36 ロイが定時上がりで家に帰れば、そこは温かな灯りで満ちていた。 それは、エドワードが在宅している事が一目で分かる証拠で、それだけでロイの気分は浮上する。 てっきりまた副官のところへ逃げられたと思っていたから尚の事だ。 惚けたのは一瞬。 それから我に返ったロイの行動は素早かった。 大慌てで玄関を潜ると、靴を脱ぎ飛ばし、エドワードの気配を探りながら廊下を走る。 いつものように身を隠してしまう前に、エドワードを捕まえる為だ。 だが、 「あ、おかえりぃー」 「はがね、の……?」 探すまでもなく、エドワードはキッチンにいた。 そして、ダイニングテーブルの上には温かな湯気を立てる食事が並べられ、実に美味しそうな匂いがしている。 ふらふらと、まるで幻でも目にしたかのように、隠れる事なく出迎えたエドワードの前にロイは歩を進めた。 そっと見下ろせば、エドワードは頬をほんのり桜色に染め、琥珀を思わせる大きな金色の目を潤ませてロイを見上げる。 逃げる気配はない。 それどころか零れる吐息までもが熱を帯びたように甘い。 「……君。もしかして酔っ払っているのかね?」 ロイは聞くまでもないと思いながらも聞いた。 ふわりとアルコールの匂いがエドワードの呼気から立ち上ぼる。 これを酔っ払いと言わずして何を酔っ払いというのか。 元々酒に弱いエドワードだが、見るからに自身の限界量まで酒を摂取している事は間違いない。 「ったりめーだろぉー…?…しらふではなしなんかできねーっつの」 どうやら酒でいろんな事を誤魔化そうとしたらしいエドワードは、それでもロイときちんと話をする心積もりでいてくれたようだ。 少なくとも、二度と顔も見たくない、などという事態ではないのだ。 その事に少し希望を見いだして、ロイはホッとため息を吐いた―――のだが。 「くえ」 「は?」 「とっととくえよ」 ぎゅっと胸ぐらを掴まれ何事かと窺い見れば、エドワードは挑むような目でロイを睨み付けた。 酔って潤み蕩けている所為で、やたらと色っぽいだけだったが。 「食う…って、何を……?」 まさか君をか?、と淡い期待がロイの胸に湧き上がる。 そんな事を言われたら、きっと止まれなくなるのは確実だ。 だが、ロイの不埒な期待を知ってか知らずか、エドワードはロイの胸ぐらをぐいっと引っ張りダイニングテーブルの椅子に座らせると、おもむろにテーブルの上―――湯気の上がる夕食を指差した。 「さめちまうだろぉー?はやくくえ」 「あ、あぁ……いただきます」 なんだこっちか、と若干気落ちしながら、ロイは食事に手を伸ばす。 いや、気落ちしたのはロイの勝手な事情であって、食事はいつもながら素晴らしく美味しいのだが。 ―――しかし。 とろりと蕩けたように水の膜を張る琥珀がこちらをじっと見つめている。 気になって視線を上げると、パチリと互いの視線が絡み合い、エドワードはへらりと笑う。 実に気持ち良く酔っているエドワードには悪いが、そんな色気を垂れ流しにされながら平静を装って食事をするのは至難の業だ。 味もろくに味わえないまま、ロイは機械的に手と口を動かし続ける。 なんだかもう、泣いてしまいたかった。 「おれ……しょうしょうにはなさなきゃならないこと、ある」 「え……?」 やっとの思いで食べ切り一息吐いたロイは、エドワードの言葉に顔を上げた。 すると、一体いつの間に開けたのか、果実酒の瓶を小脇に抱えたエドワードが、ソーダ割りにしたそれを威勢良くぐびぐびやっている。 全く油断も隙もない。 「いい加減にしなさい…あぁ、もう……こんなに酔っ払って……!」 慌てて酒の瓶とグラスを取り上げ、ロイはやんわりと諭すようにエドワードの頭を撫でた。 すっかり出来上がっている酔っ払いには、もはや何を言っても通じないだろうと思いながら。 「……ろうせ、おれはばからし」 「は、…鋼の!?」 もう完全に舌が回っていないエドワードはそれだけ言うと、ぼろぼろと涙を零し始めた。 焦ったのはロイだ。 触れても良いのか悪いのかオロオロと両手を彷徨わせながら、どう慰めれば良いのかと途方に暮れる。 「このまえのあれ……おれがじぶんれあんたのべっどにもぐりこんだんら、って…いったらろ?」 「あ、あぁ……言ってたね。……それが?」 「あんたが……すきらって、いうから……おれ…うれしくて……れも、あんたすぐねちゃったし……れったいわすれるらろうら、って……」 指先で優しく涙を拭ってやりながら、エドワードの言葉とあの日の朧気な記憶を縒り合わせ、ロイは何となく事の次第を理解してきた。 華奢な身体を抱きしめて、好きだと言った記憶が朧気ながらある。 だが、その後の記憶が曖昧なところからして、そうやって言うだけ言って寝たのだろう。 狼狽えるエドワードを置き去りにして。 「だから、あの格好でベッドに?」 「うん」 忘れられるのが嫌で、うやむやにされたくなくて、驚かせてやろうと思ったんだ。 そう言ってエドワードは、新たな涙を零した。 それはつまり、彼女には応えるつもりがあったという事だろう。 エドワードの顔を見れば、それがただの自惚れではない事が分かる。 「これれわかったろ?…あんたにはとるべきせきにんらんてないんら。らから、……あんたはしゃーりぃさんとしあわせにられよ」 「……何故そこでその名前が出てくるんだ?」 エドワードの可愛らしい告白(だろう、これは)を脂下がりそうな顔を引き締めながら聞いていたロイは、聞き捨てならない言葉に眉を顰めた。 当然のように出された名前の意味が、本気で分からなかった。 「らって……あんた、おれを、しゃーりぃさんとまちがって…すきらっていったんらろ?」 「…………は?」 我ながらマヌケな声が出たと思ったが、肝心の二の句が継げなかった。 ポカンと口を開けたままのロイに、エドワードは袖口で涙を拭いながら更に言い募る。 「…あんたはしゃーりぃさんのこと、すきなんらろ?」 「ちょっと待ってくれ!元々彼女とは何もないんだ!話せば長くなるんだが、ちょっとした事情があって……!」 うっかりしていた、とロイは舌打ちしそうになった。 副官に洗い浚い白状した事で、てっきりエドワードにも伝わっているものだと思っていたのだ。 どこから説明すれば良いのかと思案するロイに、エドワードはあっさりとそれは、シャーリィ本人に聞いたと言う。 それなのに何故、そのような結論を出したのか、ロイが戸惑うのも無理はない。 「とにかく、私と彼女の間には特別な感情のやりとりなどない。あの言葉は、正真正銘君に向けてのものだ」 「うそら!…あんたがおれにすきらんていうわけないらろ!?」 そう言ってエドワードは、湧き上がる激情を宥めるように唇をぎゅっと噛みしめた。 涙に濡れた琥珀は、蕩けているくせに力強くて、持ち前の気の強さと頑固さが滲み出ている。 ―――そうだ。 私は、この子のこの目が、昔から好きだった。 そう思えば、彼女への劣情めいた思いが胸に湧き上がる。 「私が君を好きだというのは、そんなにおかしな事なのか?」 「らって、あるわけれーらろ!」 「だが、好きなんだから仕方ないだろう!素直に認めたまえよ」 「やら!…うそら!」 好きだと言っているのに、何故互いにこんな喧嘩腰なんだろう。 頭の片隅でそう考えながら、ロイも後へ退く訳にはいかなかった。 今を逃したら、きっとこの先エドワードは自分の気持ちを包み隠してしまい二度と明かす事はしないだろう。 下手をしたらまた逃げられる。 そんな事、許せるはずもないのだ。 「嘘じゃない事を証明してみせようか?」 「な…っ!?……やっ……んんん…っ」 椅子から抱き上げリビングへ移動すると、放り投げるようにソファに下ろし、上から覆い被さるようにして手足を拘束する。 そうして無防備な唇を己のそれで塞げば、微かに感じるアルコールの匂いよりもそれが彼女の唇だという事に酩酊感を覚える。 「好きだ……私は、君が好きなんだ」 「うそら……」 「嘘じゃない。君がどう思おうが、私は君が好きだ。愛している」 「あい……?」 「そうだ。……君こそ私をどう思っているのかね?」 実際のところ聞かなくても充分分かっているのだが、ちゃんと彼女の口から聞きたかった。 優しく頬を撫でてやりながらそう問えば、エドワードは忙しなく瞬きを繰り返した後「おれ?」と呟き首を傾げる。 強かに酔っているエドワードには急な話題の転換に付いていけなかったのだろう。 今にも眠ってしまいそうな様子に、言葉にしてもらうのは無理かとロイが諦めかけた瞬間―――ふわり、とエドワードは笑った。 「鋼の……?」 「おれ……たいさ、…すきらろ?」 そう言って手を差し伸べられ、思わず誘われるように抱き上げる。 すると、胸に凭れたエドワードは満足気にため息を吐いて、やがて静かな寝息を立て始めた。 毒気を抜かれるというのは、こういう事をいうのだろう。 どこか幼子のような無邪気さすら感じられる笑顔は、ロイの中に巣食う欲という欲を一瞬のうちに捻じ伏せてしまった。 「まいったな……」 これだから適わないのだ、と苦笑をひとつ。 とはいえ、昔からこの子には勝てた例しがなかったのだけれど。 そして、これからも適う気がしないな、と笑い、エドワードの頬にキスをひとつ落とした。 2011/04/11 拍手より移動 back |