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29

『ただ少将が可哀想だと思うだけなら、ここにいなさい。…だけど、自分の意志で少将の傍にいたいと思うなら、少将のところに戻ってあげれば良いのよ?…少なくとも少将ご自身は、エドワードくんが帰ってきてくれるのを待ってるわ』


ロイの破談の話を聞いてから早数日。
その間もホークアイのアパートで厄介になりながら、エドワードは彼女に言われた言葉を考え続けていた。

ロイの下へ戻りたい―――そう思う気持ちは、正直なところ「ある」。
冷たく灯りの灯らないあの広い屋敷に、仕事で疲れた身体を引き摺って1人帰るロイを思うと、あの場所を暖かく居心地の良い心安らげる場所にしてあげたいと思う。
だけど、今回は破談になってしまったが、彼に再び縁談が持ち上がった時、またあのような思いをするのかもしれないと思ったら怖くて堪らなかった。
あんな、痛くて寂しくて悲しい気持ちなんて、もう要らない。

いつだって彼の傍は心地よかった。
まだまだ子供だった頃から、彼はいつもエドワードを優しく見守り、時に叱咤し、励まし支えてくれた。
時に反抗しながらも、大切に思われている事を誇りに思っていた。

与えられるばかりで、自分からは何も返せなかったくせに……彼に温かく柔らかい感情だけを求める自分はきっと、酷い人間なのだ。










「エドワードさんは、マスタング少将の事がお好きなんですか?」
「は……?」

エドワードは、会話の継ぎ目に突然問われた言葉に目を剥いた。
一体何からそんな話になったのか、皆目見当がつかなくて戸惑うばかりだ。
何しろ、いつもの店で、いつものように文献を広げ、いつものように錬金術談義に花を咲かせていたのだから。

いつもと違う事と言われても、強いて言えばこの店で会った時からジェイクの表情が少し硬かったような気がするという事くらいで。
それだって“なんとなくそんな気がする”という程度で、あからさまな変化として印象に残らない類のものだ。

「ほら、この前……エドワードさん、突然帰っちゃったじゃないですか」
「あ、あれは……悪かったよ……」

さらりと切り出された言葉に、エドワードはそう返事を返しながらも身体を強張らせた。
あの時見た光景が一瞬のうちに脳裏に蘇り、まるでたった今見たかのように胸がじくじくと痛みだす。
知らずエドワードは、固く握りしめた手で胸を押さえた。

「あの時、何かに気を取られたようだったので、僕…気になって、周囲を確認したんです。そしたら、女性を連れたマスタング少将が通りの向こうにいました。……その姿を見たんでしょう?」

さも確信したかのように告げられ、そのジェイクの洞察力に驚いた。
少なくともエドワードは、そんなあからさまな態度を自分がとっていたとは思っていなかったのだ。
だが、その事実とさっきの言葉が上手くエドワードの中で噛み合わなくて、エドワードは呆然とするしかない。

「だから、って…なんで“好き”とか、そんな話になる訳?」
「じゃあ、どうしてそんなに傷付いた顔をするんですか?」
「え……?」
「僕にはあの時、あなたが傷付いた顔をしたように見えました……今だって、すごく悲しそうな顔をしてます。…それが何よりの証拠だと思いますけど」
「…………」

何を言われているのか理解出来なかった。
自分が今、どんな顔をしているのかも。
ただ、いろんな感情がまぜこぜになって、笑いたいのか怒りたいのか泣きたいのか、それすら分からない。

「……出ましょう」

そう言って手を取られ、気が付けばカフェを出て公園に辿り着いていた。
いつの間に荷物を纏めたのか、どうやって公園まで歩いてきたのか、その辺の記憶が曖昧で、エドワードは自分がそれだけ混乱しているのだという事だけ理解していた。

だって、考えた事などなかったのだ。
自分が、ロイに対して親愛以上の感情を抱いているかどうか、なんて。

「ジェイクはさ……昔の俺達を知らないから、そんな事が言えるんだよ。アイツは大人で、ついでに保護者で、俺は面倒みてもらってるただの子供だった……それは今でも変わらない」

だから、釣り合わないのだと無意識のうちに線を引いていた。
彼と自分は、いつまでも同じ道を歩いてはいけないのだと。
いつか彼は、自分などが足元にも及ばないような素敵な人と結ばれるのだと思っていたから―――

「確かに昔の事は知りません……だけど、今のあなたを見ていると、そうとしか思えない。あなたはあの時、あの女性に嫉妬したのでしょう?」

ずきり、と胸の奥が軋む。
いつかロイが1人の女性を選んだ時、自分は誰よりも祝福しようと、ずっとそう思っていたのに。
なのに、いざそのような存在が現れた時、エドワードの心を占めたのは寂しさや悲しみばかりだった。
何故ロイの隣は自分のものじゃないんだろうと思った。


―――その根底にあったものが何か、なんて……分かり切った事だったのに。


「僕ではダメですか?」
「え……?」
「あなたが僕の事を、弟か、ちょっと親しい年少者程度だと思っている事は分かっています……でも―――」
「っ」

不意に、強い力で腕を引かれ、広い胸に抱き寄せられる。
その一瞬の出来事に、エドワードは息を呑んだ。
背中に回った腕が、エドワードを簡単に解放するつもりはないのだと言っているかのようだ。

「僕は、エドワードさんが好きです」
「ジェイク……」
「僕なら、あなたにそんな辛そうな顔なんてさせません」

より一層強く抱き竦められ耳元で告げられる言葉は、エドワードを甘やかす響きで弱った心を鷲掴む。
このまま縋ってしまえ、と。

きっとこの腕はエドワードを優しく包み込んでくれる。
かつてアルフォンスが与えてくれたような安らぎを、得る事が出来るだろう。

―――だけど、ただそれだけだ。

自分が抱く、決して温かいものだけで出来ている訳ではない醜い感情を、差し向ける相手は別にいる。
そしてその感情が、愛だとか恋などと呼ばれるものである事に気付いてしまった。
本当に縋りたいのは、この胸ではないのだ。

「ごめん……俺、ジェイクの事、そんな風にはみれない……」

そっと胸を押し返せば、さっきまでの強引さが嘘のようにあっさりと背中から腕が離れていく。
そしてエドワードから1歩身を引くと、ジェイクは晴れやかに笑った。
この場の空気にそぐわない、いっそ清々しいまでのそれは、初めからそうなる事が分かっていたかのように冷静だった。

「僕、あなたとマスタング少将が並んで歩いているのを見た事があるんです」
「え……」
「仲睦まじく手を繋いで、幸せそうで、とてもお似合いで……だから、分かってました。…でも、それでも僕は、あなたに好きだと言いたかった」
「ジェイク……」
「だって、相手がどうであれ、好きになったのは事実だから」


―――いっそ一思いに振られてしまうのもスッキリして良いですよ。


そう言って、出会った頃から変わらない人懐っこい笑顔を残して、ジェイクはエドワードに背中を向けた。
エドワードは、黙ってそれを見送る事しか出来なかった。










「さて、どうしよう……」

はからずも、自分の気持ちを認めてしまった。
戸惑いのようなものはもちろんある。
だが、今まで不可解としかいえなかった感情の揺れが、彼に向ける恋慕の情が原因であるとするなら、しっくりと納得出来た部分は大きい。

破談になったというなら、ロイのところに戻る事に遠慮する必要はないだろう。
ただ、破談になったからこそ新たな縁談が持ち上がるかもしれないのは事実だ。
エドワードが戻ったからといって、ましてやエドワードが望んだからといって、ロイがエドワードを選ぶ事などあり得ない。
だけど、ロイは自分が戻ってくるのを待っている、ともホークアイは言っていた。
ならば、

「明日……いや、今から…は、急すぎるか?」

善は急げ、とはいうものの、やっぱりもう少し心の準備をしてからの方が良いだろう。
エドワード自身、未だ少しばかり混乱している自覚はあるのだ。
そう結論を出し、ホークアイのアパートへ戻ろうと踵を返す。
陽の落ちた大通りはイルミネーションに飾られ、すっかり夜の顔だ。
ロイはもう家に帰っただろうか。
もしかしたらどこかの店で食事をしているのだろうか。
ぼんやりと考えながら歩くエドワードの横を、黒塗りの車がすれ違っていく。


「鋼の…錬金術師さん…?」


背後から懐かしい呼び名で呼ばれ振り向けば、そこには金色の髪の美しい女性が立っていた。


ロイの、元婚約者の―――あの女性が。



2011/02/23 拍手より移動

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