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33

その日、エドワードは散々な有様だった。
資料を床にぶちまけたり、簡単な計算を間違えたり、あり得ない構築式を組み立ててみたり、躓いて転んだ上に腰を机で強打してみたりと、普段の仕事ぶりからは到底考えられない失敗を繰り返していたのだ。
これには研究所の爺様達も不審に思わずにはいられなかったのだろう。
「少し疲れているようだから、とりあえず休憩してきなさい」と促され、エドワードは司令部の中庭に出向き、片隅にあるベンチに腰掛けた。
手には昼用にと作ってきた2人分の弁当。
だけど、今の心理状態でロイのところに顔を出すのは不可能だ。

「俺……なんで、あんな事……」

そう唸り声を上げると、頭を抱えてうなだれる。
今更遅いのだが、エドワードは地面にめり込みそうなくらい後悔していた。





昨夜、エドワードを押し倒したまま突如としてぐっすりと深い眠りに入ってしまったロイは、その後何をしても目覚める事はなかった。
何しろエドワードは、意地でも叩き起こしてやろうとあれこれ手を尽くしたのだ。
それこそ上着を剥ぎ取り、ワイシャツのボタンを外し、剰えズボンにまで手をかけた。
もしもエドワードが素面であれば、よもやそんな大胆な事はしなかったはずだが、例え数滴とはいえ摂取したブランデーは、エドワードを質の悪い酔っ払いへと変貌させていたらしい。

そうしてしばらくの格闘の末、結局ロイを起こす事を断念したエドワードは、今度は「ロイが自発的に起きた時に驚くような事をしてやろう」と考えた。
何故そんな事を考えたのか今となっては疑問でしかないが、所詮酔っ払いの考える事だ。
エドワードは、目覚めた時に隣で寝ている自分を見れば、ロイもさぞかし驚き慌てふためくだろう、と思った。
そしてそれを何の躊躇いもなく実行に移した。
それはとても良いアイデアだと思ったのだ。

そんな訳で、エドワードは風呂に入りロイのワイシャツを拝借すると、それだけを身に纏いロイの眠るベッドに潜り込んだ。
途中で寒くなってズボンを穿かなかった事を後悔したが、すぐに温かい体温に包まれ、それも気にならなくなって―――いつしかエドワードも深い眠りについた。


そして、迎えた目覚めの朝。
確かにロイは、これ以上ないくらい驚いていた。
それを、作戦は成功だ!と笑えるなら良かったのだが、すっかり酔いの醒めた状態では笑えるはずがない。
それに加え、エドワードは昨夜の自分の行いを全て覚えていたのだ。
いっそいつものように記憶が飛んでいたら(それはそれで困惑したかもしれないが)、開き直れたかもしれない。
相当恥ずかしく気まずい思いをするだろうが、バカとしか言えない己の行動を逐一覚えているよりは絶対マシだ。

「なんで……俺……」

2人の間には当然何もなかった。
ロイは朝までぐっすり眠り込んでいたし、エドワードとて隣に潜り込んだだけで、同じく朝までぐっすり眠った。
大体、ロイの服を乱したのも、ワイシャツ1枚で彼の横に潜り込んだのも、全部自分でやった事なのだから間違いない。
だが、状況だけ見れば怪しさ満載だ。
これで何もなかったと言って、一体どれほどの人が信じるだろうか。
実際ロイは誤解したようで、恥ずかしさのあまり部屋に閉じこもったエドワードに必死で謝罪を繰り返していた。
誤解を解くには、己のバカな行動を明かさねばならず、それに至った経緯(おそらくロイ本人も忘れているだろうあれこれ)を自分の口から話さなければならない。
それはあまりにも恥ずかしすぎる。

背後から押し倒され、抱きしめられ、好きだと言われた。
首筋に吐息がかかり、髪を撫でられ、今までされた事のない触れ方で胸を触られて―――あんな事、ロイが自分にするとは思わなかった。


「―――そうだよ。いくら酔っ払っていたとはいえ、あんな事を少将が俺にする訳ねーじゃん」


ふと、唐突にそう思い当たり、エドワードは眉間に皺を寄せた。
もしかしたら、ロイはエドワードを他の誰かと間違えたのでは、という可能性があるではないか。
昨夜の酔い方を見れば、充分に考えられる事だ。

エドワードの知る限り、自分と同じ金色の長い髪を持ち且つ彼と親しい女性といえば、ロイの仮初めの婚約者だったシャーリィしかいない。
彼女はああ言っていたが、彼女はともかくロイは、本当に彼女を好きだったのではないだろうか。
そしてあの言葉は、自分にではなくシャーリィへの言葉だったのだとしたら……。

そう考えたら、全てが腑に落ちた。

「はは……最悪だ」

エドワードの口からは乾いた笑い声が漏れる。
これが笑わずにいられようか。
1人で勝手に振り回されて、泣いたり怒ったり傷付いたりで、ちっとも心が休まる事がないというのに、それでもこの心はあの男が好きだというのだ。
これじゃあ、とんだ独り相撲ではないか。

「なんだよ、もー……俺って、どうしようもねーバカじゃん……」
「エドワードさんがバカなら、世の中まともな人間なんていませんよ?」
「っ!?」

独り言に返事を返された事に驚いて顔を上げれば、一体いつの間にやってきたのか、そこにはエドワードにとって、これまた気まずい相手が立っていた。

「……ジェイク……なんで…?」

自分が振った相手に(それも昨日の今日だ)どう接すれば良いのか計りかね、エドワードは視線を彷徨わせる。
ジェイクの事は、決して嫌いな訳ではない。
恋愛対象にはならないけれど、良い友達だと思っていた。
だから、出来れば傷付けるような真似はしたくない。
彼の思いを受け入れられないと言った今、自分のどんな言葉や態度が彼を傷付けるか分からないのが怖いのだ。
だが、ジェイクは気にも留めない素振りでエドワードに穏やかに微笑むと、普段通りの口調でさらりと告げた。

「お借りしていた本を返しに来たんです。昨日、うっかり持って帰ってしまって。…隣、良いですか?」
「あ、うん……」

ベンチに並んで腰掛ける2人の間に妙な沈黙が落ちる。
とはいえ、明らかにエドワードの方が意識しているのだが。

「あんまり固くなられると、僕も辛いんですけど」
「う、あ…っ、…ご、ごめん……」
「僕、不思議とあまり落ち込んでないんですよ。だから、あまり気にしないでください」
「……ジェイクは強いんだな」

自分なら、ロイを前にこんな風には笑えないだろう。
今だって、腹の底にはジリジリとした嫌な感情が燻っているというのに。
あまりにもジェイクが普段通りすぎて、エドワードの肩からはストンと力が抜けた。
困ったように笑うエドワードに、ジェイクは言葉を探すように一瞬目を伏せ、それからおもむろにエドワードに向き直ると、口を開く。

「言ったでしょう?あなたとマスタング少将が手を繋いで歩いてるのを見た事がある、と。お2人は仲睦まじくて幸せそうな恋人同士に見えました。それがとても印象的で、素敵だなぁと思っていて……祖父に頼んであなたと引き合わせてもらった時、すぐにあなたがあの時の女性だと分かりました」
「…………」
「エドワードさんに惹かれた時点で失恋は決まってたんですよ。だから、最初から叶うとは思ってなかったですし、こうなった今も特に落ち込んではいないんです。…きっと、恋というより憧れの気持ちの方が強かったんだと思います」

そう言って笑ったジェイクは、持ってきた本をエドワードに手渡し、ベンチから立ち上がる。

「エドワードさんさえよろしければ、今まで通り話してもらえませんか?まだまだ教えてもらいたい事もありますし」
「あ、うん……」
「良かった。じゃあ、僕はこれで……」

不意にジェイクの言葉が途切れ、エドワードは首を傾げた。
どうしたのかとジェイクの顔を見上げれば、何かに気を取られたようにエドワードの背後に視線をやっている。

「ジェイク……?」
「鋼の!!」

背後から聞き慣れた声で名前を呼ばれ、エドワードはビクリと肩を竦ませた。
ざくざくと芝生を踏みしめ近付いてくる気配に、顔からは血の気が引き、背中を冷たい汗が伝う。
心臓は全力疾走した直後のようにバクバクと大騒ぎだ。


「鋼の…―――」
「…っ」


真後ろから聞こえる声に、弾かれたように立ち上がる。



振り返る勇気さえないエドワードがその時出来た事といえば―――その場を逃げ出す事だけだった。



2011/03/19 拍手より移動

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