬間、胸が握り締められたかのようにぎゅうっと痛み出した。
脳裏に、かつて見たフィンネルの笑顔が浮かび上がって離れない。
その笑顔が、どれだけ心穏やかにしてくれたのか。抑え込んで見ないふりをしていた感情が、一挙に溢れ出してくる。
存在の重さと、言えなかった言葉の重さが、タツミの心を押し潰していく。
彼女の名前を呼びながら、タツミはただ、泣いた。
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