ガラスの靴にくちづけを | ナノ


思わぬ伏線

「ねぇ、エド。あなたの名前が男名なのは何故か分かる?」
「知らない……けど、…どうせ親父の気まぐれなんだろ?」

エドワードは、小さい頃から自分の名前が嫌いだった。
性差のはっきりしない頃は、名前の所為で女の子達からは敬遠されたし、女だと分かった途端に男の子達からは変だとからかわれた。
性格は元から男勝りだったからおとなしくいじめられたりはしていないが、不必要に捻くれた性格にはなった気がする。

「父さんは、約束を守りたくなかったの。だから、女の子が生まれたと知られたくなくて……男の子の名前を付けちゃって」
「…………」
「そんな事したってバレるのに……でも、父さんはそれでも、あなたを守りたかったのね」

案の定すぐバレたけど。
少し困ったように笑って、トリシャはそう言った。
いつも賑やかなリビングが、水を打ったような静けさに包まれる。
そっと優しい手で髪を撫でられ、エドワードのささくれ立った感情が次第に凪いでいく気がした。

「それにね……あなたを無理やり今の学校に入れたのも、外部からの無用な接触を避ける為なの。マスコミは、いつだって私達を狙っているから……あなたにだけは目を付けられたくなかったのよ」

確かに、エドワードが今まで母親の過去を何も知らずにいた事は、ある意味不自然な事だ。
本来なら、きっと周りの人間達から様々な事を聞かされたに違いないのだ。
それこそ言われなくても良い事まで。
それをあえて避けるように、ホーエンハイムはエドワードを守ってきたのだ。
娘本人にすら気付かれないように。

「だが、今回の事はどうにもならなかったんだ……ブラッドレイが、どうにも乗り気でな。アイツに臍を曲げられると厄介だし……」

ブラッドレイが経営する映画配給会社は、この国に止まらず世界でも有数の大手だ。
彼が臍を曲げ、ホーエンハイム自身が仕事を干されるだけならまだしも、ホーエンハイムの元で働く者達まで職をなくす事になっては困る。

「すまない、エドワード……父さんが腑甲斐ないばかりに……」
「…………」

あまり神妙な顔で謝られると調子が狂う。
エドワードにとってホーエンハイムは、自分勝手でいい加減で情けない父親なのだ。
だが、彼の弟子やスタジオのスタッフ達にとっては違うのだろう。
実際、みんなからは尊敬され慕われている事をエドワードは知っている。

「酷い事を言っているのは分かってるんだ。私だってお前が嫌な事を無理やりやらせたい訳じゃない……だが、今回だけは……」
「…………」
「それに、極力お前の要望は取り入れるから、」
「じゃあ、相手役代えて」
「え……?」

それまで黙り込んでいたエドワードは、顔を上げるなりホーエンハイムを睨み付け、そう言った。

「俺は、あんなヤツと二度と顔を合わせたくない」
「あ……いや、その事だが……それは……その、ちょっと無理…というか……」
「はああ?たった今、要望は取り入れるっつったじゃねぇか!!」
「そうなんだが……その……」
「なんだよ、はっきりしやがれ!!」

ホーエンハイムの煮え切らない態度にエドワードは再びキレると、胸ぐらを掴み上げた。

―――はっきり言って、この2人では話し合いにならない。

ホーエンハイムは、エドワードに対する負い目が根深すぎて、どうしてもエドワードに厳しく出来ないという個人的な事情がある。
対してエドワードは、娘の自分にすらまともに言い返せない父親に対する苛立ちがあった。

何もエドワードとて生まれた時から捻くれていた訳ではなく、幼い頃には父親をとても慕っていた。
だが、世間の目から隠したい一心だったとはいえ、ホーエンハイムは縋り付いてくる幼いエドワードを遠ざけてきた。
それを「自分は愛されていない」とエドワードが誤解するのも無理はなかったのだ。

そして、子供故の真っ直ぐさで、エドワードは報われる事のない情を捨てた。
そこにホーエンハイムを嫌う根底部分が出来上がったといって良いだろう。

かくして、長年かけて出来上がってしまった親子の歪みは、今更簡単に戻せる訳などないのかもしれない。


―――それはさておき。


「エドの相手役はマスタングさんが良いって……私が言ったのよ」
「…………は?」

信じられない言葉を聞いた気がしてエドワードが振り返ると、トリシャはニコニコと笑ってエドワードを見つめていた。
その可愛らしい笑顔とは裏腹に、反論を許されない無言の圧力を感じる。

「あなたは覚えてないかもしれないけど、あなた小さい頃にマスタングさんに会った事あるのよ?」
「いや、知らねーし!」
「その時、マスタングさんね…エドの目を見て“吸い込まれそうな綺麗な目をしてますね”って言って、幸せそうな顔で笑ったの」
「それ、もしかして母さん狙いだったんじゃねーの?あっぶねーな、あのスケコマシ。やっぱ殺しとくか?」

容易にその様子が思い浮かんで、エドワードは眉間に皺を寄せた。
何故かものすごく不愉快だったのだ。
だが、そんなエドワードの心境などものともせず、トリシャは少女のような可愛らしい笑顔で続ける。


「私、思ったの。きっと、マスタングさんはエドの王子様なんだわ、って」


嬉しそうに告げられたその言葉は、エドワードを地獄に突き落とすには充分な威力だった。



2010/05/22 拍手より移動

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