ガラスの靴にくちづけを | ナノ


宣戦布告

「カット!」

ホーエンハイムの声で現実に引き戻され、ぼんやりと目を開けたエドワードは、静まり返った現場の空気にぱちりと瞬きをした。
見れば、皆一様に目元を赤くしている。
メイク担当のシエスカなどはハンカチをびしょびしょにして泣いていた。

「え……?」

一体どうしたのかと首を傾げたエドワードを見て、ロイは眩しそうに目を眇めて笑うと、そっと金色の髪を掬い取り指先で梳いた。
スマートなその仕草に、エドワードは思わず一瞬見惚れてしまい、慌てて視線を逸らす。

「とても素晴らしい演技だったよ」
「……そう、か?」
「皆がもらい泣きするくらい、ね」
「…………ぅ」

反則だ!と叫びたくなるくらい優しい声で、表情で、仕草で、そんな風に話しかけないでほしい。
だって、あれは演技じゃなかったのだから。

いつものようにジゼルになりきれてなかったばかりか、最初から最後までずっとエドワードの意識は残っていた。
というか、むしろ思考ははっきりしていた。
つまり、あの台詞はジゼルではなくエドワードが口にしたものだ。
それも、他ならぬこの男に。
そんな事、知られる訳にはいかないけれど。

「ぅ……あ、れ……?」

どうにかしていつも通りの憎まれ口を叩いてやろうとしたのに、エドワードは口を開く事が出来なかった。
撮影の余韻でポロポロと頬を流れる涙は次々と溢れて止まらなくて、漏れそうになる嗚咽を堪えるのに精一杯で。

「…これで撮影は全て終わりだ。マスタング君……すまないが、しばらくエドワードに付いていてやってくれないか」
「あ、はい。私は構いませんが……」
「じゃあ、頼むよ。……エドワード」

ホーエンハイムはそう言って勝手にロイに依頼すると、今度はやたら切なそうな顔でエドワードの名前を呼んだ。

「なに……?」
「いや、……」

だが、ホーエンハイムはそれ以上何も言わずにエドワードの頭を撫でた後、ロイに何やら目配せしてその場を離れていった。

後にハボックが「あの時の監督は、娘を嫁にやる父親の顔だった」などと言ったのだが、その時のエドワードはそんな父親に不思議そうに首を傾げただけだった。










「君は、この仕事が終わったらどうするんだい?」
「ん……どうするも何も……元通り、だろ」
「勿体ないなぁ……この仕事は、君の天職だと思うのに」

ずるずると鼻水を啜っているエドワードに至っていつも通りに話しかけながら、ロイはずっとエドワードの髪を撫でていた。
少数のスタッフ(目下片付け中)しかいないとはいえスタジオの片隅で何やってくれてんだ、とエドワードは何度もその手を叩き落としたのだが、一向に止めてくれないので半ば諦め状態で放置している。

「天職……なのか?俺にはよく分かんねぇけど」
「君は生まれついての女優だよ。今回共演して確信した」
「は……?」
「監督が初めて映画賞をとった時に一家で出演した番組を見たんだ。監督が君を膝に抱えていて……」

その、穢れのない琥珀のような目がカメラを睨み付けるように見ていた。
逸らす事なく真っ直ぐに。
まだ2歳か3歳なのに、その容姿と視線がまるで一人前の女優のようで。

「それがとても綺麗で見惚れたものだ」

淘然と語られる言葉に、エドワードは居心地悪そうに身を捩った。
この男は、言葉のひとつひとつがいちいち恥ずかしい。

「アンタ、それ……変態臭い」
「失礼だな……その頃から、君と共演する事を目標にしてきたのに」

エドワードのすげない一言に肩を竦めると、ロイはややオーバーに傷付いた顔をしてみせた。
その表情からはいつもの取り繕ったような感じはしなくて、元から童顔気味の顔が更に年齢不詳になる。
それはエドワードにとって親しみを覚えるもので、それと同時に何かが記憶の端っこにひっかかった。
先日気付いた、そして今も感じるこの男の匂いと共に。

そういえば以前、自分は昔ロイに会った事がある、とトリシャが言っていた。
詳しくは聞けなかったが、その昔、この男は身近な場所にいたという事だろうか。

「なんか……前に母さんが言ってたな。小さい頃、俺、アンタと会った事があるって。それっていつ頃?やっぱアンタの仕事の関係で?」

そう言った途端、男が一瞬動揺したように見えた。
それはほんの一瞬の出来事で、次の瞬間には元に戻っていたけれど。

「彼女は、何と……?」
「ん?……いや、小さい頃会った事ある、って事だけ……だけど?」
「そうか……うん、一度だけね。私はまだ駆け出しの頃だったが、偶然、ね」

穏やかに笑うロイに今までに感じた事のない違和感を感じた。
笑顔の裏に潜む躊躇いのようなもの、と言えば良いだろうか。
その違和感の正体に考えを巡らせようとして、エドワードは不意に問われた一言に思考の全てを奪われた。

「ひとつ質問して良いかい?」
「は……え?何?」
「最後のあれは、演技などではなかっただろう?」

そう言って勝ち誇った顔をしたロイに、エドワードは咄嗟に反論する事が出来ず、狼狽えたように視線を彷徨わせた。

「……何、が……」

声が震える。
失敗した。
この男に、付け入る隙を与えてはならなかったのに。

「撮影の時、君は最初から最後までずっとエドワードだった。私には分かったよ?」
「!」
「あの言葉は、君から私に向けてのものだったんだろう?」
「ちが……っ、…アンタ、何言ってんだ!」
「監督にも分かったようだが?」

そう言いながらロイはエドワードの肩を抱くと、温かくしなやかな指先が頬を辿った。
あまりの事にぼんやりとその状況を享受していたエドワードは、ふと我に返って頬を真っ赤に染めた。
顔から火を噴くなんてものじゃない。
おつむが大噴火である。

「だから、ちが…っ!!」
「そうと分かれば、私はこれっきりにするつもりはないよ」
「っ……人の話聞けよ!」
「堕ちておいで……エドワード」


まるで宣戦布告のようにそう言った男の壮絶なまでの色気に、エドワードは声にならない悲鳴を上げて腰を抜かした。



2010/08/30 拍手より移動

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