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なにも言えずにいる彼方の胸ぐらから掴んでいた手を離す。ふぃと背を向けて離れるとそのあとを手がついてこようとした気がしたが、結局何も追いついてはこなかった。



俺のなにがいけなかったって言うんだ。
俺はいつまでお前に背を向けていなきゃならない。
どうして隣に立たせてくれない。
どうして背中を預けてはくれなくなった。

――――俺は、そんなに頼りないのか。



「くっそ…」



こんなの、俺の一方的な感情だってわかってる。
ただ俺が想い、焦がれていただけ。あいつにとってみれば、高校時代にたった一年共に仕事をしただけの仲なんだ。周りよりは少し仲が良かったくらいで、それ以外はなんら他の友人と変わらない。
わかってる。わかってるんだ。わかってる、けど。



(お前の隣に立つのは、俺でありたかったんだ―――…)



お前にとってのなににもなれずに惑い、喘ぐ。
傍にいれば、いくら隠したって気持ちが募るのを止められはしなくて。でも離れていたって、お前への気持ちだけは萎んではくれなくて。そんなつもりはなかったのに、ここまで育んでしまった。育み続けてきてしまった。
切り捨てるしかないのだと、わかっていたのに。


コツリ、こちらに歩み寄る音。
どこか躊躇しているそれに、ぞわりと走り抜けたのは紛れもない恐怖だった。
あぁ、だめだ、怖い。
この先の言葉を聞くのが―――どうしようもなく。



「智哉、俺は…」
「いや、いい。変なこと言って悪かった。忘れてくれ」
「え、とも、」



ゆっくりと振り返り、手を差し出す。
ぎゅっと眉根を寄せている彼方へと笑いかける。大丈夫、こんな時だって―――こんな時だからこそ、俺は笑える。



「―――結婚、おめでとう」



逃げている?
自覚してるさ。駄々を捏ねる子供みたいに騒ぎ、それでいて怯えて大人のふりして隠そうとする。
だけどもう、なんでもないふりをして待つのは、期待するのは、嫌なんだ。お前が幸せでいてくれるならそれでいい。そう、思っていたいから。



「智哉っ…」



差し出した手首を握られる―――しかしそう認知した瞬間、力任せに引っ張られていて。
気づけば視界から彼方は消え去っていた。その代わりに感じるのは、体温に、心臓の音、腰に回る腕、首筋にかかる吐息。


瞬間、頭が真っ白になる。



「ちょ、なに、離せっ」
「逃げんなよ!」
「か、な…?」
「逃げるな!俺は、お前がいたからここまで戻ってきたんだ…!」



痛いくらいに抱き締められる腰、握り締められる手首。
苦しげに、絞り出すように吐かれた言葉。

―――いったい、なにが起こっているんだ。



「何も言わなくて悪かったって思ってる。だけど智哉には、前を走っていて欲しかったんだ、後ろなんて振り返って欲しくなかった…!」
「な、に、言って…」
「お前が一人で先頭を走っていたから、俺はここまで這い上がってきたんだ―――お前の隣に立つのは、俺しかいないんだから」



耳を打つ、柔らかく低い声。手首を握っていた手が背中へと回される。

う、あ、嫌だ。嫌だ、やめてくれ。期待してしまう。勘違いしてしまうから。
お前が俺の隣に立ちたいと言ってくれただけで、こんなにも、涙が出そうなほどに嬉しいのに。そんな優しく言われたら、そんな風に抱き締められたら、もっと先の感情を期待してしまう。懲りずに勘違いしてしまう。もう十分、疲れたというのに。



「っかった、わかったからもう離せ!誰かに見られる!」
「わかってない。お前はわかってないよ」
「いやだ、いやだいらない、聞きたくない…っ」



足の力が抜ける。
ずるずるとへたりこむ俺と共に、智哉までが膝をつく。走馬灯のように駆ける先の会話。



『今回のは政略結婚なのかねぇ?』
『さあな…運命の人でも見つけたんじゃねぇの?』



政略結婚なのは知っていた。
だけど、あんなに幸せそうだったじゃないか。大切そうにしていたじゃないか。
どうして、なんで、お前は今、幸せなんじゃないのか。


幸せじゃないんなら、俺は、俺はどうすればいい―――…




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