ガラスの靴にくちづけを | ナノ


これも予定の範囲内

「そこの公園で、ベンチに座り込んだ女の子を物陰から見てる怪しい男がいてね。誰かと思えばうちの愚息なんだよ。その時の私の驚きといったら、もう…」
「っ、……そういう人聞きの悪い言い方はやめてくれないか」
「本当の事じゃないか。誰を見てるのかと思って見に行けば、この前店に連れてきた子だしさ……あぁ、これは何かやらかしたんだな、と」
「ぅ……」

呆然と立ち尽くすエドワードを余所に、ロイと彼の母親の会話は続いていたが、ロイが口籠もったのを機に一旦途切れ、束の間の静寂が訪れた。
ロイとエドワードは気まずさや気恥ずかしさでしばらく互いに目を逸らし合っていたが、やがて沈黙を破ったのは彼の母親だった。

「…まぁ、ここからは私が口を挿む事じゃないからね。ちゃんと話して、家まで送ってやるんだよ?……あ、それと」

そう言ってロイの肩を叩くと、思い出したようにポケットから絆創膏を取り出し、ロイの掌に乗せた。

「貼ったげな、それ」
「は?」
「首。どうせアンタの仕業だろう?」

そうして母親が指差した先を視線で辿ったロイが顔色をなくすのを、エドワードは首を傾げながら眺めた。
どうやら自分の方を指しているようだが、意味が分からない。


斯くして―――その首に、さっきレストランで赤い痕を付けられていたのだと気付いたエドワードが真っ赤な顔でロイに殴りかかるのは、それからしばらくしてからの事だった。





「…で。結局どういう事なんだよ?」
「いや、その……君が飛び出していった後、すぐに走って追いかけたんだが、一度見失ってしまって。それで、改めて車でぐるぐると捜し回っていたら、あの公園でやっと見つけて……」
「物陰から見てた、って?」
「まぁ、そういう事かな」

あんな暴挙に出ておきながら、その消極的な態度は何なのだ。
少なくとも(それまでの経過を考えれば)そういう時こそ飛び出してきて抱きしめながら謝罪するのが当たり前ではないのか。
いや、別に抱きしめなくても良いんだけど。

そう思えば、目の前の男の考えている事がさっぱり分からなくなって、自然と深いため息が零れた。
…零れた、のだが。
男が次に口にした言葉に、エドワードは息を呑む羽目になる。


「いや……どう声をかければ良いか分からなくて……」


そう言って照れ臭そうにする男に、エドワードの胸は不覚にもドキリと大きな音を立てた。
これは本当にあのロイ・マスタングなのだろうか。
女誑しで自信家で隙のないスキャンダル俳優なはずの男は、こうしていると普通の男だった。

―――というより、むしろ。

さっき聞いた話の所為だろうか。
一回り以上も年上の男を可愛いと思ってしまうなんて、これはまた一体どうした事だ。
ときめきポイントが微妙すぎる。

「君が相手だと、いつも何を言えば良いのか分からなくなるんだ……取り繕う言葉なんか使いたくないし、けど、嫌われたくもなくて……」
「バカじゃないの……こんなガキに。アンタならいくらでも相手がいるだろ」
「君でなければ意味がないんだ」
「…………」
「私は、君が、好きなんだ」

またひとつ、胸が大きく高鳴る。
今まで何度も言われた言葉が、何度も撥ね退けてきたはずの言葉が、今漸くいろんな障害を打ち破って心に届いた気がした。

「……ほんとなのかよ?」
「本当だ」
「どうせ気紛れとか…じゃねぇの?」
「冗談でも一時の気紛れでもない。私は本気だ」

弱気なくせに逸らされる事のない視線に射抜かれて、エドワードは胸の疼きに耐えかねたように口を開いた。
喉の奥で声が震えたけれど。

「そっか…………なら、良い…よ」
「え……?」
「だから……付き合っても、良いよ」
「…………………………へ?」

漸く素直な気持ちで男の告白を受け入れたというのに、ロイは間抜けな声を出したきり何のアクションも起こさなかった。
告白されて受け入れて、思いは成就したというのに、これではこちらが告白して振られたみたいではないか、と理不尽な気持ちで一杯になり、エドワードは焦れたように怒鳴った。

「なんでそこでぼんやりするんだよ!?…こういう事は……ほら、何かリアクションがあるだろ!?」
「え……あ、あぁ……」

恐々と伸ばされた手がエドワードの背中に回される。
導かれその広い胸に頬を寄せると、ロイの匂いが鼻先で仄かに香った。
どうしてかその匂いにはエドワードを安心させる効果があって、その腕に囲われていると不思議と落ち着く。
ただそうしているだけで、何も心配要らないのだと無条件に信じられるような気がした。

「エドワード……」

顎を指先で捉えられ、されるがまま上を向けば、ふわりと目元を和ませたロイと視線が絡み合う。
指先が頬を撫で、目元をなぞり、耳を擽ると、自然と2人の距離は近付いて―――互いの息が触れる頃、エドワードの琥珀は目蓋の裏に隠された―――


―――〜〜♪〜〜〜♪♪〜〜♪〜


「っ!」
「!?」

唇が触れる瞬間、ロイの胸ポケットから携帯の着信音が流れ、我に返ったようにエドワードはロイの腕の中から飛び退いた。
途端、先ほどとは比べものにならない気まずさが2人を襲う。
その間、着信音は鳴りっぱなしだ。

「で…出れば……?」
「あ……あぁ、すまない…………はい、もしも…―――」


『おわぁぁあああぁぁっマスタング君エドワードはどこだ何故携帯に出ないんだあの子をどこにやった頼むエドワードを返してくれぇぇぇぇぇ!!!』


「ホーエンハイム監督……?」
「へ?親父?」
『!!!エドォォォォォ!!!無事か!?無事なのか!?』

泣き叫ぶ勢いの(というか、既に泣き叫んでいる)ホーエンハイムは電話から離れたところで呟いたエドワードの声を拾い、更に叫んだ。
電話越しだというのに、鼓膜を破られそうだ。
エドワードはロイから携帯を取り上げると、堪りかねたように怒鳴った。

「親父、うっせぇよ!」
『だって、エド!そろそろ門限だ、って何度も電話してるのに全然出ないし…!てっきり……てっきり……とうとう魔の手にかかったのかと!』
「……アホか」

そんなに心配なら最初から交際に賛成すんなよ、と思ったが、それは言わないでおく。
今更反対されても困るので。

エドワードは腹の底から深いため息を吐くと、すっかり取り乱している父親にすぐ帰ると告げ、一方的に通話を切った。
ちらりと振り返れば、苦笑を浮かべ肩を竦めたロイが「送っていくよ」と笑う。

それを、ちょっと残念だな、と思った事は、エドワードだけの秘密だ。



2010/09/08 拍手より移動

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