王子様は女タラシ 「はぁー……疲れた……」 咄嗟に飛び込んだ部屋は、どうやら普段は控え室に使われているらしい小綺麗な部屋だった。 スタジオ内は熟知していると思っていたが、まだまだ知らない場所もあるらしい。 まぁ、監督の娘とはいえ、入れる場所にも限りがある訳だから当たり前なのだが。 しかし――― 「なんだって俺なんかを女優デビューさせたいんだよ……どう考えてもおかしいだろ。世の中間違ってるんじゃねぇか?」 へたりとその場に座り込んで、ぶつぶつと思い付く限りの文句を呟いてみる。 「大体本人が嫌だっつーんだから諦めれば良いのに……ったく、意味わかんねー」 「……おや?」 「は……?」 背後で人の声がして慌てて振り向くと、そこには、仕立ての良いスーツを着込んだ男が立っていた。 黒い髪に黒い目の、やたらと整った顔をした。 「君は……」 男は何やら言いかけて、ちらりとドアを確認した。 それから意味ありげにニヤリと笑うと、ドアを後ろ手に閉めて近付いてくる。 「な、…何!?」 「ここは私の控え室だが……君のような可愛らしいお嬢さんがどんなご用かな?」 「え?え?」 何、俺、不法侵入ってヤツ!? 男の言葉を理解した途端、エドワードは真っ青になって立ち上がった。 「ごめんなさい!…あ、あの…俺…っ」 「あぁ、謝らなくても良いよ」 そう言うなり男の手が伸びてきて、エドワードの頬を撫でた。 いきなりの事に驚いて硬直するエドワードの顔前に、男はそっと顔を近付ける。 切れ長の黒い目が眇められ、指先で顎を掬い上げられるに至っては、さすがに男の思惑に気付いた。 ―――キス、される……? 「ななな…っ、何すんだ、アンタ!?」 エドワードは寸でのところで男を突き飛ばし、ドアの前まで逃げた。 そのまま外まで逃げれば良かったのだが、震える足ではそこまでが限界だった。 いきなり何をしてきやがるのか。 コイツはアレか、変質者というヤツか。 あまりの事にエドワードがわなわなと唇を震わせていると、男は背筋がぞわぞわするような艶やかな笑みを見せて言った。 「てっきりファンのお嬢さんが忍び込んできたのかと思ってね。サービスしようかと思ったのだが……違ったかね?」 「ちげーよ!!」 サービスって何だ!? キスって、サービスでするものなのか!? いやそれより、ファンの人みんなにキスするのか!? つか、そもそもコイツ誰!? 疑問符を飛ばしながら激しい勢いで瞬きを繰り返すエドワードを、男は更に色気を滲ませた目で見つめる。 ジリジリと少しずつ距離を縮められているのは分かるが、足が竦んで動けない。 「く…来るな!」 「そんなに拒絶されると傷付くなぁ……」 「ひ…っ」 言ってる言葉とは裏腹に、何の躊躇いもなく伸ばされた手がするりとエドワードの目元に触れる。 「君は、この目が良いな……まるで琥珀のように美しい」 「さ、…触んなよ…!」 「それに、意思の強そうなこの眼差しも良いな……実に私好みで」 ―――ぞくぞくする。 耳元で囁くように言われ、頭に一気に血が上って目眩がした。 膝ががくがくして、今にも座り込んでしまいそうになりながら、エドワードは気丈にも男を睨み付ける。 何に対してか分からないが、とにかく負けたくない一心で。 だが、その目には涙が滲んでいて、男の目には扇情的に映った。 「驚いた。まさかこんな風に誘われるとは」 「なに……」 「あぁ、その目はとても魅力的なんだが……」 ―――キスする時は、目を瞑ってもらえるかな? そう言われたかと思うと、そっと目蓋の上を掌で覆われ、次の瞬間唇に柔らかい感触が落とされた。 なんだこれなんだこれなんだこれ!? 混乱した頭では何が起こっているのか理解出来なくて。 何度か繰り返し触れた柔らかい感触が離れる瞬間、ちゅっ、と音を立てて唇を吸われ、エドワードは漸く、自分の唇に触れていたのは男の唇だと気が付いた。 「ぎゃあああああ何すんだてめぇ!?」 エドワードは、そう言うや否や男の身体を渾身の力でもって突き飛ばした。 先ほどの感触がいつまでも唇に残っている気がして、シャツの袖口でごしごしと唇を擦り、涙目で睨み付ける。 「何、って……キスだが」 「何開き直ってんだよ変態!!信じらんねぇ!!俺のファーストキス返せバカヤロウ!」 そう叫んだ途端、溜まりに溜まっていた涙がぼろりと目尻から零れ落ちた。 それは、次々と溢れてきて頬を伝って流れる。 別にファーストキスに夢を抱いていた訳ではないが、だからといって初対面の訳の分からない男に奪われるなんてあんまりだ。 「誰だ、てめぇ!!大体、何勝手に入ってきてんだよ!?警察呼ぶぞ!!」 「……君、もしかして私を知らないのか?」 「アンタみたいな変態に知り合いはいねぇよ!!」 エドワードの剣幕に男は少し困ったような顔で「てっきりそうだと思ったのに」やら「喜びのあまり早まった」やら「いや、本気にさせたもの勝ちだ」などと、どことなく不穏な気配を感じさせる言葉を呟いた。 エドワードが警戒心も顕に睨み付けると、男は先ほどまでとは比べものにならない艶やかな笑みを口元に浮かべ、エドワードの手を取る。 「それは失礼した。…はじめまして、エドワード・エルリック嬢」 「っ!……なんで俺の名前……」 「私はロイ・マスタング。以後お見知り置きを」 そう言って、エドワードの手の甲にキスを落として笑った男の壮絶なまでの色香に、エドワードは今度こそ腰を抜かして座り込んでしまったのだった。 2010/05/05 拍手より移動 back |