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23

「資料室の前で何をしている?ここは、君の持ち場から随分離れているようだが?」

冷たく凍り付くような声に、ショーンは慌ててエドワードの手首を掴んでいた手を離した。
ロイはすかさず2人の間に割り入り、エドワードを背に庇う。

「答えろ、アダムス大尉。ここで何をしている?」
「彼女が…大変そうだったので、手伝おうと……」
「ほう?…目撃者の話では、君が一方的に付き纏っていたようだと言っていたが?」

そう言って、ロイは更に冷たい視線をショーンに向ける。
すると、先ほどまでの不遜な態度が嘘のように、ショーンは身体を竦ませた。
権力を傘に着る者は、権力に弱い。
大尉、といえば、ハボックやブレダと同じ官位だが、能力は比べものにならないだろう事は一目瞭然だった。

「それに、これらの文献は君などが触れて良い物ではないのだよ。鋼のも、そう言ったのではないかね?」
「あの、私は…―――」
「例えば、この文献……」

まだ言い訳をしようとするショーンの言葉を遮り、ロイが床から拾い上げたのは、落とした衝撃で背表紙が割れた1冊の古い本だ。
思わずショーンの目が泳ぐ。

「これは、国宝級とも呼べる錬金術書の、手書きの原本だ。…君に、この価値が分かるかね?」
「あ……いえ、…あの」
「こんなに見事に背表紙を割られてはな……テープで補修すれば良いという物ではないのだよ」

いくら君の父君でも、どうにも出来ないと思うが?
そう言って笑ったロイの表情は壮絶だった。
背後にいたエドワードには見る事は叶わなかったが、射殺されそうな視線に晒されたショーンは腰を抜かさんばかりに怯え、後退りしたほどだ。

「この件に関しては上に報告させてもらう。何某かの処分は覚悟しておく事だな……行け」
「は……っ、はい!」

あたふたと足を縺れさせながら、ショーンは逃げるようにその場を立ち去っていった。
ロイはそれを白けた目で見やり、すぐに興味をなくしたように今度は床に散らばった文献に視線をやる。

「ハボック、この文献を全て執務室に運んでくれ。追って、大総統府に詳細を報告する」
「イエッサー」

ロイと共に助けに来てくれたらしいハボックは明るい声で上司に応じると、エドワードを安心させるように笑って肩をぽんぽんと叩く。
それから軽々と文献の山を抱え、ロイへ敬礼を残し執務室へと運んでいった。
それをぼんやりと見送り、エドワードはロイへと視線を移す。
すると、ロイは先ほどまで身に纏っていた殺気を綺麗に拭い去り、目元を和ませてエドワードの頬を撫でた。

「大丈夫か?」
「あ、うん……」

問いかける声も頬を撫でる手も慈しみに満ちて、エドワードを心から落ち着かせる。
エドワードは震えの治まりかけた指先でロイの上着の裾を掴み、ホッとため息を吐いた。

「受付のデビー嬢に、君がアダムス大尉に付け回されていると聞いてな……怪我はないか?」
「大丈夫…ありがと。助かった……」

にこりと微笑めば、ロイは安堵したように肩の力を抜いた。
本気で心配してくれたのだという事が、それだけで分かる。
きっと、受付からここまで走ってきてくれたのだろう。

「文献の事も私に任せておきなさい。あの男の事もタダでは済ませないから、その辺も安心して…―――」
「マスタングさん!」

パタパタと軽やかに響く靴音と、鈴を転がしたような声が近付いてきて、エドワードはびくりと身体を震わせ上着を掴む手を離した。
ロイの背後に、金色の髪の美しい女性がロイに向かって駆け寄ってくるのが見える。
以前司令部の前で見た、あの女性だ。

「随分探しましたのよ。出迎えてくださらないなんて酷いわ」
「やぁ、シャーリィ。もう着いたのか……早いね」
「何か慌ててらしたってお聞きしましたけど、何かありましたの?……あ、……」

そこで漸くエドワードの存在に気付いたのか、シャーリィと呼ばれた女性が慌てて口を噤む。
目が合った瞬間、彼女の目が不安気に揺らいだ事にエドワードは気付いた。
その視線は「あなたは誰?」と雄弁に問いかけてくる。

―――そりゃそうか。
婚約者の傍に女がいたら、良い気はしないだろうな。

先ほどあの男が言っていたロイと結婚予定の起業家の娘とは、きっと彼女の事に違いない。
躊躇いがちに彼女の指先がロイの袖口を掴むのをぼんやりと眺め、エドワードは2人にぺこりと頭を下げた。

「助けていただきありがとうございました。お邪魔してしまって申し訳ありません」
「鋼の」
「本当に助かりました。…では、失礼します」

名前も名乗らず、あの人に失礼な態度だという自覚はあった。
けれど、もう1秒たりともその場にいる事は出来なかった。
どんなに安心出来ても、どんなに居心地が良くても、ロイの傍はあの人のものなのだ。

それがただ、寂しくて悲しくて堪らない気持ちにさせて―――後はもう、脇目も振らずに司令部を出ていく事しか出来なかった。











「うわぁ……何、その自意識過剰男。やだなぁー良い年して親の権力を振りかざすなんて」
「だろー?俺、手首掴まれて鳥肌立ったぜ。頭軽そうなのにすげーバカ力で、振りほどけないしさぁ」
「バカでも軍人だもの。今の姉さんには無理だよ。…で、その男どうなったの?」
「あぁ、何しろ国宝級の手書き錬金術書の原本やっちまったからなぁ……即刻南方へ飛ばされたみたいだな。ついでに親父の方も、多額の修復費を払わされた挙げ句1階級降格だと」
「まぁ、自業自得だよね」
「なー」

セントラル大学の傍のカフェにて。
エドワードは、久しぶりに会うアルフォンスと談笑していた。
アルフォンスの講義の合間を縫って会うには便利なこのカフェは、アルフォンスのみならずエドワードもお気に入りだ。

「ほんと、少将がいなければ司令部なんか危なくて行けないね」
「…うん。だからさ、それっきり司令部には行ってないんだ。研究所のじーちゃん達も心配してくれて、司令部へ行く用事もじーちゃん達が済ましてくるし」
「少将にも、会いに行ってないの?」
「いちいち行かなくても、家に帰れば会うじゃん。それに……」
「それに、何?」
「俺も一応女だしさぁ……あんまりアイツの傍をうろちょろしてたら婚約者の人も嫌がるだろ?だから……」
「婚約者?…誰の?」
「だから、アイツの」
「何それ!?」

アルフォンスが驚きのあまり椅子から立ち上がったのに、エドワードは不思議そうに首を傾げた。
確かに急な話だし驚くかもしれないが、かといって顔色を変えて驚くような事でもない気がする。
エドワードのそんな様子にどう思ったのか、アルフォンスは愕然とした表情のまま椅子に座り直し、ポツリと問うた。

「一体どこからそんな話を聞いてきたの?」
「司令部内では知らない者はいない有名な話らしいぜ」
「でも、ただの噂なんて事は……」

出来れば間違いであってほしいとでも言いたげなアルフォンスの言葉に、だが、エドワードはきっぱりと言い放つ。

「俺、見たもん」
「え」
「……よく知らないけど、アイツを支援してる起業家の娘なんだって。金色の髪の綺麗な女の人だった」
「金色の髪……」
「すっごく仲良さそうだったし、すっごく似合ってたし、……俺がいたら、邪魔にしかならなくて……」

一気にまくし立てるように言って、エドワードは口を噤んだ。
涙こそ滲んではいないけれど、アルフォンスの目には姉が泣いているように見えた。

「姉さんは、少将が結婚しちゃっても良いの?」
「良いも悪いも……俺、アイツの身内じゃねーし、アイツも良い年だし、これ以上婚期逃したら不味いんじゃねーの?」
「……姉さんって、賢いのにバカだよね」
「は?」
「あぁ、こっちの話。……それよりさ、」

どうやら本気で言ってるらしい姉に「これ以上は無駄だ」と判断したアルフォンスは、とりあえず他の話題を振り、この話を強制的に終了させた。
こんなに心を乱されながらも未だに無自覚だなんて、とんだ天然記念物だ。
バカな子ほど可愛いというが、ここまでバカだと腹が立つ。
どうにも拗れっぱなしの2人の恋路に、アルフォンスは遠い目で「いい加減にしてほしいなぁ」と1人ごちる。


そして、この後すぐ彼の副官に連絡をとろう、と賢明な彼は心に決めたのだった。



2011/01/25 拍手より移動

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