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34

エドワードがロイの屋敷へと戻った事を知っているはずの副官は、明らかに挙動不審な上司に取り立てて何かを問うような事はなく、ロイは首が繋がったまま無事に午前中の業務を終えた。
命の大切さを噛みしめながら、ロイが昼休憩にまず最初にした事といえば、自宅へ電話をかける事だった。
もちろん、エドワードが研究所に出勤しているか否かの確認の為だ。
電話には誰も出なかった。
その事から、どうやらちゃんと出勤しているらしいと知れる。
そうと分かれば、ロイの次の行動はただひとつ―――研究所へエドワードに会いに行く事だけだった。



初めての彼女に、自分はどんな無体を強いたのだろうか。
記憶にない、では済まされない。
殴られても刺されても文句の言えない事をしてしまったに違いないのだ。
何しろ酒に因って理性の箍は見事に外れていたのだから―――


悶々と昨夜の記憶を辿ってみるものの、押し倒した後の記憶は一切の欠片すら思い出せず、ロイは心底困り果てていた。
自分には後悔なんてものはない。
むしろこれを機に彼女が自分のものになれば良いのに、とさえ思っている。
だが、彼女の意志を無視した強姦擬いの行為は、間違いなく彼女を傷付けているだろう。
なんという最低な男なのか、と自分を呪わずにはいられない。

ずっと大切にしてきたのだ。
大切で、誰よりも幸せになってほしくて、その為に最大限の手助けをしたいと思っていた。
なのに、他ならぬ自分が彼女を傷付けるなんて……自分で自分を殺してやりたいとさえ思う。

トボトボと廊下を歩きながら窓の外を見れば、嫌味なくらい真っ青な空に居たたまれない気持ちになった。
そして、目を逸らすように視線を下げると、中庭のベンチに座るエドワードの姿を見つけたのだ。










「君は……?」

いくぶん腰を庇うようにふらつきながら一目散に逃げていったエドワードを呆然と見送り、ロイは傍らに立ち竦んでいる青年に問うた。
本当は聞かなくてもそれがエドワードと噂になっている大学生で、マーロゥ氏の孫だという事は分かっていた。
ただ、素直に認めたくないのと、「何故ここにいるのだ」という牽制をしたに過ぎない。
先ほど廊下からエドワードを見つけた時にはいなかったはずのこの男が、何故ここにいるのか、と。

「はじめまして、マスタング少将。錬金術研究所で研究員をしているアレフ・マーロゥの孫で、ジェイク・マーロゥと申します。エドワードさんには仲良くしていただいてます」

ニコリと笑って告げられた言葉に、ロイの頬はぴくりと引き攣る。
そこはかとなく彼から感じられる優越感のようなものは、果たして気の所為なのか何なのか。

「今日は、お借りしていた本を返しに来たのですが……エドワードさん、急にどうしたんでしょうか」

そう言って、芝生の上に放り出された本を拾いながらジェイクはロイに問うた。
気遣わしげな言葉と裏腹に、その視線はロイに原因があるのだろうと責めているように見える。
ロイは舌打ちしたい気持ちでジェイクに視線を投げ、ベンチの上に置かれた2人分の弁当を視界の隅に捉えた。

「…2人で昼食の約束をしていたのか。それは邪魔をしてすまなかったね」

我ながら棒読みな謝罪だなと思いながら、ロイはそれだけを口にした。
いっそ、私はあの子を抱いたのだと、あの子は私のものだと、この男に言ってやろうかとも考えた。
こんな青二才、2度とエドワードに近付けなくする事くらい訳もないのだ。

―――だが、そんな事をすれば、エドワードはきっと悲しむ。
おそらく幼い胸に初めて宿した恋なのだろう。
なのに自分は、彼女の気持ちを無視して力ずくで奪ってしまったのだ。

そう思えば、逃げられても当然だと胸が軋んだ。
一気に腹の底から冷えきっていくような感覚に、その場に立っている事にすら苦痛を感じる。
だが、

「いえ。先ほども申しましたが、僕は本を返しに来ただけですから。…というか、何気に傷口を抉らないでくださいませんか。僕だって昨日の今日で、まだ立ち直ってないんですから」
「…………え?」
「もしかしてわざと言ってます?僕、昨日エドワードさんに振られたんですけど」

苦笑混じりに言われた言葉に、ロイは驚いてジェイクに振り返った。
内容の割にあまり傷付いている様子でもないが、わざわざ嘘を吐く理由などないのだから本当の事なのだろう。
意外な事の顛末にロイが言葉を失っていると、ジェイクは恨めしそうな目でチラリとロイを睨み付けた後、深々とため息を吐いた。

「完璧な男性が身近にいる女性ほど厄介なものはないですよね。全ての基準がその人なんですから、理想が高すぎてとても普通の男には太刀打ちなんて出来ません」
「いや、君……?」
「すみませんが、この本を彼女に返しておいてもらえますか?」

困惑するロイに、返事は必要ないのだと言うように本を差し出し、ジェイクはあっさりと踵を返してしまった。
言われた言葉の半分すら真意が掴めなかったが呼び止める事も出来ず、ロイはぼんやりとその後ろ姿を見送った。

去り際の彼の、やけにスッキリとした表情が印象的だった。






さて、それからというもの。
エドワードは変わらずロイの家にいた。
朝はロイより後に出勤し、ロイより先に帰宅する毎日だ。
ご飯の用意も今まで通りしてくれているし、掃除や洗濯、果てはアイロンがけまで完璧にこなしている。

という訳で、ロイは毎朝毎晩温かい食事を摂り、昼は心尽くしの弁当を食べ、パリッと糊の利いたワイシャツを着て出勤し、太陽の匂いのするシーツに包まれて眠っている。
実に文句のつけどころのない快適な暮らしだ。
100人に言えば100人に羨ましがられ、下手をすれば刺されるレベルだとも言える。

だがロイには、どうしても我慢のならない不満があった。


「鋼の……頼むから、顔を見せてくれないか?」
「…………やだ」
「ちゃんと顔を見て話したい事があるんだ」
「俺にはない!」

これだけ完璧に家事をこなしながら、エドワードはロイの前に一切姿を見せないのだ。
一体いつの間に作業しているのか疑問なのだが、ロイの目にかからないように、それでいて最適のタイミングで供される食事といい、ちょっと顔を洗っている間に綺麗なものと取り替えられているワイシャツや軍服といい、それは徹底して行われているのだ。

初めは、顔を見るのも嫌だと思われているのだと思っていた。
だが、これほど面倒な手順を踏みながらも決して家事の手を抜く事もなく、ロイに快適に生活してもらいたいという気持ちがあちこちに見られるのだ。
これではもう、嫌われているとは思えない。
ただ単に、過剰に恥ずかしがっているだけではないかと思っても、あながち間違いではないだろう。

「鋼の!」
「うっさい!早く仕事行けよ!」
「嫌だ。君の顔を見るまでは行かない」
「バカか、アンタ!」

部屋のドアの内と外で不毛なやりとりをしながら揉めていると、玄関の方から車のクラクションの音がした。
どうやら今日も時間切れのようだ。
舌打ちしたい気持ちを抑えてドアの向こうを窺えば、そこはかとなく安堵しているような気配がする。

「…鋼の。では、私は行くよ」
「……おっ、…おう……」
「今日も、弁当を届けてくれるかい?」

意識して切なげに懇願すれば、ドアの向こうから「……別に、良いけど」とエドワードの声がする。
その返事を聞き、ロイはニヤリと口元を緩めた。


「ありがとう……楽しみにしているよ」


その表情が、どこかしら不穏なものを含んでいた事は―――ロイしか知らない。



2011/04/11 拍手より移動

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