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27

「あれから10日か……」

ポツリと零し、ロイは手元の書類に視線を落とした。
それは、ここ最近連続して起こっていた通り魔事件の報告書だ。
その他にも、銀行強盗だの爆弾騒ぎだのと珍しく立て続けに事件が起こり、ロイは家に帰れない日々が続いていた。

あの日―――エドワードに嫌いだと言われたあの夜以降、彼女の顔を見ていない。

原因は、自分にある。
彼女に指摘された香水の匂いは、確かに凄かった。
ロイ自身、家に着いた時点であまり気にならなくなっていたのだが、逆に言えば鼻がバカになるくらい凄い匂いだったという事だ。
そう考えて、ため息ひとつ。

決していかがわしい意味合いで付着した匂いではないのだが、あの場合何を言っても下手な言い訳にしかならなかっただろう。
それに、言い訳より何よりエドワードの何か思い悩んでいるような苦し気な表情の方が、ロイには気懸かりだった。
困っている事があるなら力になってやりたい。
悩みがあるなら打ち明けてほしい。
エドワードには、いつも笑っていてほしいのだ。
だが、


『そんな匂いさせてるアンタなんか……嫌いだ』


そう言って泣き出しそうな顔をしたエドワードは、翌朝ロイと顔を合わせる事なく出勤していき、その日は家に帰って来なかった。
しばらく口を利いてもらえなくなるだろうとは覚悟していたが、それどころかいきなり無断外泊だ。
さすがにこのままでは不味いと俄かに焦るロイを余所に、更に間が悪い事にその翌日からあれこれと事件が頻発し始めた。
結局、事件の所為でロイ自身帰宅出来ない日が続いており、その後エドワードが帰宅しているのかどうかも分からない。
電話をかけても出ないので、もしかしたらあれからずっと戻っていないのかもしれない。

―――これは、本格的に嫌われたという事だろうか。

そう考えたら、思いの外落胆は大きかった。
せめて親や兄のように穏やかな愛情で包み込んで、彼女の行く末を見守ってやれたら良いと、そう思っていたのに―――自分にはもう、それすら許されないのだろうか。
そしてこのまま、ロイの知らないところで、ロイの知らない誰かと幸せになるのだろうか。

「それは辛いな……」

幸せになってほしい、と思う気持ちに嘘はない。
だが、自分以外の男がエドワードの隣に立つのかと思うと、腸が煮え繰り返るような、腹の底から苦いものが芹上がってくるような、何とも表現し難い感覚に襲われるのだ。
今までの関係を壊したくなくて、気持ちを伝えないと決めたのは自分だというのに。

「情けない事だな……」
「まったくです」

突然割って入った声に、ロイは慌てて顔を上げた。
すると、一体いつ入室したのか、執務机を挟んだ真っ正面に書類を抱えた副官が立っていた。

「君、いつの間に……」
「ノックいたしましたが、返事がありませんでしたので」
「あ、あぁ……すまない」
「何やら手が止まっていらっしゃるようですが……エドワードくんの事ですか?」

ぴくり、とロイのペンを持つ手が震える。
今回の事は誰にも話していない。
おまけにエドワードは、アダムス大尉の一件以来司令部に寄り付かなくなっている。
なのに、このタイミングで副官の口からエドワードの名前が出るという事は、ロイの何食わぬ顔の下に隠された動揺を覚られたか、もしくは―――

「…あの子に会ったのかい?」
「はい。エドワードくんは、5日ほど前からうちで預からせていただいています」
「5日……?」

てっきり戻ってこなくなったあの日から副官のところにいたのかと思ったが、5日前からという事は、それまでの数日間はどこにいたのだろうか。
ロイの疑問は一瞬だった。
ロイが口にするより先に、その答えはすぐさま副官によってもたらされたからだ。

「うちに来る前は、受付のジュリエッタ嬢のところにいたそうです」
「あぁ……彼女の……」
「エドワードくんが少将のお宅に戻らない原因も、お聞きしました」
「そうか……」

さて、とロイは身構える。
今から自分は「庇護すべき者に愛想を尽かされた不誠実な男」として、この副官の射撃の的にされるのだろうか。
彼女が本当の妹のようにエドワードを可愛がっている事はよく知っている。
少なくとも5日前からこの事態を知っていて、今日まで黙っていたのだから、相当怒り狂っている事は間違いない。

「……あの子はどうしている?」
「エドワードくんは、もう少将のお宅には戻りませんので」
「え……?」

返ってきたのは問いへの答えではなく、妙にキッパリとした訣別宣言だ。
思わず「はい」と頷いてしまいそうになるほどの有無を言わせない迫力に、如何に彼女が怒り心頭であるかが窺える。

「当然でしょう?少将はご結婚を控えていらっしゃるのですから。随分仲睦まじく、べったりと香水の匂いをつけてご帰宅されているようですし」
「いや、それは……!」
「何か反論でもおありなんですか?何やら趣味の悪い匂いをプンプンさせていらっしゃったのは事実なんでしょう?」

抱えていた書類を執務机に投げ出すように積み上げ、ホークアイはギラリとロイを睨み付けた。
本気で命の心配をしなければならないような、殺意に満ちた眼差しだ。

「…どちらにしろ同居を始められた時とは事情が変わっておりますので、エドワードくんをこのまま少将のお宅に置いておく訳にはいきません!」

ホークアイの言い分は尤もだ。
ロイだって、自分に関わる噂がどのように広まっているか知っている。
なのに、それにも関わらずエドワードを手元に置きたいと願うのは、おかしな話だと言わざるをえない。

「……いい加減、話してくださいませんか?」

不意に、ホークアイの口調が気遣わしげなものに変わり、ロイは訝しげに顔を見上げた。
そこには、もうずっとロイの副官として付き従ってくれている彼女が、常に自分に向けている忠誠心の表れのような視線がある。
その逸らされる事のない目の中に憂いのようなものを見つけ、ロイは苦笑を零した。

「君にはお見通しか?」
「いえ。そうありたいと思っておりますが、今回ばかりは少将の真意が理解出来ません……ゴールドバーグ家令嬢との縁談は、少将にとってそんなに価値がおありなんですか?」
「…彼女の父上は大切な支援者だよ」
「それは、ご自分のお気持ちを偽れるくらい、ですか?少将がエドワードくんを思う気持ちは、それ以下なんですか?」

感情を抑えきれないのか、ホークアイの声は震えている。
それでも、ロイの真意を見極めようとするかのような強く真っ直ぐな視線は逸らされる事はなかった。
ロイは両手を挙げ、降参の意を表した。
昔から彼女に勝てた例しなどないのだ。

「ほら、やはりお見通しじゃないか」
「少将が昔からずっとエドワードくんを好きだった事くらい分かっています」
「そうかね?自分でも、つい最近自覚したばかりだというのに」
「少将が鈍すぎるんです」

話の先を促すように、ホークアイはロイの目を見た。
その、嘘も誤魔化しも許さないと言わんばかりの鋭い視線は、それでも尚、ロイの事を慮る色を内包している。
エドワードの為に怒りを顕にしながらも、ロイを心底心配しているのだ。
大切な副官にそんな顔をさせてしまっては、ロイとてもう観念するしかあるまい。

「いちいち尤もな言い訳を考えるのが面倒でね……だから黙っていたのだが、それももう意味がない」
「…………」
「芝居に付き合ってくれ、と頼まれたんだ」
「芝居?」
「彼女に、しばらく婚約者のふりをしてほしい、と」
「ふり、ですか?」
「私にも彼女にも結婚の意志など端からないよ。互いにメリットはあったが」
「それは……一体どういう……?」

困惑する副官に、ロイは自嘲の笑みを浮かべた。
全てを話してしまうには些か格好の悪い話なのだが。
とはいえ、私的な事でここまで心配させてしまったのだから、それに報いる為にもここは誠実に対処すべきだろう。


「バカな男だと笑わないでくれたまえよ?」


きっと君は、大笑いするだろうけれど。



2011/02/05 拍手より移動

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