20 「エルリックくん。君、これから少し時間はあるかね?」 「はい?」 不意に問われ、エドワードの資料を捲る手が止まる。 顔を上げれば、目の前にはニコリと人の良さそうな笑顔を向ける老人がひとり。 この錬金術研究所の最高齢研究員のアレフ・マーロゥ氏だ。 彼のエドワードに対する態度は優しさに溢れ好好爺といった風情だが、その実この老人は元軍人の国家錬金術師で、研究所内では1番の偏屈爺さんである。 何しろ、今まで若い研究員がここに居着けなかったのは、大半がこのマーロゥ氏のお眼鏡に適わず追い出されたからである、などとまことしやかに囁かれるくらい、恐ろしく容赦のない実力主義な老人なのだ。 「え、と……何かご用でも?」 「いや……実は孫がね。1度君と話してみたいと言うんだが、会ってはもらえないだろうか」 「お孫さん?セントラルにいらっしゃるんですか?」 「錬金術を学んでいてね……今はセントラル大学に通ってるんだ。君より1つ下の19歳だ」 「へぇ……すごい偶然!私の弟もセントラル大学の医学部に通ってるんです。19なら、歳も同じです」 「ほう!うちの孫は薬学部だよ。名前はジェイクというんだが、自分が組み立てた理論について誰かと討論したいと常々言っていてね。わしが君の名前を出したら、是非1度会って話してみたいと強請られてしまって……」 どうだろうか?と、申し訳なさそうに頭を下げられてしまえば、エドワードには無碍に断る事は憚れた。 それに、錬金術を学ぶ者が理論を誰かと討論してみたいと思う気持ちはよく分かる。 マーロゥには普段から世話になっているし、これで自分が役に立てれば少しは恩返しになるだろう。 そう結論付けて、エドワードはマーロゥに諾と返した。 「エルリックさん、はじめまして。ジェイク・マーロゥと言います。お目にかかれて光栄です」 マーロゥに指定されたレストランへ赴くと、そこには明るいブラウンの髪に青い目の、長身の青年が待っていた。 祖父であるマーロゥ氏に似た面差しの青年は、柔らかな物腰でエドワードに挨拶をすると、ニコリと笑う。 アルフォンスも相当体格が良いのだが、ジェイクも負けず劣らずといったところで、彼の纏う柔和な雰囲気はエドワードにとって親しみやすく感じられた。 正直、お堅い学者肌の学生を想像していた分、ホッとした感は否めない。 「エドワード、で良いよ。堅苦しいのは苦手で…」 「あ、では。エドワードさん、と。僕の事はジェイクと呼んでください」 「じゃあ、ジェイク。よろしく」 「こちらこそよろしくお願いします」 ジェイクがアルフォンスと同じ歳だというだけで、エドワードは勝手に親近感を覚えた。 実際話しやすかったし、かといって砕けすぎてもなく、とても真面目な好青年だったのだ。 普段周りにいるのが年上ばかりの所為か、気楽に話せる存在は無条件に有り難かった。 だから、つい、ここ最近の寂しさを埋めるように錬金術談義に花が咲いた。 そうすると思いの外夢中になってしまい、食事だけのはずがその後カフェに場所を移して一頻り様々な議論を展開する事となってしまい――― 結局、白熱した議論が終止符を打ったのは、カフェの閉店時間。 それも、カフェの店員に申し訳なさそうに告げられて初めて気付いたくらいで、その時間経過の早さに2人とも驚きを隠せなかった。 家まで送ると言うジェイクには「近いから」と断り、そのまま店の前で別れた。 「また会ってもらえますか?」というジェイクの言葉には、笑って頷いて。 「ヤベ……すっかり遅くなっちまった」 エドワードは足早に歩きながら時計を確認する。 時刻は午後10時過ぎ。 思えば、ロイの家に住み始めてからというもの、この時間に家にいないという事はなかったな、と思い当たる。 1人暮らしをしていた時は、それなりに寄り道をしたりしていたのだが、ここ最近は全くといって良いほど一目散に帰宅していた。 「どうせアイツ、まだ帰ってないんだろうな……」 昼間見た光景を思い出し、エドワードは内心虚しくなった。 よく見えなかったが、一緒に出かけたのは綺麗な金髪の女性だった。 あの女性と会う予定の為に昼食も夕食もキャンセルされたのだ。 今まで将軍達との会食だと言われていたのも、見合いなんだろうと思っていた。 残業だと言いながら、実はデートに出かけてるんじゃないか、とも思っていた。 だけど、ああやって自分の目で見てしまうと、寂しいのか悲しいのか、何だかよく分からない気持ちに押し潰されそうになる。 「何やってんだろうな、俺……」 同居を始めてからエドワードなりに頑張ってはみたが、どうにも空回っていたとしか思えなくなった。 掃除や洗濯をして、ご飯を作って、ロイの帰りを待つ。 それを嫌だと思った事はなかった。 むしろ、ロイに喜んでもらえる事が嬉しくて、進んでやっていたのだけれど。 「だけど、生活の全部がアイツ一辺倒ってのもおかしいもんな……」 ロイにはロイの人生があるように、エドワードにはエドワードの人生がある。 自立する、という事は、きっとそういう事だ。 そうだ―――自分も人生を楽しまなければダメだろう。 年頃の女性らしく様々な事に目を向けて、もっと勉強して、もっと遊んで、もっと綺麗になって。 そうすれば、自ずと自分の未来も拓けるのではないだろうか。 そう考えたら、少し気分が楽になった気がした。 「あれ?」 家に辿り着くと、既に灯りが灯っていてエドワードは驚いた。 本命の彼女と出かけたはずのロイが、まさか今日中に帰ってくるとは思わなかったのだ。 「ただいまー……」 「鋼のか!君、こんな遅くまでどこにいたんだ!?」 「わあ!?」 玄関を開けるなり鬼の形相のロイに詰め寄られ、エドワードは思わずそのまま外へ飛び出しそうになった。 実際のところ、ロイに腕を掴まれ中に引っ張り込まれたので、飛び出す事はなかったが。 「鋼の、答えなさい!どこにいた!?」 「は?……どこ、って……食事、だけど?」 「誰と!?」 一体、何をこんなに慌てているんだろうか。 確かに早くはないけれど、既に成人している人間を捕まえて騒ぎ立てるような時間でもないのに。 それとも、同居している者のマナーとして、一応出かける時は伝言を残すべきだったのか。 …というか、コイツってこんなに心配性だっただろうか。 「え、と…研究所の、マーロゥのじいちゃんの孫で、ジェイクっていう……」 「それは男か!?男なんだな!?」 「…だから、何なんだよ?」 男だと言った途端、ロイの様子がおかしくなった。 心なしか顔色が悪い。 「アンタ、晩飯要らなかったんだよな?…もしかして予定変わった?食ってねーの?」 「あ、いや……食事は済ませた。…というか、問題はそこではない!」 「なんだよ?」 「どうしてその男と食事に?」 妙に真剣な面持ちのロイに、エドワードは首を傾げた。 大体この男、何をそんなに根掘り葉掘り知りたがるんだろう。 ―――自分の事は何も話さないくせに。 そう思ったら、何だか無性に腹が立ってきた。 一体自分はこの男にどれだけ子供だと思われているんだろうか。 「なんだって良いだろ?それとも俺は、アンタの知ってるヤツとしか付き合っちゃいけねーの?」 「鋼の……そうではなくて、世の中には油断のならない人間がいるから、…」 「心配しなくても、ジェイクは良いヤツだよ……俺、それくらい分かる。話だって合うし、楽しいし……また会う約束もしてるんだ」 「……鋼の」 「だから、心配しなくて良いから……」 アンタは人の心配なんかしてないで、さっさと本命の彼女と結婚すれば良いよ。 俺はちゃんと自立して、アンタには心配かけないから。 だから、幸せになって。 そう言ってやりたくて、だけど言えなくて。 エドワードは逃げるように自室へ飛び込んだ。 その時、ロイがどんな顔をしていたかなんて知らない。 2011/01/14 拍手より移動 back |