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30

「間が悪い」という言葉は、我が上司の為にある言葉だ。
そして、「運が悪い」という言葉は、自分の為にある言葉だ。

―――と、ハボックは嘆いた。





「ハボック……呑みに行くぞ。…付き合え」


帰ると言って1度出ていったはずの上司が、程なくして戻ってくるなり言ったのがそれだった。
何やら顔面蒼白で、訳も分からず気の毒になるくらいがっくりと肩を落として。

「はぁ……いや、あの……今日は残業が……」
「構わん、私が許す。…良いから、来い」
「いえっさー…」

アンタが許してくれたって、どうせ後から俺がホークアイ少佐に怒られるんですけど…!

などと、正直に思った事を言えないのが宮仕えの悲しい性だ。
軍という組織に於いて、上官の命令は絶対である。
そして、業種はどうであれ、えてして上司というものは、とかく理不尽なものなのである。

内心でぐちぐちと文句を言いながら、ハボックは仕事を放り出し立ち上がる。
振り返れば、御愁傷様と言わんばかりの表情をした同僚達が手を振って見送ってくれた。
見送りなんか要らないから、急ぎの仕事だけでもやっといてくれよ、と目線で頼み、若干よろけるようにして出ていく上司を追いかけた。










陽はすっかり落ち、大通りは昼間とは違う明るさと賑わいに包まれていた。
その華やかな通りを横切り、薄暗い路地裏をふらふら歩く上司の後ろを、ハボックはノロノロとついていく。
普通に歩いていると追い越してしまいそうになる為、努めてノロノロ歩いているのだ。
実に面倒臭い。
ただでさえ疲労が蓄積されているというのに、つまらない事で余計疲れるのは御免こうむりたいところである。
これで綺麗な若い(ついでにボインな)お姉ちゃんがいる店に連れていってもらえるなら上司の少々の面倒臭さも我慢出来るが、お姉ちゃんどころかロマンスグレーのバーテンしかいない色気もヘチマもない硬派な渋めのバーに連れてこられては、やさぐれたって仕方ないだろう。

どうせ上司の奢りだ。
こうなったら、自分の金では絶対に呑めない高価な酒をバカスカ呑んでやる。
ハボックは心密かにそんなみみっちい事を考えて溜飲を下げた。

「…で?何があったんです?」

そう聞きながら、ハボックは内心「大方エドの事だろうな」と当たりを付けていた。
この上司が本気で感情を振り回されるのは、エドワード以外の事ではあり得ないのだ。
ちびちびとグラスの酒を舐めながら(所詮貧乏人なのでぐびぐびいけない)ハボックは上司の顔を覗き見た。
随分と覇気のない表情だ。
司令部を出て戻ってくるまでせいぜい20〜30分だったように思う。
その僅かの間に何かがあって戻ってきたのだから、司令部のすぐ近くでその“何か”に遭遇したに違いないのだろうが、一体どうした事か。

「鋼のが、帰ってきてくれない……」
「あぁ……そりゃあ、アンタが悪いんでしょうが」

ゴールドバーグ家令嬢との一連の経緯をホークアイから聞いていたハボックは、呆れ混じりにそう言うと、ポケットから煙草を取り出し火を点けた。
何を今更、とため息のひとつも吐きたかった。
ホークアイもかなり怒っていたが、せめて自分達にひと言説明があれば、エドワードのフォローくらい買って出たのだ。
なのに、変なところで不器用なこの男は、自分だけで解決しようとして失敗した挙げ句、最愛の彼女に愛想を尽かされたという訳だ。
全く嘆かわしいったらない。

「大将は今、ホークアイ少佐のところにいるんでしょう?帰ってきてくれって迎えに行けば良いんじゃないスか?」

大将も多分待ってるんじゃないかな、と思うんスけど。
わざわざご丁寧にそう付け加えて、ハボックはまたちびりと酒を呑んだ。
おそらくそれが1番早い解決方法なのだ。
ホークアイが言うには、エドワードもかなり迷っている様子だというのだから、後は何かひとつきっかけがあれば丸く収まるに違いない。

だがしかし、上司のこの腑抜け方は尋常じゃない。
上司がここまで躊躇うのには、何か理由があるのだろうか。

「あの子は、待ってなんかいないよ」
「…なんで言い切れるんスか?」
「あの子には、好きな男がいるんだ」
「はあ?」

一体何を言い出したのかと横目に見れば、思い詰めたような表情で黄金色のグラスの中身を眺めている上司の姿。
苦しそうな表情とは裏腹に、その目はどこまでも優しく慈愛に満ちたものだ。
きっと彼のその視線の先には、いつだってエドワードがいるのだろう。

「もしかして、最近よく噂に聞く“大学生の男”の事ですか?」
「そうだ」
「それなら、錬金術の話をしてるだけなんでしょう?他の部署のヤツらが言ってましたよ。難しすぎて何話してんのか分からない、って」

実際アルフォンスにも聞いたのだ。
司令部近くのカフェでたびたびエドワードと一緒にいるところを目撃されている大学生の事を。
アルフォンスの答えは、実に簡潔だった。
曰く「どうやら僕の身代わりみたいです」と。
相手の男はエドワードに気があるらしいが、エドワードには全くその気がないのだ、とも。
よって、心配する事などひとつもないし、むしろ彼女の好きな男とはこの上司の事なのに。

「だが、親しく付き合っていくうちに好きになったんだろう……さっき公園で……」
「公園?」
「手を繋いでカフェから出てきたかと思うと、その男は……鋼のを……」

語尾に近付くにつれ不明瞭になる言葉をしっかりと聞き届け、なるほど、とハボックはため息を吐いた。
上司の言う公園とは、司令部近くの公園の事だろう。
司令部から片道10分ほどのそこは、よく噂の大学生と一緒のエドワードが目撃されているカフェの向かいにある。
そもそも上司の帰宅ルートではないそこをたまたま通りかかり、エドワードが男と抱き合っているのを目撃した、というのだから、何という間の悪さだろうか。

「だから、もうあの子は帰ってきてくれないんだ……」
「いや、ほら……男の方が無理やり、なんて事は……」
「鋼のは、その男を殴りも突飛ばしもしなかった……」
「えー……」

おそらく何か事情があるのだろうという事だけは、ハボックにも分かる。
何しろエドワードが好きなのは、この上司に間違いないのだから。
なのに、この男ときたらすっかり意気消沈してしまって、これでは明日から使い物にならないだろう。
“セントラルの恋人”と謳われた二枚目で女ったらしのロイ・マスタングは、一体どこへ行ったのか。
今まで数多の女性達を奪われ続けたハボックとしては、複雑な気持ちになるというものだ。
せっかくの良い酒なのに、話がこれでは気持ちよく酔う事は叶わないなと残念で仕方ない。

「そんな事態になる前に、なんでちゃんと取っ捕まえておかないんですか!一緒に住んでんですから、いくらでもチャンスはあったでしょう?」
「だが、あの子は私を保護者としか思ってないのに……」
「あぁもう、少将らしくない!当たって砕けろの精神で大将に好きだって言えば良いじゃないですか!」
「嫌だ……砕けたくない……」

ぐでん、とテーブルに突っ伏して、上司は唸るようにそう言った。
黙々と呑んでいたから実際どのくらい呑んだのか分からないが、どうやら相当酔っているらしい。
人を微妙な気持ちにさせた張本人のくせに先に酔いやがって、とハボックは1人ごちた。
先に酔われてしまえば、残された自分は介抱役に回るしかないではないか。
全く以て今日は厄日だ。










「ほぉーら、ちゃーんと歩いてくださいよーぅ」
「…………」
「ったくもー…明日も仕事なんスからね〜分かってますー?」
「…………」
「大丈夫か、この人……あーそろそろ着きますよーっと……?」

上司のバカでかい屋敷が視界に入った途端、ハボックはあんぐりと口を開け、パチパチと瞬きをした。
そこには、煌煌と灯りが灯っていたのだ。

灯りを灯したのは誰だ。
そんなもの1人しかいない。

ハボックは思わずガッツポーズを決めた。
玄関から漏れる光が、天空から舞い降りた天使が振りまいた光の粉か何かのようだ。
あぁ、良かった。
捨てる神あれば拾う神あり、というのはこういう事か。

この時、自分では酔っていないと思っていたハボックだが、彼とて立派な酔っ払いだった。
ここ数日は落ち着いているとはいえ、その前の10日間ほどは上司共々帰宅どころか仮眠さえ取れない忙しい日々を過ごしていたのだ。
疲れの蓄積された身体には、少量の酒でも結構効いたらしい。

前後不覚になった酔っ払い上司を脇に抱え鍵を開けながら、酔っ払いハボックは後々死ぬほど後悔する羽目になる言葉を吐いた。


「難しく考えずに“好きだ”とでも言って押し倒しゃ良いんスよ。アンタそういうの得意でしょう?」


―――と。


「……んあ?」
「んじゃ、明日も仕事なので、ほどほどにお願いします!では!」
「おおう!?」

ドアを開け、上司を放り込み、ハボックは脱兎の如く逃げ出した。
とても清々しい爽快な気持ちだった。
途轍もなくすごい仕事をやり遂げたような気持ちだった。


翌朝目覚めた時には、地獄へとまっ逆さまに突き落とされるのだけれど。



2011/02/23 拍手より移動

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