Carpe diem | ナノ
02:握りしめた拳で何が救える




 痛いいたいいたいいたいイタイイタイ
 でも生きてる。私はまだ生きてる。死んでない。死んでは、いない。
 そればっかり頭の中ぐるぐるしてるのに、アドレナリンが出まくっているのかその痛い場所が分からない。ずっと同じことを考えるというのは頭をからっぽにするのと同じ効果があるのだろう。案外効率的に動けた。


「っ死ぬ…かと、おもった」


 残念なのは、もう倒した巨人の数を覚えてない事だろうか。とりあえずひとりでこんなにたくさん倒したのははじめてだ。それこそ記録更新したかもしれないのに。齧られかけた脇腹を抑える。歯型が付いたけれど咄嗟に顎に刃を突き刺したおかげで食いちぎられはしなかった。ガスを温存するために極力立体起動を避ける。といっても立体起動しなければ急所を狙うのはなかなか難しい。


「っらぁぁああああ!!」


 自分の体重を利用して巨人の首元に切りかかった。綺麗に巨人のうなじから背中までを二本の刃が抉る。その勢いのまま走ってくる別の巨人の胴を切り捨てた。地面に倒れ込もうとするその身体に着地して急所をそぎ落とし、私ってば天才、と自画自賛。実際捕えろと言われるより殺した方が何十倍も楽だ。


「…っはぁ」


 ブランコの要領でゆらりと跳躍して別の木の枝に着地する。身体が信じられないほど重い。幹に凭れていなければ落ちそうだった。流石に左足は立とうと足を付けようとするとかなりというかめちゃくちゃ痛い。幸いな事と言えば雨が弱くなった事ぐらいだろうか。


「はああああ」


 整わない呼吸を吐き出す。今にも落ちて行きそうな身体を奮い立たせる。案外気力でなんとかなるものだ。問題はその集中力が続かない事だ。立ち上がったらぐらあっと世界が揺れた。危ない危ない。今ここで木から落ちて死んだらそれこそ洒落にならない…額に流れる血を裾で拭うが左目はあまり見えていなかった。


「あー…」


 帰ったら何がしたい。よくこんな状況で部下にしていた質問を思い出していた。最後に死んだ部下は家族を抱きしめたい、と言いながら死んで行った。その笑顔があまりにもせつない。そうだな、最初は彼の言葉通り彼の家族に会いに行かなければ。私には家族はいないから。遺品や遺言の代わりになんて到底なれないだろうけれど、彼のかわいいちっちゃい娘と息子を抱きしめたい。引きちぎられて食べ残された腕を拾えなかった代わりに。


「っらああああ!!」


 さっきからかけ声ばかりがうるさいけれどしかたない。踏み切りが甘かったけれどなんとかこちらに伸びていた巨人の手を切り落とす事が出来た。体を返してうなじに刃を突き刺す。そのまま持ち替えてなんとか刃を振り切ったが、右手の刃物がばきんと折れた。最後の一本になってしまった。


「あーあ…」


 もう嫌だ。壁の外で、もう巨人と戦うのは嫌だと泣き喚く彼を殴った事があった。あれはまだ私も彼も入団して日が経ってない頃だ。嫌なら生きろと、壁の中まで生き残れと私も喚いた。やりたい事がたくさんある。まだやっていない事がたくさんある。何の為にここにいるのか。何の為にここまできたのか。殴られた彼の顔より殴った私の手の方が腫れたのを覚えている。今では兄貴面して私の方が叱られる、頼もしい存在だったのに。その時と同じように、彼の最期の時は目に涙がいっぱい溜まっていた。てんてん、と転がった頭を持って戻る事が出来なかった。


 「いっ………!!」


 着地に失敗して勢いを殺すため地面に転がった。すぐ近くに巨人がいないのが幸いだった。失敗したのは突然失速したからだ。確認しなくとも分かる。装置のガスが切れた。
 嗚呼ふかふかのベッドでぐっすり眠りたい。あんまりふかふかすぎると腰が痛くなるからマットは適度に固いやつがいい。それで布団はふかふかなやつ。今ならきっと丸三日ぐらいは眠れる。
 …って現実逃避している場合じゃない。


「あーあーあー…」


 伝令に走った彼は期待の時期エースと呼ばれていた。妹を巨人に殺されて入団を決意したそうだ。今どき珍しい熱血少年で、人一倍訓練に励み、その努力の通り、すぐに巨人を一体倒してみせた。弟のように慕ってくれ、私の真似をしたがり私を超えたがる姿がかわいくて嬉しかった。まだ幼さの残る彼はみるみるうちに背も身体も大きくなった。もう少年などとは呼べない姿になっていたのに。巨人の手の中で最後の瞬間まで暴れながら、ちくしょう、と叫ぶ彼の声がまだ耳に残っている。何故、目の前にいたのに助けられなかったのだろう。


「おりゃああああああ!!」


 走ってくる巨人の膝を切り上げ、私を掴もうとするその手に刃を突き刺した。もう片方の手も抜きざまに切り払う。使えなくなった両手に頭ごと大口開けて突っ込んでくるのに合わせて飛び込んだ。口の大きな巨人でよかった。食いちぎられる前に全身を喉の奥へと滑り込ませ、内側から刃を突き立てる。死んでたまるか。食われてたまるか。顎と頬を切り開いて脱出して、そのまま首の後ろに刃物を突き立てた。もう一太刀浴びせて、なんとか急所を抉った。


「あーあーあーあ……」

 頼みますよ、班長。と優しく諭してくれた彼は私よりもずっと年上だった。情けない私に嫌な顔一つせずついて来てくれ、サポートしてくれた。女だからと侮る輩が多い中で、彼はそんなもの関係なく私を一人の人間として見てくれた。音楽好きの彼が奏でるギターが好きだった。穏やかで優しい歌い声に癒された。全力で支えてくれたその頼もしい背は巨人に踏み潰されてぐちゃぐちゃに折れ曲がってひしゃげた。食べられる前から、人の原型を残さない彼が一番可哀相だった。


「簡単に、死んでっ…たまるか!!」


 こんなにも簡単なのだと、何度も思った。私が今まで生きてこれたのは本当に幸運だったのだ。その運が永遠に続かないとは分かっていても、諦めきれる筈がない。彼等の分まで、私は生きなければならないのだから。
 にやにや笑いを浮かべながらこちらを見ている巨人に手に持ったそれを構える。巨人の方へ一歩踏み出そうとした私に、ふいに影が差した。見上げたそれはいつの間に戻って来ていたのか愛馬のダークで、私の行く手をその大きな体で塞ぐように立つ。


「ダーク…逃げな?」


 ぶるる、と嘶く彼は焦れたように前足をかく。頭を下げる姿勢の彼にふいに何がしたいのか分かった気がした。…乗れと言っているのだ。私を乗せる為に呼ばれもしないのに戻ってきたのだ。胸がぎゅうと締め付けられる。この賢い馬を遣わせたのは君たちだろうか。


「ありがとう」


 姿勢を低く保っているダークに抱き着きたいのをこらえて飛び乗った。刃だけ残して、もう使えない立体起動装置を外して捨てる。手綱を引けば、彼は足を庇っていたのを忘れたように軽快に走りだした。馬の足で走ればそう遠くない距離…の筈。馬の全速力では巨人の足では追いつけない。足の速い奇行種がいない事をただ願うばかりだ。


「疲れた…半年分は働いたよね私もダークも」


 ダークには街で一番高い餌用の草を買ってあげよう。にんじんもいいかもしれない。途切れそうになる意識を無理矢理つなげる。やはり足が痛いのか、巨人の気配が遠ざかるとダークの足が少し遅めになった。


「もっと真面目にダイエットすればよかったねごめんね」


 そこまで脂肪はついていないつもりだけれど。平均より重いのは筋肉のせいだと言い聞かせてるのだけれど。人ひとり乗せて走る労力が馬にとってどれだけのものかなんて、実際馬になって見なければ分からないけれど。


「…ひとりが、ここまで心細いと思わなかったなぁ」


 ああひとりと一頭だった、と彼の首を軽く叩きながら訂正した。


 ひどく静かだった。思考が一瞬途切れて、意識が一瞬白くなる。霧がでているのか、私の視界が悪いのか、景色が白んでいた。コンパスを引っ張り出して、方角を確認するものの見るだけの作業に恐ろしく時間がかかった。


「帰ったら、何をしよう」


 思考を繋げられない。一瞬眠るように意識が途切れて、慌てて手綱を握り直す。自分の身体ではないみたいだった。傷の痛みさえどこか遠い存在のようだった。


「…さむい」

 ビールもいいけど、スープもいいな。野菜たっぷりの温かいスープがいい。コーヒーもいい。起きてるのか寝てるのか、というよりも意識が混濁してるのかはっきりしてるのかよくわからない。


「………ああ」


 食べて、眠って、そして会いたい。
 …あれ、今私何を考えていたんだっけ。話していたんだっけ。さっきもそれを考えてた気がするのだけれど。


 そんな事を何度か繰り返して、気付いた時には帰るべき壁が見えて来ていた。沈みそうになる意識を叩き起こす。もうすぐ、帰れる。もうすぐ眠れる。けれど神様は、とことん私を試したいらしい。


「はー…」


 点在する建物の影から、歩いてくる巨人が私を見つけた。目があったそれについつい私もつられて笑みを浮かべてしまった。握力の戻らない手でなんとか手綱を握りしめた。


「行こうダーク、もうちょっとだよ」


 私の合図に、なんとか走り出すダーク。本当はその歩みも疲れてふらついていたことはわかっていた。今までよくもここまでダークの集中力も持ったものだ。私ってやつは酷い飼い主だ。ここにたどり着くまで巨人に会わなかった事が信じられない奇跡だ。


「ここまで来たのに、死んでやるものか」


 絶対に、帰る。壁の上の人間が気付いてくれるまであとどれだけの距離だろう。それこそ助けにはこないかもしれない。…私の班がそうだったように。握りしめたたった一本の刃を構える。今にも折れそうな脆いそれだけが頼りだ。


「切り刻んでやる」


 こちらに向かってくる巨人と対峙しようとしたけれど、ダークの足が限界を迎えてしまったらしい。すれ違いざまに突然、崩れ落ちるように転んだ彼に私の身体がとばされる。


「っい…!!」


 地面に叩き付けられて、肩に激痛が走る。強い衝撃に呼吸ができなくなったけれどそんな事考えている暇もなかった。慌てて起き上がればダークは立ち上がろうと懸命にもがいている。幸いにも足は折れていなかったのが本当に救いだった。


「ごめんねダーク」


 ホームは目と鼻の先だというのに無理をさせてしまった。今度こそその身体を抱きしめる。雨で冷え切ってしまっていた。獲物が見えなくなった巨人が、ゆっくりとこちらを振り返る。そのにやにや笑いが本当に腹立たしい。ダークを庇うように足を踏みしめた。左足の感覚なんてとっくになくなっている。


「あちゃー…」


 片膝立ちのまま構えた刃が折れていた。残り20センチほどの長さのそれでなんとかするしかない。振り下ろされた巨人の手を切りつけようとした、そのときだった。

   瞬きをするその一瞬で、巨人の急所が綺麗に切り取られていた。あっけに取られる間もなく吹き込んできた風に身体ごと浚われて、全てを理解した。こんな芸当をできる人を私はひとりしか知らない。


「  リヴァイ」


 来てくれると思った。もっと早くだったら嬉しかったな。不可能なことなんて分かっていたけれど。私を軽々と肩に抱え上げたまま、颯爽と流れるような完璧さで、彼は突進してくる新たな巨人を始末する。後ろにも巨人がいたのか。ダークが心配でうっかり気が回らなかった。


「リヴァイ、」


 握りしめた震える左手の中には、彼の自由の翼があった。もしかして私、いつの間にか夢をみているのだろうか。本当はまだ壁まではほど遠くて、ひとりで森で眠りこけているのだろうか。それとも巨人の腹の中だろうか。こんなに全身痛くて苦しい夢はいやだ。


「リヴァイ…ねぇリヴァイってば」
「なんだ」


 硬直していた右手を開けば刃が静かに落ちていった。開いた手でその首にしがみつく。強靱なその身体はどれだけ力を入れたってかまいやしない。その身体のあたたかさに、やっと泣きたくなった。そうだ、生きてる人間はあたたかい。そんな当たり前の事を忘れていた。


「私まだ、生きてる?間違いじゃないよね?リヴァイだよね?私の声聞こえてる?」
「こんな重くてうるせぇ亡霊は願い下げだ」


 こんなに軽々と飛び回っているくせによく言う。笑ったら全身が痛くて、それが更に笑えてしまって、自分で自分の首を絞める事になった。


「   ごめん」


 ひとしきり笑って、ついて出た言葉は謝罪だった。


「ごめん、」


 皆ごめん。本当にごめん。どれだけ帰りたかっただろう。どれだけ生きたかっただろう。どれだけ、生きていたかっただろう。


「…ひとりだけで、帰ってきてしまった」


 ひとりだけ、助かってしまった。ひとりだけ生き残ってしまった。何故助けられなかったのだろう。私の命は、こんなにも簡単に救われてしまったのに。何故一緒に帰ってこられなかったのだろう。連れて来られなかったのだろう。

 私は死ぬつもりだったのだとその時気付いた。彼らのように最後まで戦ってもがいてそして死ぬつもりだったのに。


「よくやった、アイナ」


 なのに私は、またリヴァイに会えてうれしい。
 生きている事がこんなにも嬉しい。やっと命が自分のものになって嬉しい。心が震える程、うれしい。




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