ガラスの靴にくちづけを | ナノ


彼の新事実

「あの時、君は3歳で……いくら何でも恋愛感情を抱いた訳ではなかったと思うんだが……それでも、確かにあの時、君が私にとって特別な存在になったのは間違いないんだ」

笑いかけてくれたエドワードの顔を、見つめてきた穢れのない琥珀を、純真で無垢な存在そのものを、思い出すたび心が洗われるようだった。
何年経っても薄れる事のないロイの記憶の中で、幼いエドワードは美しい輝きを纏ったままで。
穢れなき魂はいっそ神々しくて、自分の手の届かない存在なのだと思えば思うほど焦がれる思いは隠せなかった。

思い出すたび心が揺れた。
誰と付き合っても、どんな女性にも本気になれなかった。
誰よりも何よりも美しい存在を、自分は既に知ってしまっているから。

「ならば、せめて俳優として成功しようと思ったんだ。そうすれば、もしかしたらいつか君と共演出来るかもしれないだろう?」

そう言い切ったロイの顔を、エドワードはソファに並んで座り肩を抱かれた姿勢で窺い見た。
目と目が合えば、もはや隠し事はないとばかりに晴れやかに笑う。
そんなバカな男に知らず苦笑が漏れた。

ロイの思いは、崇拝や信仰の形に似ている。
恋愛感情とは全く別物の、無償の愛とも呼べるもの―――それを、幼い頃に一度会った事があるだけの子供に抱けるものだろうか。
エドワード自身、この男に後生大事にそんな大それた思いを捧げられるような価値が自分にあるとは思わない。

なのに、一体何に囚われてしまったというのか…全くバカな男だ。
だが、エドワードにはそれすらも愛しくてならないのだ。

「俺が、この仕事を選ばないかもしれないのに?」
「それでも私には、たったひとつの可能性だったからね」
「随分と弱気な事だな。…初対面でいきなり手を出してきたヤツとは思えねぇ……」

そうなのだ。
何やら殊勝な事を言っているが、初対面のあの時、この男は誑し全開で迫ってきたばかりかエドワードのファーストキスまで奪ったのだ。
釈然としない気持ちで睨み付ければ、ロイは些か困り顔で口を開く。

「今となっては信じてもらえないだろうが……本当に、最初から手を出すつもりはなかったんだ」
「えぇー信じられねぇー」
「そんな事、許される相手だとは思ってなかったからね……だが、私の控え室にいた君を見て舞い上がってしまって」
「舞い上がりすぎだろ」
「仕方ないじゃないか……君はびっくりするくらい綺麗になってるし、私の控え室に1人で座り込んでたんだぞ?てっきり私に好意を寄せてくれてると思うだろう」

それは、好意を寄せられたら即手を出してもOKという事か、とエドワードはため息を吐いた。
この男は基本的に誑し脳なのだ。
なのに、こんな子供にとち狂って……

「私など君には釣り合わない……それは分かっているんだ。君は、簡単に大人の手管に落として良い相手ではないからね。だけど、どうしても君が欲しかった……手を伸ばしてはならないと思うのに、伸ばさずにはいられなかった」
「…………」
「私は未だに迷ってるんだ……本当に君を、私のものにしてしまって良いのか、と。駄目だと言われても、今更手放す事など出来やしないのに…」

苦笑しながら語られる彼の真実。
何も知らない小娘に向けるこの男の愛情は、深すぎて底が見えない。
それなりに経験を積んできた大人の男だからこそ、その全てをエドワードに注いでしまう事に、果ては追い詰めてしまう事に、躊躇いを感じたのだろう。
強気と弱気を繰り返し、エドワードを惑わせたアンバランスな言動の意味が、今漸く理解出来た気がした。

「私は、心のどこかでいつも許されたいと思っていたんだ」
「許されたい?」
「いろんな事をしてきたからね……それこそ、君に言えないような事ばかりだ」
「仕事の為に……女の人と付き合ったり?」
「うん……そうだよ」

それは決して誇張ではないのだろう。
彼は本当に、エドワードには言えないような数々の事をしてきたのだ。
今それを問い質せば、彼は多分答えるだろう。
エドワードから身を退く覚悟で。
だが、エドワードは聞きたいとは思えなかった。
聞きたくないのではなく、聞く必要がないと思ったのだ。

ロイ・マスタングという名の俳優と、今目の前にいるロイ・マスタングという1人の男。
どちらも同じ人間なのに、決して同じ人物ではないのだ。
女誑しで名を馳せた稀代の人気俳優は、こんな小娘に愛を乞い、許されたいと願うような、どこか子供みたいな情けない大人だ。
こんな男の姿を知っているのは、おそらくエドワードただ1人なのだろう。

「俺が……アンタを好きだって言ったら、アンタ救われんの?」
「エドワード……?」
「ううん、違う……俺、許すとか許さないとか、そんなの分からない…けど」



「……俺、アンタが好き」



はっきりと言葉にしたのは初めてだった。
まさかそんな言葉がエドワードの口から発せられるとは思ってなかったのか、呆然とした顔を隠さず硬直する男が1人。

「…エドワード……?…え?……え?」
「だから、なんでそこで固まってんだよ!?…こういう場合に相応しいリアクションが、何かあるだろ!?」
「え、あ…あぁ、うん……いや、あの」
「何!?」
「良い、のか……?」
「アンタって、ほんっとーにバカ!?」

ここで躊躇われると、こちらが恥ずかしいではないか。
エドワードは真っ赤な顔で怒鳴りつけると、真っ正面からロイの首に抱きついた。
膝の上に乗り上げ、ぎゅうぎゅうと絞め殺す勢いでしがみ付きロイの肩口に鼻先を埋めれば、胸を満たすロイの匂いにホッとため息を吐く。
なんだか涙が出そうだ。

「ちゃんと言えよ……俺、ちゃんと言ったのに……!」
「あぁ、すまないエドワード……私は君が好きだよ……誰よりも愛しているんだ」
「……なら、良い」

恐る恐る伸ばされた手がエドワードの背中へと回り、優しく包み込むように抱きしめられる。
温かい手が髪を撫でるのを甘受していると、調子に乗った指先が耳を擽り、頬を滑り、催促するように顎へと添えられ、互いの唇は吸い寄せられるように近付いた―――



「エェェェェェドォォォォォ!!!」
「っぎゃああああああ!!!???」



だが、甘く柔らかい感触が唇に訪れるよりも先に―――娘命・娘バカな父親ホーエンハイムが事務所を訪れ、慌てふためいたエドワードによって思いきり殴り飛ばされたのだった。



2010/10/14 拍手より移動

prev next

- 35 -

back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -