series,middle | ナノ





「ねぇ智哉、大丈夫?」
「ん?なにがだ?」
「顔色が悪いよ、やっぱり…」
「はっ、心配しすぎだ。それにほら、もう着くぜ?」



前を歩く二人に聞こえないように心配そうに話してかけてくる副会長に、安心させるように笑いかける。
大丈夫だ。心配すんな、馴れているから。高校生だった頃の俺に出来て、今の俺に出来ないことじゃないだろう?



俺達に気づいたドアマンが、恭しく荘厳な教会の扉を開ける。開けた視界に飛び込んでくるのは、真正面で光を透かす美しいステンドグラス達。揃って入った俺たちに、高校の時のような黄色い声とは言わないまでも、興奮を抑えきれていないざわめきが広がった。



「あはは、なんか高校ん時みたいだねー」
「…知ってる顔、ばかりだしな…」
「ふふ、懐かしいね」
「そうだな、行くぞ」



半分以上は見慣れた顔ばかり。当然のように前に陣取る風紀委員、かつては風紀の天敵だった親衛隊、S組だった面々、そしてその他あいつと交遊関係を築いていたと思われる学園の卒業生たち。もちろん教師陣もちらほら。中にはあいつのセフレだった奴らもいる。
俺たちが席の間を進めば、まるで主役が登場したかのように数多の視線がそれを追った。



「やっぱ男前だなー書記の兄貴」
「すごい!久々に生の会計様だー」
「副会長はまた一段と美形さが増して」
「会長やっぱすげぇ…相変わらず規格外だな」



あの学園を卒業して社会人になり、皆もう特殊なあの空間からは解き放たれている。それなのに、いい大人の男があの頃と同じようなノリになってるのは決して気のせいじゃない。きっとこの懐かしい面子に、つい昔のノリが甦ってきたんだろう。


古巣に帰ってきたような懐かしさが―――どこか、切なかった。
学園を卒業してから、この雰囲気が懐かしくなるほどに年月が経っている。思い出のひとつとして認識し、過去のものとして処理してしまっている。
つまり、俺があいつに会っていない時間は、それ程に長い。



「久しぶり。流石、君たちが揃うと壮観だな」



風紀の逆側に座った俺たちに、そう言いながら近づいてきたのは元風紀副委員長。変わらない華のある笑顔を浮かべるその男に、立ち上がって挨拶を返す。



「元気そうだな」
「はは、まあね。大切な主人の一大イベントなんだ。やることが有りすぎて休んでる暇なんてないさ」



にこりと笑う小柄な彼と―――そして再び鎌首をもたげた想いが懐かしくて、思わず目を細める。
学生時代もそうだった。彼は主であるあいつと常に一緒にいて、右腕となっていつだってあいつを支えていた。
羨ましかった。こいつらの生まれたときからの主従関係など知っていたくせに、それをわかっていてさえもあいつの役に立てる彼のことが、どうしようもなく。



背中を預けられる双璧であったことは俺の誇りだ。
でも―――同じ方向を向いて戦う、あいつの片腕になりたかったというのも、事実。




「まあ大抵の問題はあの人が引き起こしてくれたものなんだけど」
「はは…無茶はするなよ。お前はいつも張りきっては体調崩してただろ?」
「そうだったね、懐かしいな。ありがとう…相変わらずタラシだな、会長は」



変わらないのはお前の方だ。
困ったように笑う副委員長に、言いたくても言えない言葉。なんの他意もなく俺に接してくるお前に、俺がどれだけ嫉妬していたことか。そしてまた、今のように自然に俺を慕ってくれるお前に、どれだけ苦しい思いをしたことか。
真っ直ぐに顔を上げ、なんの後ろめたさもなくあいつの隣に立てるお前に、勝てるわけがないというのに。



副委員長を皮切りに、親衛隊長や親衛隊、部長委員長たちなど、俺たちに縁のあった奴らが次々に挨拶に来はじめた。そのうえ学園のOBでなくともこの式に参加している人間は、当然俺たちのことを知っている。そういう学園とは関係のない人たちも一言挨拶しようとやって来る次第で。いい加減疲れてきた、というか俺たちはこんなことをしに来たんじゃないんだが…と思い始めた所で、ふっと教会内の照明が落ちた。



「おっ、始まるんじゃない?」
「久々の委員長だねぇー」
「なら…もう席に戻った方がいい…」

「…―――始まる、か」



ぽつりと、思ったよりも切ない響きを含んでしまった小さな呟きは、周りの音に掻き消されて誰にも拾われることはなかった。ざわめきが次第に落ち着いてゆき、元々流れていたのであろう静かな音楽が聞こえるようになる。


始まるのだと、そう思うと急激に高まる心拍数。どうにもならない焦燥感が胸のなかにぐるぐると渦巻いて吐きそうだ。
馬鹿だろう、この期に及んで何を緊張しているんだか―――…





『―――それでは、新郎新婦の入場です』



そのアナウンスを聞いて、ガタガタと全員椅子から立ち上がる。すでに血の気の引けている拳を、真っ白になるまで握りこんだ。



オーケストラの演奏と拍手をBGMに、二人が教会内へと姿を現す。目に涙を光らせる父親と共にバージンロードを歩く美しい女性。花嫁の到着を静かに待つ美丈夫。互いが互いにひけをとらぬ至高の一対に、講堂内から溜め息が漏れる。



(―――彼方(カナタ)、だ)



ゆったりと歩く姿。花嫁に向けられる暖かな瞳。長く逞しい手足。ゆるりと弧を描く唇。
あの頃と変わらない―――否、未成熟で不安定だったあの頃よりも、一回りも二回りも大きく、魅力的になったあいつが、いた。
俺の記憶とは変わってしまった、俺の知らない彼方が、そこに。





―――10年だ。
高校の卒業式から、何の連絡もなく唐突に音信不通になった男。なにも告げられずに一方的に関係を切られ、一度もその姿を見ることもなく、何度電話やメールをしても通じない。そんな絶縁状態が10年もの間続いたのだ。
もう忘れてしまってもいいはずだ。冷めてしまっていいはずなんだ。
それなのに―――その姿を一目見ただけで、こんなにも心動かされる。

今までも、今も、そしてきっとこれからも。
俺の心を良くも悪くもここまで動かせるのは、彼方だけ。わかっていたことだった。俺は多分、ずっと前からそのことを、心のどこかで理解していた。




けれど―――…
最愛の人でなくとも愛せるのだと。
そう理解するのに、10年の月日は充分過ぎた。




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