ガラスの靴にくちづけを | ナノ


悪あがきもおしまい

「ヤベ……これからどうしよう」

住宅街の中ほどにある公園のベンチに腰掛け、エドワードは途方に暮れていた。
勢いのまま飛び出し、店に鞄を置いてきてしまったと気付いたのは、しばらく闇雲に走り回った後の事だった。
財布も携帯も鞄の中、とあっては、どうする事も出来ない。

「しかし、どこだよ、ここ……」

おまけに現在地も分からない、ときた。
車で拉致される間、ロイに文句を言うのに忙しくて周囲を確認しなかった事が悔やまれる。
身内でもない信用ならないはずの男相手に、あまりにも警戒心が薄すぎた。
陽の落ちた公園で1人、頭を冷やすには充分すぎる時間を過ごし、エドワードはもう何度目か分からないため息を吐いた。

いきなりあんな風に仕掛けてきたロイに腹は立つものの、嫌悪感は湧いてこない。
むしろ彼の本気を見せつけられて胸が高鳴ったくらいだ。
正しくは、怒り狂って殴り飛ばしても良いくらいの事をされたのにも関わらず。

「嫌いになれたら楽なのにな……」

そうすれば、こんな風に悩む事も切なくなる事もないのに。
大体、会わなくなれば忘れられるだろうと思っていたのに、あの男は忘れる暇も与えてくれないのだから大誤算だ。

いっそあの男が次の恋をして、自分の目の前に現れなくなったら―――

それが1番良いのだと分かっているのに、そう考えると不意に胸がギシリと軋む音を立てた。





「おや、アンタ……」
「え……?」

声をかけられて慌てて顔を上げれば、覗き込むように身を屈めた女性と目が合った。
恰幅の良い闊達としたその人は、エドワードの顔をしげしげと眺めるとニコリと笑みを浮かべた。
それに首を傾げたのはエドワードだ。
どこかで会った事があっただろうか。

「おや、覚えてないかい?この前ロイ坊と一緒に食事に来た“煉瓦亭”の店主だよ」
「あ……」

初めてロイと食事に行ったあの店の―――そう思って見れば、どことなく覚えがあるような気がした。
あの時は、ロイの手慣れた振る舞いに胸が痛むのを押さえるのに必死で、あまり周りを見ていなかったのだ。

「こんなところでどうしたの?ロイ坊は?一緒じゃないのかい?」
「え、と……ちょっと……いろいろあって……」

襲われて逃げてきましたとも言えず適当に言葉を濁せば、そんなエドワードをじっと眺めていた女性は何やらしたり顔で頷き、エドワードの腕を掴んだ。

「え……?」
「ロイ坊の大切な子を、こんなところに置いておけないからね」
「あの……?」
「いらっしゃい。今日は定休日なの」

戸惑うエドワードをよそに、女性はさっさと歩きだした。
腕を掴まれたままではついて行くしかなくて、エドワードは半ば引き摺られるようにして歩いたのだった。





「それで?うちの愚息が何かやらかしたのかい?」
「ぐそく……?」
「あら、あの子、言わなかったかい?…私はあの子の母親なんだよ」
「……お母さん?」
「と言っても、血縁関係でいうところの“叔母”なんだけどね。あの子の母親が亡くなった後、私が引き取って育てた、って訳さ」

ぼんやりと話を聞きながら、そういえばあの男自身の事は何も知らないな、と思い当たる。
俳優としてのあの男の事は、いろんな形で知る事は出来たけれど、それだって人から又聞きしたり噂話の域を越えないものばかりだ。

「職業柄何かと派手な振る舞いが多いけど、思いの外不器用でね……あ、あの子の部屋、見せてあげるよ。おいで」
「え?」

ぐいぐいと腕を引っ張られ連れていかれたのは、店の2階の居住スペースの奥にある小さな部屋だった。
道に面した壁には出窓があり、その前には机、反対側の壁際にはベッドとオーディオセットが並び、エドワードと同世代の男の子の部屋という印象だ。

「高校を卒業するまでこの部屋を使ってたんだよ。今もその頃のままにしてあるんだけど……見ての通り普通の子だったよ。朝が弱くて目覚まし時計3つ使ってたり、好き嫌いが激しかったり、本を読みだすと止まらなくて徹夜したり、ね」
「へぇ……」

好んで読んでいただろう本が並ぶ本棚を覗けば、数々の文芸書や歴史小説などエドワードも読んだ事のあるものがいくつかあった。
オーディオラックに並ぶCDは、さすがに14もの年の差の所為かよく分からなかったけれど、そこには10代の頃のロイ・マスタングがいた。

「…あの子がうちの店に女の子を連れてきたのは初めてなんだよ」
「え……」
「ついでに言うと、女の子の事を相談されたのも初めてだったよ」
「相談?」
「どうすれば好きになってもらえるだろうか、ってね。いい年した男が、全く情けないもんさ」

名うての女誑しが、いくら母親とはいえそんな相談をしているとは信じられなかった。
初恋を迎えた思春期の少年じゃあるまいし。
だが、エドワードの心を読んだかのように「嘘や冗談じゃないよ」と前置きをして、更に言う。

「あの子だって、本当は釣り合わない事くらい分かってるんだよ」

その言葉に、エドワードはびくりと身体を震わせた。
ロイとエドワードには共通点というものがない。
年齢や経歴などを考えても、確かに釣り合わないだろう。
自分でも分かっていたが、他人の口から言われると嫌でも現実を突き付けられた気分になる。

「……そうだよな、こんな子供に……何血迷ってんだか」
「違うよ。アンタが、じゃない……あの子が、だよ」
「?」
「アンタはまだ若くて、将来有望だ。一回り以上も歳の離れた男に言い寄られても迷惑だろう?」

少し困ったように問われ、エドワードは首を縦にも横にも振れなかった。
釣り合わないのは自分の方だと思っていた。
けれど、ロイは自分こそがエドワードに釣り合わないのだと思っていたのだという。
自信満々な男に似合わない弱気な気持ちを抱えながら。

「迷惑だ、って……言えたら良かったのに……」
「嫌ではないのかい?」
「……嫌、じゃ…ない」

だから困ってるんだ、と苦笑しながら言えば、ロイの母親は悪戯が成功したような顔で笑った。

「……だってさ。いるんだろう、ロイ坊?」
「え?」

自分に向けられていたはずの言葉が突如矛先を変えた事に驚いてエドワードが振り向くと―――


「な、…なんでアンタが…!?」


そこには、ばつの悪そうな顔で廊下に立っているロイがいた。



2010/09/08 拍手より移動

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