31 「くっそぅ……落ち着かねぇ……っ」 リビングのソファに深々と沈み込みながら、エドワードはバリバリと頭を掻いた。 心臓は全力疾走した後のように早鐘を打っている。 実に落ち着かない。 居たたまれないとは、こういう事をいうのだろうか。 「やっぱ、明日にすりゃ良かったか……?」 勢い込んでロイの屋敷へと戻ってきたものの、エドワードは早速後悔し始めていた。 「私、あなたには事の顛末をお話しなければ、と思っておりましたの」 あの時、大通りでエドワードを呼び止めたロイの元婚約者シャーリィ・ゴールドバーグは、手近なカフェにエドワードを誘うと、そう切り出した。 心なしか申し訳なさそうに告げられた言葉に、エドワードは戸惑うしかない。 彼女にそんな風にされる謂われなど、こちらにはないのだから。 「あなたは、マスタングさんの事がお好きなんでしょう?」 「……は?」 「初めてお会いした時、すぐに気付きました。だから私、あなたにとても申し訳なくて……」 エドワードの頭はますます混乱を極めた。 司令部で彼女とばったり出くわしたあの時、エドワードはまだ自分の気持ちを自覚していなかったのだ。 なのに、初対面の彼女に見抜かれてしまうというのはどうなのか。 …いや、問題はそこではない。 もしかして、自分の存在が2人の関係に水を差してしまったという事だろうか。 「……まさか、破談はその所為なんですか……?」 ちょっと調べれば、自分がロイと同居している事くらいすぐ分かるだろう。 同居しているのが女だというだけでも問題なのに、ただの被保護者ならともかく、ロイに好意を寄せている女なのだ。 その所為でロイは、不誠実な男だと思われてしまったのかもしれない。 そう思い当たり一気に血の気が引いた。 ティーカップを持つ手がカタカタと震える。 「それは違います。私達、元々婚約なんてしておりませんの。ですから、破談というのは間違いですわ」 「え……」 「ごめんなさい。私、皆を騙しておりましたの」 シャーリィはそう言って申し訳なさそうに微笑むと、ロイとの一連の真相を語り始めた。 ゴールドバーグ家には3人の娘がおり、長姉は婿をとって家を継ぎ、次姉は銀行家に嫁いでいる。 末っ子のシャーリィには幼い頃から軍の高官に嫁ぐ事が決められていて、その相手として彼女の父親が選んだのが、自分が支援している若手の出世頭ロイ・マスタング少将だったのだ。 「私、大学では経済学や経営学を学びましたの。将来貿易の仕事をするのが夢でしたのよ。でも、父は昔気質の人間で……渋々大学へは行かせてもらえましたけど、職業を持つ事には反対されました」 そこで持ち上がったのが、ロイとの縁談だ。 シャーリィの父親は、結婚こそ女性の幸せだと言って憚らない上になまじ権力があるだけに、普通に断ってもまた次の相手が選ばれるだけなのは分かっていた。 軍にはゴールドバーグ家の財産を目当てに積極的に縁談を持ちかけてくる人間が多いのだ。 下手を打てば、無理やりにでも結婚させられてしまうだろう。 ならば、しばらく付き合っている振りをして周囲を牽制し、頃合いを見て最終的に自分の我が儘で破談になったという形にすれば、非は全てシャーリィ自身が被り、ロイには迷惑がかからない。 ついでに父親の面目も丸潰れになり、次の結婚話を持ち出す事に躊躇いを感じるようになるだろう。 それこそがシャーリィの狙いだったのだ、と。 「相手が少しでも私との婚姻を望んでいたら、こんなお芝居は出来ませんでした。その点、彼は最初から私の事など何とも思っておりませんでしたわ。ですから私もお願い出来たんです」 「…その割には香水の匂いをぷんぷんさせてたけど……」 それまで黙って話を聞いていたエドワードが、ついポロリと口にしたのは拗ねたような呟きだった。 だって、ずっと気になっていたのだ。 悲しかったし、苦しかったし、すごく嫌だった。 今だって「婚約などしていない」「付き合っている振りだった」と言われても、本当にそうだったのかなんて分からないし、俄かに信じられない。 目の前の彼女に対して湧き上がる気持ちは、嫉妬以外の何物でもなかった。 「あんなに仲良さそうだったくせに……」 決して言おうと思って言った言葉ではなかったけれど、思いの外それははっきりとシャーリィに伝わってしまったらしい。 シャーリィは驚いたように目を瞠り、それからふわりと小さく笑った。 「私、1度マスタングさんの足元に香水瓶を落として割ってしまった事があるのですけど……もしかしたらその事かしら」 「え……」 「今から半月ほど前の事ですわ。このお芝居をおしまいにした日の事だから、それっきりマスタングさんにはお会いしていないのですけど」 それから先の彼女の言葉は、何から何まで信じがたい事ばかりだった。 曰く、 「あの頃、マスタングさんはお見合いやそれに関わる事で多忙でらしたんでしょう?私のお芝居に付き合ってくださったのも、婚約をしていると見せかける事でそれらを牽制出来るという思惑があったからですわ。マスタングさんは、あなたが待っている家に帰りたかっただけ……ただ、あなたと一緒にいたかっただけなの。…あなたを、とても大切に思っていらっしゃるから」 穏やかな口調で紡がれたシャーリィの言葉が胸に突き刺さる。 ロイがそんな理由でこんな茶番の片棒を担いでいたなんて思いもしなかった。 デートの後必ず帰ってくるのも自分に気を遣っているだけで、自分の所為で無理をさせているのだと、自分は邪魔にしかならないのだと、そう思っていたのに。 そうして、カフェでシャーリィと別れたエドワードは、ホークアイに「少将のところへ戻る」と告げ、そのまま一目散にロイの屋敷へと戻ってきた。 ただ、ロイに会いたくて会いたくて堪らなかった。 「それにしても遅いな……一体どこをほっつき歩いて……いや、まさか」 一向に帰ってこないロイに待ちくたびれたエドワードは、ふと嫌な想像に行き当たってしまった。 あの男、フリーになった途端、他の女性とデートしてるのではないだろうか、と。 何しろモテる男なのだ。 フリーになったと知れば、ロイを狙う女性達は黙ってはいないだろうし、ロイも誘われれば無下に断らないだろう。 「アイツ……もう、俺の事なんかどうでも良いのかも」 シャーリィの言葉に後押しされて戻ってきたものの、落ち着いて考えてみれば自分は酷い言葉でロイを詰った挙げ句、黙って出ていったのだ。 愛想を尽かされたっておかしくないのではないか。 「ヤバイ……落ち込んできた」 エドワードはキッチンに向かうと戸棚からブランデーの瓶を取り出した。 アルフォンスやジュリエッタ、果てはホークアイにまで「酒は飲まないように」と何故かしつこく釘を刺されているが、このままでは眠れそうにないのだ。 少しくらい問題あるまい。 紅茶を淹れ、ブランデーを数滴垂らす。 それを一息に飲み干し、ため息を吐いた―――その時。 ガタガタという大きな物音に驚いて玄関を覗き込めば、玄関先で思いきりひっくり返っているロイの姿があった。 「イタタタタタ……くそ…ハボックめ……」 「少将?……うわ、酒臭っ!アンタ、何してんだよ!?」 「んあ?」 見上げてくる目に自分はちゃんと映っているのか不安になるくらい、ロイの目はぼんやりとエドワードを見た。 ここまで完全なる酔っ払いと化しているロイを見るのは初めてで驚いたが、とにかく玄関なんぞで寝られては困る。 「おい、こんなところで寝るんじゃねーぞ!部屋行け、部屋!」 よいしょ、と腕を肩に担ぎ上げ身体を支えてやれば、足腰は大丈夫なのか自力で歩いてくれたのでホッと胸を撫で下ろした。 さすがに全身の力が抜けた男を運ぶのは、いくらエドワードでも無理だ。 とりあえずいつ限界が訪れるとも限らないので、エドワードは大慌てでロイを部屋まで引っ張っていった。 特に問題はなかった―――ここまでは。 「ほら、ちゃんとベッドで寝ろよ。手、離すぞ」 「……いやだ」 「え……っ?」 一瞬、何をどうされたのか分からなかった。 どさ、と軽い音を立ててベッドへと倒され、背中に感じる温度と重みに回転の鈍くなった頭で必死に考える。 ここのところ急成長している胸がシーツに押し潰されて痛い。 「え?…何……っ!?」 「どこにも行かないでくれ……」 「ひゃ……っ」 首筋に酒臭い息を吹き掛けられ身体を竦ませると、不意に、あろう事かロイの手が柔らかな仕草でエドワードの胸を揉みしだいた。 腹の下で手がごそごそしているのは、もしかしたら服の中へ手を入れてくるつもりか、はたまたズボンを脱がせるつもりか。 「やっ、…ちょ、…っ……少将…っ」 「好きだ……」 「え……」 「君が好きなんだ……」 「…………」 あまりの急展開に言葉もなく固まっていると、不意に背中にかかる重みが増した。 ほとんど押し潰されるようになりながら、エドワードは必死で身を捩る。 「ちょ…っ、少将……っ!?」 返事が返ってこない事に不安になり藻掻きながら身体を反転させれば、図らずも抱き合う形になってしまった。 胸の上にロイの顔が埋まっているのが堪らなく恥ずかしい。 「やだってば…っ、…少将っ」 「…………」 「え……」 胸の上から静かな寝息が聞こえてきて、エドワードは慌ててロイの顔を上向かせて覗き込み、愕然とした。 「嘘だろ……?」 そこには、やたら満ち足りた寝顔のロイがいた。 もはや揺すっても抓っても起きそうにないくらいの熟睡っぷりだ。 エドワードの頭からは一気に血が下がっていく。 「まさか、この告白も忘れたり……して……?」 それは充分考えられる。 むしろ絶対と言い切れる。 そして忘れられていた場合、自分からこの言葉の真意を問い質すのは無理だ。 「ちくしょーてめぇ!俺のドキドキ返せーっ!!」 さて、どうしてやろうかと、ロイの身体の下から這い出てきながら考える。 こんな事までされて明日の朝何もなかったかのような顔をされたら、きっと立ち直れない。 「よし。こうなったら……!」 名案だ、と思った。 少なくともこの時はそう思ったのだ。 ―――だが、翌朝、エドワードはこれ以上ないくらい後悔する事になる。 なんだかんだ言っても、所詮エドワードもこの時酔っ払いだったのだ。 2011/03/19 拍手より移動 back |