ガラスの靴にくちづけを | ナノ


登場人物は多数

「ちわ〜」

まるで酒屋の御用聞きのような口調でホーエンハイムシネマスタジオの3階事務所に現れたのは、ここの人間には馴染みの金色の少女だった。

滅多に顔を出さない少女が、それこそ珍しい制服姿でやってきたとあっては、居合わせた人間も思わず目元を和ませた。
普段は飾り気のないシャツにジーンズという少年のような格好ばかりだが、制服だと、エドワードの生まれ持っての華やかさと、年頃の少女らしい可愛らしさが際立っている。

「よぉ、大将。おつかいご苦労!」

中でも一際背の高い男は、エドワードに人懐っこい笑顔でひらひらと手を振ったかと思うと、大きな手でエドワードの頭をわしわしと撫でた。
エドワードにとってはこれ以上ない屈辱的な行為だ。

「ジャン兄まで俺をちびっこ扱いすんな!」

そう言って繰り出したパンチは、生憎背の高い男の腹には届かなかった。
男の伸ばした手がエドワードのおでこを押さえ、距離を取られてしまったからだ。

「くっそぅ!離せ!」
「ふはははは!思い知ったかちびっこ!」
「なっにぃ〜!?ムカつく!ムカつく!」
「……ハボックさん、その辺にしてもらえますか?」

ぎゃあぎゃあと揉めている2人の間に割って入った黒髪の女性は、背の高い男の方に呆れた視線を寄越すと、エドワードに向き直り、申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「エドちゃん。書類持ってきてくれたのね。助かったわ」
「あ、マリアさん。親父は?」
「隣にいらっしゃるの。そのまま持っていってもらえる?」
「俺が?」
「ええ。お願いね」

にっこりと微笑まれ、エドワードはこくりと頷いた。
姉のように慕う彼女に頼まれては従わない訳にもいかない。
エドワードは「まだスポンサーとやらは来てないらしい」と判断して、力任せにドアを蹴り開けた。

「おい、親父!忘れ物持ってきてやったぜ!」

ガンッ、と大きな音がしたが、ある意味ここでは「よくある事」な為、誰も驚かなかった。

「やぁ、エドワード。久しぶりだね」
「ブラッドレイのおっちゃん!」
「エドワード……ドアはもう少し静かに……」
「親父うるさい。おっちゃん、どうしてここに?…………あ、」

大手映画配給会社の社長であるブラッドレイは、幼い頃からエドワードを知る人物だ。
エドワードも、自分を大切にしてくれるブラッドレイに懐いていた。
思いがけないところで久しぶりの再会となり、喜んで駆け寄ろうとして―――そこで初めて、その隣に腰掛けていた男がいる事に気付いた。
眼鏡に顎髭の男は、エドワードが蹴り開けたドアをポカンとした顔で眺めていたかと思うと、今度はエドワードの顔をまじまじと見ている。
さすがに知らない人の前ですべき態度ではなかったとエドワードも慌てた。

「ごめんなさい!お客さんがいるとは思わなくて…!」

父親の仕事柄、不本意ながらエドワードも公の場に出る事がある。
その為、母親からは礼儀作法に関しては口うるさく言われていた。
身近な人の前では本性丸出しなエドワードとはいえ、初見の相手に対して失礼が許されると思うほど傲慢ではないのだ。

「いや……元気だな、嬢ちゃん」
「え?」
「元気なのは良い事だ。うん」
「はぁ……」

幼い頃から様々な好奇の目に晒されてきた所為か、エドワードは相手の目で深層心理を読む事に長けている。
口でどんな風に言っても、いくら表情を取り繕っても、目は正直なのだ。
だが、ニカッと笑ったこの男の目には偽っている色は見られなかった。








「つーか、一体誰だったんだ?」

結局、忘れ物を届けた後アームストロングの店で特盛りいちごパフェ(特大の更に上)を食べた(ツケで)。
だが、父親からタクシー代を貰いそこねた為、仕方なく歩いて駅に向かおうと店を出て、ふとさっきの男の事を思い出した。

一瞬、今日来る予定だったスポンサーかとも思ったが、まだ若そうだし(あくまで社会的に)違うだろう。
もしかしたら、ブラッドレイの会社の社員だろうか。
新しい営業担当者かもしれない。
そう言われれば人懐っこそうな顔の男だったし、なかなかの天職だ。

そんな風に考えながら歩いていると、後ろから車のクラクションを鳴らされた。
これもある意味よくある事なのでしばらく無視していると、今度は窓を開ける音がして真横から「嬢ちゃん、俺俺!」と声がする。
ちょっと前に聞いた声のような気がして振り向くと、さっきの眼鏡に顎髭の男が気安く「乗れよ。家まで送ってやるよ」などと言っている。

「でも……」
「今からだと電車も満員だぞ?嬢ちゃんみたいな可愛らしい子を1人で乗せるのはちょっとな……」

普段なら、知らない人の車になど絶対乗らないが、この男は信頼出来ると何故か思った。
彼の目には嘘がないから。
そして、

「これ、奥さん…と、娘さん?」
「そうなんだー綺麗だろ?可愛いだろー?」

車のダッシュボードに飾られた家族の写真が、とても幸せそうで温かかったから。

「えと……じゃあ、お願いします」
「任せとけ!」

滑るように車が走りだし、エドワードは柔らかいシートに凭れてホッと息を吐いた。

親父だらけの満員電車に乗らずに済み、助かった、とその時は思った訳だが―――それから家までの道のりの間、延々と男の家族自慢を聞かされる羽目になろうとは、一体誰が想像しただろうか。


この日、エドワードは学習した。
マース・ヒューズという男の車には二度と乗るまい、と。



2010/05/01 拍手より移動

prev next

- 2 -

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -