32 腕の中が温かい。 柔らかくて良い匂いの……何だ、これは。 ロイは、腕の中のものの正体を探るように、半分寝呆けたままで、ごそごそとそれを撫で回した。 まず触れたさらさらとした感触は、絹糸のように滑らかで。 そのままゆっくりと掌を滑らせていくと、なだらかな曲線を辿り柔らかい何かに触れた。 薄い布越しに伝わる弾力が心地よくて思わず撫で擦れば、逃げを打つようにそれは身動ぐ。 ロイは逃がさないように拘束する腕に力をこめ、掌を更に下へと滑らせた。 今度は布の感触がなくなり、温かく滑らかな何かに直に触れた。 すべすべした感触を堪能しつつ、先ほど触れた箇所から位置をずらして撫で上げる。 下から上へ。 また薄い布の感触に行き当たり少し残念に思いながら掌を滑らせ、小さな膨らみに触れる。 先ほどのとは全然違い、柔らかい感触のすぐ下には硬い感触があり、確かめるように指先でなぞれば、ビクリと震えた。 どうやらあまり触ってはいけない箇所のようだ。 そんな風に考えながら、また掌を上へと滑らせる。 何かは分からないが、自分にとってとても大切なものだという事は分かる。 こうやって触れているだけで、幸せな気持ちが際限なく湧き上がってくるのだ。 漸く手に入れたという高揚感と安堵感が入り交じり、更に心を浮き立たせる。 しばらく平らな感触が続き、やがて掌はふわりと柔らかい何かを包み込んだ。 掌に収まりきらないそれは、先ほどまでとは比べものにならないくらいの柔らかさで、やんわりと揉めば手の中で形を変える。 実に気持ちが良い。 「……ぅ……ん…」 あまりの気持ち良さにしばらく弄り続けていると、腕の中から何やら心地の良い声がする。 どうかすると腰にくる甘い吐息のようなそれに、ますます離し難くなって、ロイは本能の赴くまま掌の中の膨らみを揉みしだく。 一体何だろうか、これは。 この触り心地というか、感触には覚えがある。 ロイは記憶を辿るように腕の中のものを無遠慮に撫で回す。 片足を夢の世界に突っ込んだまま、多分、今までにも何度となくこうやって触った事があるものだ、という事だけ理解していた。 「んん……っ…ぅん」 すると、むずがるようなはっきりとした声が胸元から聞こえ、ロイはぱちりと目を覚ました。 「え……―――」 目を開けて、ロイは我が目を疑った。 ここで漸く自分の抱えているものが人間である事に気付いたのだ。 それも、 「は……はがね、の……?」 なんと己の焦がれて止まないエドワードである。 そのエドワードを、信じられない事に自分のベッドで、同じ布団の中で、左腕は彼女の身体を抱きしめ、右手は彼女の胸を思いきり掴んでいるのだから。 「え?え?」 ロイの頭はますます混乱を極めた。 自分はさっきから何をしていた? 絹糸のような感触は彼女の髪……という事は、なだらかな曲線は背中から腰のライン、という事で。 そのままお尻を撫で擦り、太股を撫で回し、掌は背中側から前へ移動して――― 「!!!!!」 自分の掌の最終地点は胸だったのだから、自分がどこを触っていたのか一瞬のうちに理解した。 この不埒な指先は、彼女の大切なところまで撫で擦り、胸を鷲掴みにして、剰え揉みしだいてしまったのだ。 今更ながら、エドワードの胸を鷲掴む手をそろりと離し、恐々と顔を覗き込む。 すやすやと静かな寝息を立てて、エドワードは眠っていた。 意志の強そうな目が目蓋の下に隠れてしまうと、いくらか昔のような幼げな印象になるのだとこの時初めて知った。 透けるように白い肌は、子供の頃の過酷な旅などものともせず滑らかで、女性らしくふっくらとした唇は赤く色付き、思わず吸い付きたくなるような艶を含んでいる。 「んぁ……?」 じっと眺めていると、おもむろにエドワードの目蓋が震え、琥珀を思わせる金色の目が姿を現した。 至近距離で直視したロイが思わず見惚れてしまうくらい、それは清らかで美しく、ただただ言葉を失うばかりだ。 「しょうしょう…?…あれ……?」 「は……鋼の……?」 むっくりと身を起こしたエドワードは、ロイのシャツを羽織っていた。 お風呂にも入ったらしく石鹸の匂いがする。 まだ寝呆けているのか唸り声を上げながら背伸びするエドワードを呆然と眺めていたロイは、ふと、彼女がそのシャツの下に下着を着けていない事に気が付いた。 そういえばさっき撫で回した時、ズボンを穿いているような感触もしなかった、と思い当たる。 「!?」 ロイは思わず自分の格好を確認した。 見れば、上着は脱いでワイシャツのボタンは半分開いている。 ズボンは一応穿いているが、ベルトは外れ、前はファスナーまで全開だ。 ちょっと待ってくれ。 私は昨夜、一体何をしたんだ? 「は……鋼の……」 「んー……?」 恐る恐る声をかければ、エドワードの反応は薄い。 その気だるげな様子に「まさか」という気持ちは強まる。 見たところシーツに汚れなどはなく、情交を匂わせる痕跡なども残っていない……が、だからといってそれだけで何もなかったと否定出来るだけの説得力はない。 何しろ恐ろしい事に、ロイには昨夜の記憶が一切ないのだ。 ハボックに管を巻いたのは覚えている。 食事をして帰ろうと、普段なら通らない公園を通り抜けようとして、男と抱き合っているエドワードの姿を見かけたのだ。 あまりの衝撃に気持ちの収まりがつかなくて、ハボックを道連れに自棄酒に溺れた。 どれほどの量を呑んだのか自分でも分からないくらい呑んで、それから――― 『難しく考えずに“好きだ”とでも言って押し倒しゃ良いんスよ。アンタそういうの得意でしょう?』 ―――そうだ。 ハボックにそう言われて、内心「出来るものならとっくにしている」と更に自棄になったところへ、そのまま家の中に投げ込まれて。 すると、真っ暗なはずの家は何故か明るくて温かくて、不思議な事にエドワードがいて……嬉しくて愛しくて、抱きしめたくて…――― 「鋼の……私はまさか、君に……」 肩を貸してくれたエドワードに従い自室に戻り、それから彼女をベッドへ押し倒した。 ただ触れていたかった。 離したくなかった。 ロイの記憶はそこで途絶えている。 金色の目を覗き込めば、ぼんやりと蕩けていた琥珀がぱちりと瞬きをする。 恐らく今の今まで何も映していなかっただろうその目が、徐々に焦点を合わせていき――― 「っぎゃああああああっ!!!???」 はっきりと目を覚ました瞬間、エドワードは派手な悲鳴を上げた。 わたわたと大慌てで周囲を見回し、そこが自分の部屋ではない事に気付き盛大に青ざめる。 そして次に自分の格好に気付くと、今度は一気に真っ赤になった。 「あの……はがね、」 「違うから!!」 「は?……いや、あの」 「これは…っ、違うんだ!…俺は…っ……いや、これは……っ!」 違う違う、と連発して、エドワードは可哀想なくらい真っ赤な顔のまま立ち上がる。 ワイシャツの裾からスラリと伸びる脚線美に目を奪われたロイに、エドワードは更に悲鳴を上げると、そのままの格好で慌てて逃げていった。 ―――パンツは、白のレース付きだった。 「とりあえず貴様を燃やそうと思う」 「は……?…うわ!何、いきなり指弾こうとしてんスか!?」 「忘れたとは言わさんぞ……貴様が昨夜、あんな呪咀の言葉を残して帰るから……私は……私は……」 「わああああ!…昨夜は俺も酔ってたんですって!」 「うるさい!貴様の所為で……貴様の所為で私は……!」 結局、ロイが家を出るまで、エドワードは自分の部屋から出てこなかった。 声も聞かせてもらえなかった。 それだけで、彼女がとてもショックを受けているのだという事が分かる。 「は!まさか……無理やり大将を襲っ……」 「……かもしれない」 「“かも”って何スか!アンタまさか、うやむやにしようなんてセコい真似を……」 「するか、バカ者!…だが、本当に昨夜の事は何も覚えてないんだ」 「全く?」 「全く」 「マジっスか……」 執務室に沈黙が落ちる。 2人共、顔面蒼白だ。 戻せるものなら、昨夜まで時間を戻したい。 そして、迂濶な言葉を口走った己を、その口車に乗せられた(かもしれない)浅はかな己を、ボコボコにしてやりたいと思った。 あの後、彼女との間に一体何があったのか、それともなかったのか。 頼むから誰か教えてほしい……いや、正直なところ聞くのも怖いのだけれど。 ―――コンコン。 頭を抱えて悶絶する2人の背後で、軽快なノックの音がする。 ビクリと肩を震わせ、まるで錆びたブリキの玩具のように、ぎこちなくドアの方へ向き直れば、 「少将、今日の書類をお持ちしました」 聞こえてきた副官の声に―――2人は死を覚悟した。 2011/03/19 拍手より移動 back |