はじまりはじまり 「忘れ物?」 「ええ。お父さんったら、今日スポンサーさんと会うのに、大切な書類を忘れていったの。……ねぇ、エド。悪いんだけど届けてもらえないかしら?」 「えぇー……何やってんだよ、あの親父は!」 学校から帰るなりお使いとはついてない。 エドワードは肩を落としてため息を吐いた。 父親の職場に出向くのは死ぬほど嫌いだ。 それどころか、出来れば親子の関係すら断ち切ってしまいたいくらい父親が嫌いだ。 「まぁ、エドったら。そんな風に言わないで?ね?」 なのに、そんなエドワードの気持ちを知ってか知らずか(いや、おそらく知っている)母親はにっこりと穏やかな笑顔で頼んでくる。 大好きな母親の頼みとあれば、エドワードとて断れる気がしなかった。 基本的にエドワードはフェミニストなのだ。 自分も女の子だけれど。 「お礼に美味しいものでも食べさせてもらいなさい。ほら、アームストロングさんのカフェで」 「……特大パフェで手を打ってやっても良いぞ……」 「助かるわ、エド」 エドは小さい頃からアームストロングさんの店のパフェが1番好きね。 そう言った母親に更ににっこり微笑まれ、エドワードは途端に気恥ずかしい気持ちになった。 「別に……パフェに釣られた訳じゃないからな……断じて違うんだからな!」 「分かってるわよ」 エドワードは、ぶつぶつと言い訳しながら家を出た。 そのくせ頭の中は特大パフェで一杯だった訳だが。 そんな状況だったので、娘の背中を見送った母親がにっこりと意味深な笑顔を浮かべていた事に、エドワードが気付く事はなかった。 預かった封筒を手に電車に飛び乗れば、夕方のラッシュ前の為か思いの外空いていて、手近な座席に腰をかけるとホッと肩の力を抜いた。 この分だと帰りはラッシュにぶつかりそうだが、親父まみれの電車には乗りたくない。 まぁ、その時は父親から金をぶんどってタクシーで帰ってやる。 そのくらい許されるだろう。 そう算段をつけて1人納得したように頷く。 しかし、急ぎだというから制服まま出てきたが、エドワードはこの制服が好きではなかった。 焦げ茶のブレザーに赤いタータンチェックのプリーツスカート、白いブラウスに赤いリボンタイという、この辺でも有名なお嬢様学校の制服は変に目立つのだ。 今もじろじろと乗客達の視線が痛い。 それもこれも全部親父が悪い。 エドワードがそんな風に父親を嫌うのには理由があった。 年頃になりつつある娘に変な虫がつかないように、などというふざけた理由で、エドワードの進学先を中等部から大学までの一貫教育を謳う国内屈指のお嬢様学校に勝手に決めたのは父親だった。 エドワードに無断で願書を提出し、「ただの学力テストだ」と騙くらかして入学試験を受けさせたのだ。 結果、合格。 元々頭の良かったエドワードに、私立のお嬢様学校の試験など軽い小テスト程度でしかなかったのが、エドワードにとって災いした。 そして、頼んでもないのにめでたく入学を許可され、嫌々通い始めるも今年で早4年目。 エドワードは高校1年生になった。 しかし、そもそもエドワード自身、変な虫をのさばらせて何も出来ないようなお淑やかな性格ではない。 一人称は「俺」だし、口よりまず手が出る荒い気性の持ち主だし、喧嘩だってそこらの男程度なら負ける気がしない。 なのに、娘バカな父親は心配で仕方なかったらしい。 つーか、娘に夢見すぎだっつーの。 あの可愛らしい母親の娘だから余計なのだろう、それは分かる。 だが、認めたくはないが、エドワードは父親似だった。 それが余計エドワードの父親嫌いに拍車をかけている訳だが。 とはいえ、父親譲りのハニーブロンドと琥珀と見紛うばかりの大きな目は意思の強さを感じさせ、整いすぎな感のある容姿は黙っていても人目を引く。 つまり、先ほどからエドワードは制服が目立っていると思っているが、制服ではなくエドワード本人が目立っているのだ。 残念ながら本人は気付いていなかったが。 そうして、自宅から6つ目の駅で降り、駅前の1等地にそびえ建つビルへと足早に向かう。 ビルの隣にあるカフェの前を通りかかると、店の中から焦げ茶色のカフェエプロンをつけた大男が箒を片手にぬっと姿を現した。 「おお!久しいな、エドワード嬢」 「アームストロングさん!」 「おつかいか?偉いな、エドワード嬢」 口元の髭がチャーミングな大男はこのカフェの店長で、エドワードが幼い頃からの知り合いだ。 アームストロングは、エドワードの手にした封筒を見るなりそう言うと、にっこりと笑って大きな手でぐーりぐーりと頭を撫でる。 「ぎゃあ!縮む!」 「うむ。このサイズが可愛らしいというに……」 「ダメ!あと10センチは伸ばすの!」 キーキーと顔を真っ赤にして怒る少女を微笑ましげに見下ろして、アームストロングは思い出したように切り出した。 「おつかい、という事は、お駄賃はお決まりかな?」 昔からの癖で幼子に問うように言えば、怒り狂うかと思われた少女は頬を紅潮させて 「いちごのパフェ!特大の!」 そう言うと、期待に目をキラキラさせた。 「では、用意しておきましょう」 「うん。特大だぞ!」 「了解しました」 「じゃあ、さっさと渡してくるからな!」 ポニーテールにした金色の髪をなびかせて走っていく少女の小さな背中を見送って、アームストロングはくすりと笑う。 エドワードが駆け込んだビルの名前は―――ホーエンハイムシネマスタジオ。 今をときめく映画監督、ヴァン・ホーエンハイム監督のスタジオだった。 2010/05/01 拍手より移動 back |