05 よく「名子役は名俳優になれない」なんて事を言う人がいる。 それは決してやっかみなどではなく、名子役などと銘打たれる子役ほど子役時代の印象が強すぎて、上手く大人の俳優へと脱皮出来ないからに他ならない。 そして、ここに。 決して子役俳優という訳ではないが、1人の「子供だった」人物がいる。 数年前までは鎧姿の弟を従え、鋼の手足でもって勇ましく夢を追い、旅をしていた金色の子供。 生身の手足を取り戻した後、一度は袂を分かち4年もの間会う事もなかったが、今現在、中央司令部の敷地内に併設されている錬金術研究所に勤めている「エドワード・エルリック」その人である。 「少将ー…借りてった資料の中に、アンタの手帳が挟まってたんだけどー」 むん、と偉そうに踏ん反り返って司令室のドアを開けたのは、金色を纏った綺麗な女性だ。 すっきりとした黒のスーツに包まれた全体的にすらりとした体躯は、胸や尻などの出るべきところは出ている割に余分なものが一切なく、息を呑むほど女性的なフォルムでありながら完璧すぎて逆にいやらしさが全くない。 むしろ芸術的なプロポーションと言える。 背中の中ほどまで伸びた金色の髪は飴細工のような光沢で艶めき、誰もが一度は触れてみたいと思っているだろう事は上司の手前内緒だ(絶対殺される) ―――これが、ほんの数年前まで少年のような格好で暴れ回っていた子供だなんて…。 ハボックは堪らずため息を吐いた。 俄かには信じられない周囲の戸惑いをよそに、本人は至ってあっさりと美しく脱皮してしまった。 つまり、そういう事である。 「アンタ最近、よくこういうミスやらかすよな?…ったく、俺だって暇じゃねぇんだからな」 「あぁ、本当にすまないね……鋼の」 「いくらなんでも、まだボケるには早いぜ?」 天下の将軍ロイ・マスタング少将を「ボケ老人」呼ばわり出来るのも、彼女だけだ。 唇の端をきゅっと上げる、幼い頃から見慣れていたはずの小憎たらしい笑みも、今のエドワードがやれば小悪魔的でコケティッシュな魅力に溢れ、目にした下仕官達は頬を赤らめて俯いた。 「お詫びにお茶でもどうだ?貰い物の焼き菓子もあるし」 「うーん、残念。まだ仕事が残ってるんだ」 「そうか……では仕方ないな。ところで鋼の。定時に上がれそうなら、久しぶりに一緒に食事に行かないか?」 「久しぶり、って……先週も行ったじゃん」 「アルフォンスに聞いたぞ。君、1人だと面倒臭がってろくな物を食べてないらしいな」 「げ!アルまで懐柔したのかよ」 「人聞きの悪い言い方は止めてくれ。くれぐれもよろしくと頼まれたよ」 むぅ、と唇を尖らせたエドワードは、ロイの勝ち誇った顔に不服そうな顔をしながらも、言い返す事はしなかった。 相変わらず弟に弱いのか、ただ単に反論する術を持たなかっただけなのか……おそらく両方だろう。 「君は基本的に猪突猛進タイプだから、アルフォンスも心配なんだろう。もちろん私もだ」 「う、…それを言われると辛い、かも」 「幸い私の目の届くところにいる事だ。目に余るようなら小言のひとつも言わせてもらう」 「うぅ……」 「とりあえず野菜不足を補わないか?うってつけのレストランがあるんだ」 穏やかな口調でロイが言えば、エドワードも特に反抗する訳でもなくふわりと笑う。 そこには昔のような嫌味な大人と捻くれた子供の構図はなく、ただ柔らかな空気が横たわっているようだった。 「じゃ、仕事終わったら来る」 「あぁ、楽しみにしてるよ?」 「了解!…あ、じゃあお邪魔さん!」 話が済むなりエドワードは、にこりと司令室内の全ての人間に笑顔を振りまき、ひらひらと手を振って司令室を退室していった。 斯くして、後には彼女の愛用するフレグランスの甘い匂いが残され、さり気なさを装いつつ何人かの下士官達が大きく息を吸ったのをハボックは見逃さなかった。 男とは哀れな生き物である。 「しかし、あれが大将だなんてなぁ……まだ信じられないっつーか……」 「わざわざここへ立ち寄るように仕向けているのだから、お前達も早く慣れろ」 独り言のように呟いたハボックの言葉に、すかさずロイの返答が返される。 それに目を瞠ったハボックは、些か呆れ口調で問うた。 「やっぱ、さっきのはわざとですか……」 「あぁ。お前達がよそよそしいと、鋼のが気にしていたからな……冗談抜きで早く慣れてくれたまえ」 なるほど。 それで、執務室ではなく司令室で仕事をしていたのか、と合点がいった。 そして、それと同時にエドワードに申し訳なくなった。 「よそよそしかったですかね、俺ら……そりゃ、大将に悪い事したな」 「見た目は変わったが、中身はあの子のままだよ。だから、昔通りに接してやってくれ」 「Yes,sir」 ハボックを始めとする古参の部下達は、ロイの言葉に少しばかり恐縮した。 てっきり美しく成長したエドワードをちゃっかり堕とした挙げ句、独身の部下達に自分の美しい彼女を見せびらかしているだけだと思っていたのだ。 昔から、ことエドワードに関しては狭量さを発揮していた男だから尚更に。 ロイは昔から、エドワードに関しては譲れない責務だと言わんばかりに過剰ともいえる保護をしてきた。 後見人として、保護者として、危険な道を突き進む少女を見守り、陰ながら助力を惜しまなかった。 顔を合わせれば憎まれ口や嫌味の応酬だったが、それすらも楽しみにしていたような節があったし、時には楽しそうに錬金術について語り合っていた。 ロイにとってエドワードは、常に特別であった。 少なくとも付き合いの長い部下達はそう思っていた。 ただ、エドワードが幼すぎた為に色事に結び付けて考えた事はなかったが、年頃になったエドワードはロイの理想に適った相手だと誰もが思わずにはいられない。 極上ともいえる容姿に明晰な頭脳、加えてさっぱりとした性格に、何より純粋な魂を持つ娘。 それこそ、見合い相手にとたびたび現れる上官の娘や孫娘など比べものにならない。 だが、何度か2人のやりとりを目にしているうちに気付いたのだ。 2人の間には恋愛に絡むような色を一切含まない事に。 先ほどの会話を反芻してみてもそうだ。 あれは、保護者と被保護者の会話だ。 親子か、年の離れた兄妹といったところだろうか。 いずれにしても、色恋の感情を含まない事は明白だった。 「あ、近々あの子の成人祝いをしてやろう。とりあえず皆の予定を合わせておいた」 「本当ッスか?」 この場合の“皆”とは、エドワードを子供の頃から知る古参の部下達の事だ。 俄かに浮かれだすハボック達をよそに下士官達は残念そうにうなだれる。 ロイは、そんな下士官達を一瞥し、宥めるように言った。 「あくまでこれはプライベートな行事なのでな……馴染みの者だけでやるので理解してくれたまえ。…それと、」 次の瞬間、ロイの目の奥が物騒な気配を滲ませて光る。 何事かと姿勢を正した下士官達に、ロイは恐ろしく冷たい口調で言い放った。 「あの子に手を出した者は骨も残さず燃やされる、と覚えておきたまえ」 縮み上がる下士官達を憐れに思いながら、「やっぱりあの人、昔から変わらねー」とハボックは呆れた面持ちで頷く。 そしてその反面、「そうでなくては面白くない」と思ってしまう自分に、妙に納得した気分になるのだった。 2010/11/13 拍手より移動 back |