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22

「幸せになりなさい」

そのロイの言葉は、彼の嘘偽りのない本心からのものだと分かった。
彼の目も声も、何よりその表情が、それが彼の心からの願いなのだと雄弁に物語っていたから。

だけど、誰よりも幸せになってほしいという慈しみに満ちた優しい願いにも関わらず、まるで急に突き放されたような気がして、無性に寂しいと思ったのだ。
何故そんな風に感じるのか、エドワード自身にも分からなかったけれど。



ロイとエドワードの関係は、その後も概ね良好だと言えた。
将軍達による会食地獄は終息を迎えたのか、家で一緒に食事をする機会も増えた。
ロイがいない時はエドワードもアルフォンスやジェイクを誘って外食したり遊びに行ったりして、自分の為に時間を使っている。
とにかくロイが、エドワードの時間を拘束する事を嫌うようになったのだ。
食事の用意も片付けも、可能な限り自ら手伝おうとするし、外食に連れて行ってくれたり、遊びに行っておいでと背中を押してくれる。
まさしく、最適な距離感且つ自由な同居生活だ。

だが、あの一件以来、エドワードの気持ちが晴れる事はなく、やがて心の中に小さな空洞のようなものが存在する事に気付き始めていた。



「鋼の?…どうした?」
「え?…あ、いや。何でもない……」

いつの間にか思考の淵に沈み込んでいたらしく、エドワードは慌てて途中で止まっていた食事を再開した。
じろじろ見られている気配に落ち着かない心地になりながらも、残りのパンを口に放り込む。
色気の欠片もないが、互いにそんなものは必要としないので問題ない。

「鋼の。もしかして疲れているんじゃないのか?片付けは私がしておくから、君は早めに風呂に入って寝なさい」
「大丈夫だって!…ちょっと考え事してて、ぼんやりしてただけ!」
「……考え事?」
「あ、面倒事を抱えてる訳じゃねーから。アンタは心配すんな」

すぐ保護者の顔に心配そうな色を浮かべる心配性の男に、食べ終わった食器を片付けながらエドワードがそう言えば、ロイは小さく首を捻って「そうか」と返す。
とはいえ、片付けを止める気はないらしく、シンクまで運んだ食器を水に浸けると、腕まくりをしてエドワードの隣に並んで食器を洗い始めた。

「ちょ…っ、少将が、んな事すんなって!」
「何故?君には君の時間が必要だろう?家事ばかりに時間を使わせるのは申し訳ないじゃないか」
「だったら、アンタだって他にする事あんだろ?」
「だから、こうやって折半してるんじゃないか。2人でやれば、所要時間は半分だ」

ケロリとした顔でそう言うと、ロイは意外にも慣れた手付きで次々と食器を洗っていく。
そうなったらエドワードにも無理やり撥ね退ける理由はなく、押し黙ったまま食器を拭き始めた。

「なんか、意外……」
「皿洗いなんて出来ないと思ったかい?」
「うん。…つーか、絶対しないと思ってた。アンタ、昔から人使い荒くて偉そうだったし」

ニンマリ笑ってそう言えば、ロイは喉を鳴らして笑った。
その笑顔が、今まであまり馴染みのない無邪気な表情だったものだから、エドワードは思わず見惚れてしまった。

「ほら、危ない!」
「!」

うっかり疎かになった手を落としそうになった皿ごと掴まれ、エドワードは目を瞠った。
エドワードの手をスッポリと包んでしまう大きな手。
大人の男の手だ。

「っ、…悪ぃ……」

そう意識した途端、何故かよく分からないが、一気に血が上ったみたいに顔が熱くなった。
きっと赤くなっているであろう顔を隠すように、さっさと拭き終わった食器を抱え背中を向ける。
長い付き合いの中で手を繋いだ事くらい何度もあるのに、我ながらおかしな反応だと思いながらも、激しくなる一方の動悸をやり過ごす事に精一杯で―――結局、頬の火照りが治まるまでさりげなく顔を逸らし続けたのだった。











定時まであと少しの夕暮れ時。
両腕に抱えきれないほどの資料を抱え、エドワードは司令部の廊下を歩いていた。

錬金術研究所は、大総統府直轄の軍属機関である為、資料などの一部は中央司令部と共有している。
よって、司令部と研究所の間に頻繁に蔵書の貸し借りが行われているのだが、借りた資料はその都度その日のうちに一旦返却しなければならない。
面倒で仕方がないが、中には希少文献や禁書も含まれるのでさすがに研究所に置いておけないのだ。
そして、その返却に向かうのは常にエドワードの仕事だった。
紙の束は嵩張る上に結構な重量になり、年寄り達にはちょっと厳しい、というのが理由だ。
そういう意味でいえば、エドワードなどは「非力な女性」という部類に入るはずだが、未だに日頃の鍛錬を欠かさないだけあって苦になるほどでもなかった。


―――こういう事がなければ。


「やぁ、エディちゃん。重そうだな。手伝おうか?」
「結構です。ありがとうございます」

司令部には、にこやかに仕事を邪魔してくれる人物があちこちに存在する。
今、目の前に立ちはだかるこの男は、その中でも質の悪い部類に分類される男だ。

「つれないなぁ…そう言わずにさ、手伝うから」
「これは、錬金術師もしくは佐官以上の者以外は触れる事を許されない文献ですので」

つまり、それだけ厳重に管理されるべき文献だという事だ。
そう言われれば、大抵の者は諦める。
だが、この男―――ショーン・アダムス大尉は、諦める事を知らない厄介な男だった。

「そんなの気にしなくて平気だよ。親父に言えば大抵の事はどうにでもなるから」

喋っているとバカが移りそうだ、と思いつつも表情に出さないように気を配りながら、エドワードは「失礼します」と背中を向けた。
だが、それでも諦めないのがこの男だ。
資料室の前までしつこく追いかけてきたかと思うと、いきなりエドワードの手から文献を叩き落としたのだ。
重量も申し分ない文献の落ちるバサバサと派手な音が廊下に響き渡る。

「何するんですか!これは希少文献ですよ!?」
「そんなものどうでも良いだろう?そんなカビ臭い古い本」
「っ」

慌てて文献を拾おうとしたエドワードは、いきなり手を掴まれたかと思うとそのまま壁に押さえつけられ、目を瞠った。
決して油断した訳ではないが、こんなヤツでも軍人だという事だろう。
どうせなら仕事で軍人らしい働きを見せれば良いのに、と鼻で笑ってやりたかった。

「離してください」
「こんなに一生懸命アプローチしてるのに、いい加減付き合ってくれても良いんじゃないの?」
「以前、お断りしたと思いますが」
「だから、考え直してほしいって言ってるんだろう?」
「考え直しても無駄です。離してください」

掴まれた手が気持ち悪くて振り払おうと暴れたが、腐っても軍人だ。
機械鎧のないエドワードが適う相手ではない。

「やだ…っ、離して…!」
「マスタング少将が断れと言ったんだろう?保護者気取りのあの男が」
「え……?」
「そうなんだろう?そうじゃなければ断る訳がないからね」

開いた口が塞がらないとはこの事だ。
よくもここまで自信満々になれたものだ、と逆に感心する。
何を言ってるんだ?と、口にしようとして―――だが、次に放たれたショーンの言葉にエドワードは息を呑んだ。


「自分は起業家の娘と結婚するらしいじゃないか」


―――結婚?


「だから、君もいつまでも言いなりにならなくても良いんだよ?」


あぁ、とうとう結婚が決まったんだ。
そんな事をぼんやりと頭の片隅で考える。
先ほどからショーンが何やら喚いているが、全て耳を素通りしていった。

ただ、「結婚」のそのひと言が、まるで鉛の塊のように胸の中へと沈んでいく―――



「ショーン・アダムス大尉、そんなところで何をしている?」



なのに、それでもこの耳は、あの男の声を拾うのだ。



2011/01/25 拍手より移動

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