Carpe diem | ナノ
01:その勝利をハナムケに


 突然出くわした巨人の群れとの戦闘に無我夢中で、冷静になったのは最後の一匹をやっとの事で斬り殺した後だった。


「あははは…」


 こんなに明るく振舞える状況ではないのは分かっている。それでも笑うしかなかった。ここは巨人共に追われた人間が唯一生き延びた場所、隠れ住んでいる壁の内側――ではなくその外側なのだから。


「ふははははは」


 否、笑っている場合ではないのは流石の私でも重々承知の上だ。けれど人間絶望の淵に立たされた時はそれ以外なす術がないのだから仕方ない。もう、笑うしかない。


「はっはっはっはー…………はぐれた…っ!!」


 汗だくだし血みどろだしそもそも雨足が強いせいで視界も最悪。身体はひきずるほど重い。と思ってたらどうやら左足首が骨が折れたのか腱が切れたのか、動かない事にやっと気付いた。


「とりあえず…お前が戻って来てくれてよかったよ…」


 愛馬の身体をわしわしと撫でる。話し相手もいないので馬に話しかける私ってなんてかわいそうなんだろうか。しかもこの馬、戦闘に巻き込んでしまったのか左後ろ足を庇う様にこちらへ歩いてくる。私とお揃いだ。この足づかいの馬に乗るのは申し訳ないので手綱を引くに留めた。


「どうしたものか…」


 助けを呼ぼうにも、持ってる煙弾はとっくに尽きた。勿論雨風のせいですぐにかき消されてしまったけれど。ガスも替え刃ももう少ない。しかも最悪な事に私の班は最右翼で、北西方向へ”帰還途中”だったのだ。運よくどこかの班がぶち当たる事もありえない。


「誰か…!!居るなら返事しろ誰かいないのか!!」


 八つ当たり気味に声を張り上げて辺りを見回してみるものの吹き荒れる風と叩きつける雨が煩くて届きはしない。班員の名を呼ぼうにも最後の一人を看取ったのはこの私だ。戦闘の間にどれだけ隣の班と距離ができただろうか。伝令に走らせた部下も目の前で巨人に殺されてしまった。


「はああああああああ…」


 もう笑い声すら出なかった。諦める事はしないけれど、それがどれだけ絶望的なのかは私でも分かる。過去に似た様に一人で生き残って記録を残した隊員がいなかっただろうか。彼女とまったく同じ状況だ。その隊員も最後は巨人に食われたのだけれど。しかも彼女の記録によれば巨人はすぐに人を食べないのがいるらしい。


「やっぱり特上サーロインステーキ食べておくんだったなぁ…」


 それも500グラムぐらいのやつ。馬の手綱を握りしめて歩く。時折ふらついて凭れる馬の腹が、肩に感じるあたたかさがわずかな救いだった。雨も風も弱まりはしたもののやみそうにもない。巨人に囲まれ逃げ切れず、立体起動を有利にするために森に入ったのが運の尽きだったと思う。視界が悪すぎる。けれどあれだけの数の巨人を最右翼の班だけで食い止めたのだ。それだけで私にとっては充分だ。”元”班長として鼻が高い。


「ビールが飲みたい。皆で一晩中飲み明かして語り合いたい」


 記録を残した彼女は記録として功績を残したけれど、私には何が残せるのだろうか。彼女を真似ようにも雨で紙とペンなんか使えやしない。運よくそのメモが拾われる事も奇跡に近いだろう。下手すれば巨人の腹の中に私と一緒におさまるかもしれない。私が生き残って、死んで行った彼らの功績を、口で伝えるしかないのだろう。誰もそれを功績とは呼ばなくとも。


「おっわ、」


 ぬかるんだ土で足を滑らせて、べしゃりと派手に前のめりに転んだ。それでも一介の兵士なのかと我ながら思う。泥だらけになって最悪だ。リヴァイに見られたら「汚ねぇな」と舌打ちされるに違いない。そう思うと、不思議と笑えてしまった。ごろりと地面に寝転がって怪しく笑い出した私を心配したのか、馬がわしわしと口で私の腹辺りをつついた。無事だった綺麗な手でその鬣を撫でてやる。


「大丈夫頭は打ってないから」


 この馬は、今回の壁外調査の直前にエルヴィン分隊長直々に賜ったものだ。少し前巨人を捕えた時の功績として頂いた。(その巨人もハンジがやっぱり最期には”やりすぎて”殺してしまったんだけれど)私の前の馬はその時足を骨折して使い物にならなくなってしまったから。


「お前は賢いねぇ。お前お前言ってても失礼だねごめんねいいかげんそろそろ名前付けなきゃね」


 傷口に泥が沁みたけれど、あちこちに怪我がありすぎてどこが痛いのかもよく分からなかった。巨人の血ならばそのうち消える。残っているこの赤色は私や仲間の血だ。ひとつ大きく息を吸うと酷く胸が痛んだ。呼吸が浅い。これはよくない傾向だ。


「何がいいかなぁ」


 喋り続けているのは、意識をはっきりさせるためだ。よっこらせ、と起き上がりながら、また馬の手綱を掴んだ。数少ない青毛の馬で、漆黒の鬣が美しい。調査兵団が使う馬の中でもかなり高級な部類の馬だと思う。良く馴らされているのかとても大人しく、頭が良くて人懐っこく、私の扶助を素直に良く聞いてくれる。そしてリヴァイも青毛の馬に乗っているが彼の馬より少しだけ大きいのがこっそり優越感だった。


「アロイス…うーん…バルドゥール…かたいな」


 方位磁針で位置を確認する。頭上を仰いで大きく口を開ける。水が切れてたからこれ幸いに雨で喉を潤す。ちょうど左ポケットに携帯食料が残っていた。あごの痛みなんかお構いなしにかじりつく。自分の血と混じって味は最悪だったけれどなんとか飲み下した。このままくたばってたまるものか。


「カール…ダーク?」


 もさもさと咀嚼しながらだったのにきちんと聞き取ったらしい。不意に馬が尻尾を揺らして嘶いた。


「ダークいいねダークにしよう」


 ふいにダークが私に懐いて身体をすり寄せてくれたのだけれど、足がへろへろの私はよろめいてしまう。「手厚いスキンシップありがとう喜んでもらえて嬉しいよ」と言葉で気持ちは大いに受け取っておいた。鼻梁を撫でてやると尻尾を揺らす仕草がご機嫌だ。足を庇っているためか歩きはぎこちないものの元気そうだ。


「お前は本当に綺麗で賢い優秀な馬だね」


 喋るのをやめられないのは、考えないようにしているからだ。崩れそうになる膝を、泣き喚きたい感情を、無理矢理押さえ込んでいるためだ。けれどそれと同時に班員を全員目の前で失いながら、馬に陽気に話しかけている私はあまりに滑稽だった。目の前でぐちゃぐちゃに裂かれ千切られ潰され食われた彼らを忘れたわけなんかじゃない。けれど私には今悲しんでいる余裕すらない。


「お前と私が生きていられるのはいつまでだろうね。」


 どこか心が麻痺していた。私は今自分の命を惜しむのでせいいっぱいだ。人間はあまりにも無力だ。人の為に自分を犠牲にするなど綺麗事だ。自分自身の事を守るだけで手いっぱいだ。最強だと謳われるリヴァイですら、一体何人の仲間を目の前で失って来たのか。私はあまりにも醜い。彼等の死を次の何かにつなぐためと信じて、自分が生きるための理由にしている。けれど私が残ったのだったら、先に逝った彼らの死を誰よりも私が惜しむべきだ。どうせ助からないのなら、彼らの誰かを庇って死ねばよかったのだ。けれど助かったのなら。私ひとりが助かってしまったのならば。


「帰ろう。絶対にここで死んでなんてやるものか」


 辿り着いたらやっと、彼等がどんな死を遂げたのか、彼等の家族にはあまりに惨くて話せなくとも団員の誰かには、エルヴィン分隊長には、リヴァイには。全部が終わったら、どうして助けられなかったとか、何故もっとうまく班員を誘導できなかったのか、考えるべき事も全て考えよう。だから今は。


「こんな情けない班長でごめん皆。でもどうか私に力を貸して」


 どんな状況でも巨人のせいで絶望などしてやるものか。最後の一口の食糧を押し込んで、包装紙を放り捨てた。風に飛ばされてすぐにどこかへと消えて行った。その手で刃を引き抜いて、握っていた手綱を離した。ダークは既にピンと前方に耳を向けて立ち尽くしている。巨人の身体に触れた雨が蒸発してできる、立ち上る水蒸気が木の向こうでいくつか群れをなしていた。









【Dierk (ダーク) 】人を導く者


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